第17話 昌之との再会

 昌之が会いたいと言ってきたのは、亜莉沙にとっては意外なことだった。

 昌之との仲はもう終わっている。連絡を取り合うこともなく、ましてや会うことなど無いだろうと思っていたのだ。


 もっとも、亜莉沙も昌之とのSNSを着信拒否にしていなかった。心のどこかで連絡してきてくれるのではないかと、秘かに思っていたのだ。

 それだけに昌之も自分の連絡先を削除しておらず、SNSから連絡してきてくれたことを、心底嬉しく思ったものだ。

 昌之は亜莉沙と会う場所として、ブライトプレイスの一角を指定した。


 昌之∧美味しいコーヒーショップがあるんだ。亜莉沙さんに飲ませてあげたい。


 亜莉沙∧ぜひ飲みたいです。


 そんなわけで、亜莉沙は約束したその日、いそいそとブライトプレイスにやって来たのであった。

 もう桜のシーズンはとうの昔に終わっていて、日差しは暖かく、亜莉沙は昨日にくらべてもさらに薄着のファッションにした。肌の露出をより多くしたのだ。

 ブライトプレイスに着くと、亜莉沙はSNSで連絡を取りつつ、昌之が待っていると言ってきた屋外のベンチに向かった。


 昌之はベンチに腰を下ろしていた。相変わらず大きなバックを横に置いてある。

 亜莉沙は手を振りながら、昌之に駆け寄った。

 思わず笑顔がこぼれる。


「またこのバック持ってるの。」


 口から出た言葉はそんな言葉だった。


「持ってるよ。手離すことは無いな。それにこれからは、こいつを仕事にするつもりだから。」


 亜莉沙は昌之の隣に腰を下ろす。


「そのこと、ゆっくり聞かせて。その前にコーヒーショップはどこ。」


「さすが。覚えてたね。美味しい物の話は絶対忘れないか。」


「もちろん。」


 そんなわけで、亜莉沙と昌之は連れだってコーヒーショップに向かった。

 ブライトプレイスの中に出店しているコーヒーショップで、昌之の説明によるとイタリアに本店のある、世界的なコーヒーチェーン店の店らしい。

 日本初出店になる店だという。

 店の看板には、赤い背景に黒と白の文字というハイセンスな色使いで、なんだかよく解らないイタリア語の店の名前が書かれていた。


「アイスコーヒーがいいよ。」


 昌之はそう勧めた。

 亜莉沙はメニューにあるフラペチーノにも興味をそそられたが、ここは昌之の勧めに従った。

 代金は昌之が支払い、2人はコーヒーカップを手にして、またさっきのベンチに戻った。

 2人並んで座り、空や街を視界に収めながらコーヒーをすすった。フレッシュの味があまり効き過ぎず、コーヒーのコクのある香りが上品だった。

 昌之が勧めただけのことはあると、亜莉沙は心から感心していた。


 そのまま2人は並んで座り、黙ってコーヒーを飲んでいた。

 そのことに亜莉沙は特に苛立ちを覚えなかったし、そのことが不思議であった。

 この前の海部の時もそうだったが、自分をリードしようとしない男性には、亜莉沙は苛立ちを覚えてしまう。頼りない男性だと感じてしまうのである。

 それが昌之だと、そんな苛立ちを感じない。

 このまま黙ってコーヒーを飲んでいたい。それが今は最高の気分だと思える。

 亜莉沙はそうやって、言いようのない幸福感を味わっていた。


「美味しいだろ。」


「うん、最高。」


「そんなに。」


 やっと2人は会話を交わした。

 最高なのはコーヒーの味というより、今のこんな気分のことなのであったが。


「これからどうするの。」


 亜莉沙は今の幸せな気分を壊してしまうようで、気が引けたのだが、それでも聞いておきたい事でもあった。


「アメリカ行くよ。来週。」


 昌之は亜莉沙のほうを見ないでそう言って、またコーヒーをすすった。


「そう。」


「しばらく会えないね。」


「しばらく…。」


 亜莉沙にとってその言葉は驚きであった。それは嬉しい驚きであった。

