第11話 父と昌之

  ブライトプレイスは東京都心部にある複合開発地区で、中心にある2つのビルと、その低層部や周辺を含めてコンプレックスを形成している。

2つのビルは、それぞれ高さが200メートルで、白い巨大なビルがブライトホールディングスビル。もう1つのスレンダーな茶色のビルがレジデンス棟になっている。

2つのビルの足元にあたる部分はショッピングモールや、ブライトアートセンターと呼ばれている、これも巨大な美術館などが入っている。

ショッピングセンターには、テレビで紹介されることもあるスイーツの店などもあり、ちょっとした東京の名所になっていた。

ブライトホールディングスビルは、その名のとおり、武士沢昌之の父が会長を務めるブライトの本社が入っていて、その他に関連会社のオフィスが入っている。

ブライトの本社なのであるから、所有者はブライトの会社だと思われているし、社員もたいていはそう思っているが、実のところ、土地所有の権利のかなりの部分は、武士沢家の所有になっている。


昌之は、この場所はもともと武士沢家の邸宅が建っていた場所だと、父の秀之から聞かされていた。


「広い屋敷だったからな。爺さんから俺が相続した時、相続税が大変だったんだ。それでも武士沢の家を売るのはしのびないということで、ブライトの会社と共同所有の形態にして、このあたりのビルを建てた。


爺さんの家は無くなってしまったけど、とりあえず武士沢家はここに住んでいられるようにはなってる。これで死んだ爺さんには、俺も面子が立つ。」


 それを聞いて、なんだか妙な話だといつも昌之は思っていた。

 武士沢の家は、それほどの名門というわけでもない。曾祖父の時代にはじめた写真館が、今のブライトのルーツだという。会社のホームページにもそう書いてある。

 そこから祖父そして父と世襲で代を継ぎ、戦後の高度成長と輸出促進の政策にも乗って、会社は急成長してきた。

 とはいえ武士沢家には、こういう成金一家にありがちなコンプレックスがほとんどなく、他の由緒ある名家から「嫁」を入れて、家名に箔をつけるという発想が無かった。それなので親戚にも、いわゆる名門というほどの名家がほとんど無い。

 父の秀之にしても昌之の結婚相手や、姉の結婚相手に、その家柄やステイタスを気にしている様子もなかったものだ。

 昌之は今回の見合い話を初めて聞かされた時は、いささかの驚きとともに聞いたものだった。


 この音羽家との見合い話を強く進めたのは、むしろ母の貴代子だったのである。

 昌之はそんな貴代子の価値観を困ったものだと思っていたし、おそらく父もあまりいい気持ちはしていないのだろうとも思っている。

 もっとも、母について父の秀之と話をしたことは全くといっていいほど無い。

いや、父と昌之自身について話をしたことすらほとんど記憶にない。

 自分が開星という都内随一の名門私立中学を受けるために、塾に行っていることすら、しばらく気がつかなかったほどだ。

 東大を受けると言ったときは、それでも「そりゃすごいな。お前はそんなに成績がよかったのか。」と、関心を持ったと言っていいのか、そうでないのか良く判らない言い方をして、興味を示したものだったが、その東大を落ちた時にすら、慰めの言葉すらかけなかったものだ。


 だが、今日はそうはいかないようだった。


「どうして会社を辞めた。前田さんから聞いたぞ。」


 前田さんというのは、昌之が勤めていた商社の社長である。昌之が商社に入社出来たのも、ほとんど父と前田社長のコネだったと言っていい。

 その前田社長から、どうやら父に連絡があったらしい。


「そうなのか。お父さんには前田社長らか連絡があったのか。」


 この話をしているのは、ブライトプレイス・レジデント棟の最上階にある武士沢の自宅である。

 窓からは東京のスカイラインが一望に出来る。西側にはブルーのガラスでくるまれたブライト本社ビルがほとんど水平の位置に見える。

 そして同じ高さに、秀之が昼間は居るはずの、ブライト・ホールディングスの社長室があるはずだった。

 父がこの話を始めたことを、昌之は意外に思っていた。

 いくらコネで入ったとはいえ、自分はたかだか新入社員の1人にすぎない。わざわざ父に連絡してくるとは…


「当り前だろう。俺と前田さんとの仲のおかげで、お前は入社したんたからな。」


「そりゃどうも。」


「そりゃどうもって、なんだその言い方は。

 前田さんは温厚な人だから怒ってはいなかったが、それでもお前は前田さんの顔を潰したことになるんだぞ。

 どういうつもりだ。」


「申し訳ないことだと思ってるよ。前田社長には。」


 昌之は父に頭を下げた。

父は昌之があっさり頭を下げたので、いささか気をそがれたようで、少し沈黙があった。


「なんで俺に詫びる。前田さんに手紙でも書け。それで前田さんに詫びろ。」


「そうする。」


 昌之はまた、少し頭を下げた。

 昌之は、前田社長に対してはそうすべきだと思っていた。自分の人生の選択とはいえ、人に迷惑をかけたことになる。


「まったくお前は…」


 その後は、お前は甘やかされているだの、子供の頃からどうだったとか、そんな話が延々と続いた。

 小言を言われるのは覚悟していた。

 とはいえ、今日の父の長話は意外であった。ここまで自分について父が話をするのを聞くのは、昌之にはあまり記憶がない。


「これからお前はどうするんだ。ブライトには入れないぞ。こんな形で辞めたんだからな。」


「うん。」


 昌之は、カメラマンになりたいと父に言った。

 秀之は「そうか」と言ったきり、そのままこの話は終わりになった。

 いつものことだったが、父は昌之自身についてはほとんど興味示さない。


「それからお前、お見合いしたんだったな。」


 息子のお見合いを「したんだったな。」は無いだろうと、昌之は思った。それほど父はこのお見合いに関心を持っていなかったのだろう。


「うん。」


「どうするんだ。」


「どうって、もう結婚は出来ないよ。」


「そりゃそうだ。収入ももう無いからな。」


 秀之は黙った。


「詫びろとは言わないの。」


「誰に。」


「音羽亜莉沙さん。見合い相手だよ。」


「そりゃ、貴代子がするだろう。」


 そんな程度なのか、父の自分の結婚についての関心は。

 昌之は意外には思わなかったが、それよりちょっと残念に思う気持ちがわきあがってきた。

 どうして残念などと思うのだろう。いつものことなのに。

 そう昌之は思っていた。父が自分の見合い相手である亜里沙に、その程度の関心しか示さないからなのだろうか。

 そもそも父と母が結婚した理由にしても…。

 そこまで考えて、昌之はいつものように思考を閉じた。このことについて深く考えたりしたくなかった。

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