第18話 ピッツバーグの男
ピッツバーグ国際空港に着いてから、市街地まではリムジンバスを利用するしかない。
この空港は巨大な空港だが、とにかく市街地までのアクセスが悪い。以前一度ここに来たことがある昌之は、その時から今でも全く改善されていない様子に、驚くというか少々呆れている。
ピッツバーグは粉雪が待っていた。
アメリカの内陸部では、この季節でも寒の戻りがあることがあり、春がかなり深まっている時期でも、粉雪が舞うほど寒くなることがあるようだ。
これも以前この街に来た時が、今回と同じ春の季節であったことから、昌之も知っていた。
昌之が乗込んだリムジンバスは、小高い丘陵が続く中、つづら折になったハイウエイをカーブを繰り返しながら走っていく。
この風景は日本の田舎とそう変わらず、丘の間や頂に見えるやたらと真新しい住宅地も、これも日本の地方都市の風景とよく似ている。
やがてバスはトンネルに入りしばらく走ると、正面に半円形の光の形で出口が見えてきた。出口を出ると、目の前に狭い川が流れていて、真正面には古い鋼鉄製の橋がかかっている。
そしてその向こうに巨大な壁のように、ガラスの摩天楼群が聳え立っていた。
ここがピッツバーグ市街だった。
以前来た時も思ったことだが、この摩天楼だけは日本とは違う。
ピッツバーグは現在のアメリカでは決して大きな都市ではない。それでもかつてはニューヨーク、シカゴと並ぶビジネス都市で大都会だった。その栄光の名残を残すかのように、この小さいはずの都市には、巨大な摩天楼が聳え立っている。
アメリカという国の衰えることのない活力を見る思いである。
昌之はバスターミナルでリムジンバスを降り、乗り換え路線を掲示板で探した。
一度来たことがあるので、掲示板の見方やピッツバーグという街のおおまかな地理は解っている。とはいえ路線までは覚えていないので、もう一度確認しなければならない。
すぐに昌之は目的地までの路線を見つけて、バスに乗り込んだ。
古いバスである。
降車ベルが紐になっている。乗車賃の支払いはコインのみで、日本のように電子マネーは使えない。都市の中心部を走るこのバスであってもである。
アメリカという国は、ITのように極めて進んでいる面と、このバスのようにやたらと古いものが残っていたりする。
不思議な国だと思う。
ピッツバーグの市街地はそれほど広くはない。すぐに郊外に出て、アルゲニー川沿いの狭い道を走り始める。
アルゲニー川の川幅は狭いが、水量はそれなりにあるので、流れに逆らってはしけが通っていく。
河岸は両岸とも低い崖で、バスはその片側の岸にそって通る片側1車線の狭い道路を進んだ。
以前この街を訪れた時にも感じたことだが、この風景は日本とよく似ている。
狭い川とそれに沿って走るこれも狭い道路。
何かしら既視感を覚える風景でもある。
しばらくそのまま走ると、運転手が地名を告げたので、昌之は紐を引っ張ってバスを停め下車した。
バスが行ってしまった道路には、レンガ作りの古い建物が両側に建っている。バス停の斜め向かいには、日本でもお馴染みのコンビニエンスストアがある。
狭い道路に車は少なく、バスが行ってしまうと昌之はそのまま道路を横断しコンビニエンスストアに入って、飲み物とサンドイッチを買った。
道路に出てサンドイッチをかじりながら歩く。
コンビニエンスストアの裏手は土手になっていて、その向こうから川の流れる音がする。
どこかで鳥が鳴く声がした。時折横を通り過ぎていく車が、静かな音を立てた。
この感覚はまるきり日本の田舎じゃないか。
ピッツバーグはアメリカが車社会になる前に出来た街である。
それなので他のアメリカの都市のように、車に適合した作りになっていないのだ。まるで日本の田舎町がそうであったように。
しばらく歩いて、昌之は目的の建物を見つけた。
レンガ作りの2階建ての古い家屋で、もともと店として作られたのだろう。1階は広い間口にシャッターが降りている。
もちろん今は店などではない。ここが昌之が目的としていた、リッキーのスタジオだった。
昌之は建物の前に立って、スマホをいじった。
数回コールが鳴ってから、英語で反応があった。
「ハロー。」
「ハロー。昌之ですが。」
「待ってたよ。ちょっと待ってくれ。入口を開ける。」
しばらくしてシャッターの横についている、古い木製のドアが開いた。
中から髭を生やした男が姿を現した。40歳くらいに見える。彼が昌之が会いに来たリッキーだった。
「入れよ。」
リッキーは昌之を招き入れた。
この建物はリッキーが住居兼スタジオにしている場所で、1階の元店舗だったスペースはスタジオになっていた。2階は彼の住宅にしている。
このリッキーはとても背が高い。身長は195センチある。180センチの身長がある昌之からしても、やはり見あげるような体躯の男である。
「そこに荷物置いて。
今日、日本から来たのかい。」
「正確に言うと昨日かな。シカゴで乗り継ぎが良くなくて、あそこで1泊したんだ。」
「シカゴでか。あそこで泊まるとホテル代が高くついたろう。
いや、マサユキならそんなもの問題ないかな。」
リッキーは昌之のことをよく知っている。昌之の実家が資産家であることもである。
それには答えず、昌之はただ首をすくめただけだった。
「あの人は?」
昌之は以前ここを訪ねたとき、一緒に居た男性のことを聞いた。
今度はリッキーが首をすくめて何も言わなかった。昌之はそれ以上は聞かない。
「それで、カメラマン目指すのかい。」
「うん。」
「坊やだな。いい暮らし捨てて。」
「そう言われるのは覚悟のうえだよ。」
「で、俺は何をすればいい。」
昌之はとりあえずスタッフとして雇ってもらいたいと言った。
「いいけど、給料は払えないぜ。見ての通りだ。わかるだろう。」
「かまわない。給料は期待していないよ。」
結局、昌之はリッキーの下でスタッフになることが、その場であっさり決まった。
じゃあ明日から。と言って昌之は帰ろうとした。
「家は決めてるのかい。」
「いや、とりあえず今日はピッツバーグのホテルに泊まって、どこかこの近くに通って来れるフラットを探そうと思う。」
「ここに泊まればいいのに。」
「そりゃ悪いよ。」
リッキーはさらに勧めたが、昌之は固辞した。
昌之は知っていた。リッキーはゲイなのだ。さきほどのリッキーの様子からは、以前来た時に一緒に暮らしていたパートナーは、今は居ないらしい。
つまりシングルということになる。
ゲイもパートナーが居なければ無聊にもなるだろう。となると今夜はいささか危険ということでもある。
リッキーは気のいい男で嫌いではないのだが、そういう関係にはなりたくない。
昌之の固辞に、リッキーはあえてそれ以上勧めなかった。
こうしてアメリカの初日に、昌之はとりあえず今日までの目標としていたことを決めてしまった。
成果はまずまずといったところだ。これからの長い挑戦のためには、こんな第一歩から躓いてしまう訳にもいかない。
そう考えて、昌之は気を引き締める。
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