 もう昌之とは別れるのだと思っていた。これが最後のデートになるのだと。だが今の昌之の言葉では、昌之は自分と別れようとは思っていないらしい。


「うん。しばらく日本には帰ってこないからね。」


「向こうで何をするの。」


「以前から知ってるカメラマンがいるんだ。まずその人のところへ行く。日本風に言えば弟子入りってところかな。」


 昌之はこの時はじめて亜莉沙のほうを向いて笑った。冗談を言ったつもりなのだと思って、亜莉沙も笑顔を作った

 これはキャバクラ仕込みの作り笑いではない。心からの笑顔だった。


「どこにいるの、そのカメラマン。」


「ピッツバーグ。」


 ピッツバーグと言われても、亜莉沙にはすぐにはピンとこない。どこかの街の名前なのだろう。社会科の地理の授業で聞いたこともあるような気がする。


「ペンシルバニア州だよ。アメリカでは東海岸になる。鉄鋼の街として有名なところ。社会科の地理で出てきただろう。」


「うん。」


 亜莉沙は思い出せなかったが、そう生返事を返す。


「まあ、行って見ると製鉄工場なんかどこにもなくて、今では鉄鋼の街なんて過去の話だけどね。

 それで今では結構、芸術の街みたいなところもあるんだ。ピッツバーグってところは。

 そこにはカーネギーメロン大学って大学がある。アメリカでは有名大学の一つなんだけど、ここには芸術学部もあって、ここで映像を学んだカメラマンや映像作家たちがいる。

 この人たちが今ピッツバーグにいて、第一線で活躍しているんだ。」


 亜莉沙は正直、昌之の言ってることの半分も理解できなかったが、それでも昌之がそのピッツバーグという街に知人のカメラマンがいて、その人のところに行くことになることはわかった。

 とにかく昌之の居場所はわかる。

 それだけで亜莉沙は安心していた。


「これからも昌之さんと連絡は取れるの。」


「今までどおり、スマホで連絡してくれたらアメリカでも問題なく通じるよ。

 …連絡してくれるかな。」


「うん。もちろん。」


 これが亜莉沙が最も知りたかったことで、これからも昌之と連絡はとれそうだった。

 その会話の後で、昌之はいきなりバックからカメラを取り出した。

 この前と同じカメラで、いかついカメラ本体に巨大なレンズが付いている。

 黙って亜莉沙はそれを見ていた。亜莉沙はあまり機械が好きではない。とくにこんな巨大でグロテスクな機械には、嫌悪感すら感じることがある。

 しかしこのカメラには違う感覚を持っていた。昌之のカメラだからなのだろう。カメラは男性的で筋肉質で、競技場に向かうグラディエーターのように引き締まっている。

 昌之は黙ってそれを操作したり、空に向けたりし始めた。何かいい被写体を見つけたのかもしれない。


 こういう時は黙っているものだと思って、亜莉沙は昌之を見ていた。マッチョなカメラは昌之の横顔と重なって、今までに無い力強い印象を昌之に与えている。

 これから戦いに赴くグラディエーターのように。

 うっとりとその姿を見つめている亜莉沙だった。

 何も言わないでカメラを扱っていた昌之は、しばらくしてそれを膝の上に置いて亜莉沙の方を見て微笑んだ。


「ごめん。ちょっと夢中になってしまった。」


「…ううん。

それよりアメリカに着いたらすぐに連絡してね。羽田から連絡して。

 あっそうだ、私羽田まで見送りに行く。」


「いいよ、そこまでしなくても。」


 昌之は照れ草そうだった。

 その後も亜莉沙は見送りに行くとねだったが、昌之は頑なに固辞した。

 亜莉沙はこれまでの人付き合いの経験から、引くべきタイミングは知っているつもりだったので、昌之が嫌がっていると考えて、そこで羽田での見送りは諦めた。


 それでもいい1日、いいデートだった。亜莉沙にはそう思える日だった。

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