第16話 しないんですか? えっ!

 かなり困ったことなのだが、海部はラブホテルのシステムをほとんど知らなかった。


「昔、家内と行った、連れ込み旅館なら解るんだが。」


 などとムチャクチャな言い訳をする。

 それなので亜莉沙がいろいろ海部に教えてあげなければならない。パネルの写真から部屋を選ぶシステムでは、亜莉沙が部屋を選ぶことになった。


「エリカさんは、よく知ってますね。」


 海部は何気なく言った。

 亜莉沙を褒めたつもりだったのかもしれないが、ラブホテルのシステムをよく知っていることは、それほど誇れることでもない。

 海部と亜莉沙はエレベーターに乗り込むと、海部は興奮した様子で、よく聞こえない小さな声で何か言ったり、突然ハハハと笑いだしたりで、それを聞いていた亜莉沙は、ここに来たことを少々後悔する気持ちになってきた。


 もっとも、海部はいくら元気があると言ってもかなりの老人で、もし何かトラブルめいたことが起きたとしても、すぐに逃げられると思ってはいるのだが。

 エレベーターの外に出ても、亜莉沙は自分で部屋を探さなければならなかった。

 亜莉沙が選んだ部屋のドアは、エレベーターの斜め前にあった。

 ドアを開いて亜莉沙が先に入り、その後から海部が入ってきた。


 照明をつけると、狭い部屋の真ん中に広大なベットが置いてある、その脇にテーブルと椅子が2脚置いてある。いつものラブホテルである。

 亜莉沙はそのままバックをテーブルに置いて、椅子に腰を下ろした。


 さすがにこれ以上、海部をリードするつもりはない。

 海部の方は、なにやら困った表情で、胸に両手をあててこするような仕草をしている。

 亜莉沙は黙ったまま笑顔を向けた。


「いやあ…、来てしまいましたね。」


 こういう言葉にどう返事をすればいいのか。亜莉沙は黙ったままである。

 つまりそのまましばらく、海部は立ったまま困ったような表情で、しきりに体をこすったりし、亜莉沙は椅子に座ったまま、笑ったりすることになった。


 この場合、困るのは女性のほうだと亜莉沙は思う。

 さすがにラブホテルで男性をリードした経験は無い。とはいえ海部が何かしてきそうな感じも無い。


「どうしましょうか。」


 そう言われても、どうしていいのか解らない。


「どうするんですか。」


 亜莉沙は少しいらいらしてきてそう言った。

 口調が少しキツかったかもしれない。海部はあわてたように亜莉沙に誤った。


「すみませんね。」


「いえ、いいんです。」


 まったく…、一体これはどういう会話なのだろう。

仕方が無い。亜莉沙からモーションをかける。


「しないんですか。」


「えっ。」


 海部は驚いたような顔をする。今更驚かれても困る。

 亜莉沙は諦めた。こちらからリードしないといけないようだ。


「服を脱ぎましょうか。」


 海部はますます驚いた表情になる。


「いやぁ、エリカさんは大胆ですなぁ。」


 自分が大胆なのではない。海部が何もしないだけだ。

 亜莉沙は上着を脱いでハンガーに掛けた。ネックレスを外してバックに入れる。ついでにスマホをマナーモードに設定する。


 見ると海部は棒立ちになっている。

 この人、服も脱がせてあげないといけないのかしら。亜莉沙は少々呆れてしまっていた。

 そもそもこの老人とホテルに来たのも、失恋を癒したいという理由が大きい。今の亜莉沙の心には、ぽっかりと空洞が空いている。昌之を失った喪失感はそれほど大きかった。


 こういう喪失感を埋めるのはセックスに限る。

 今までも失恋した時は、いろんな男とホテルに行ったりしたものだった。それはいわば疑似恋愛にすぎなかったが、それでも結構、心の空洞は埋められたものだった。

 そして今日、一緒にやってきたこの老人で、自分の心の空洞は埋められるのだろうか。

 亜莉沙はちょっと心もとない気分である。


「あっ、お金払わないと。5万円でしたね。」


「あとでいいですよ。それより準備してください。」


「あっ、準備ね。…準備。」


 海部はいそいそと上着を脱ぎ始めた。

 ようやく自分も服を脱がないといけないことに気付いてくれた。とにかくこの老人の、着替えの手伝いみたいなことをしなくて済むだけでも有難い。

 亜莉沙はすでにブラジャーとパンティだけになっていた。

 普通これは男性が脱がすものなのだが、海部がそれをしそうになかった。


「シャワー浴びてきますね。」


 亜莉沙はそのままバスルームのドアを開いた。


「それじゃ、それまでに脱いでますからね。」


 背後で海部の声がした。

 シャワールームで下着を外し、軽くシャワーを体にかけた。

 体が温まると、いらだちが少し収まってきた。


 ま、おじいちゃんだし。

 そう思うと寛容な気持ちになってきた。約束の金をすぐに払おうとしたのも、律儀で真面目な人柄をうかがわせる。

 亜莉沙は音羽の祖父のことを思い出してもいた。祖父もいいおじいちゃんだった。こういうお年寄りは大切にしないと…。

 体に塗ったボディソープが落ちると、亜莉沙はシャワーを止めた。

バスタオルを持って入るのを忘れていた。


 亜莉沙は裸のままバスルームの外に出た。

 海部はダブルベットに腰かけていた。まだラクダ色のシャツとパンツを履いている。

 亜里沙はバスタオルを探し出して、体を拭き始めた。海部はそれをじっと見ている。

 こんな老人に裸をじっと見られるのは妙な気分だ。恥ずかしいというか、なんと言うか…

 亜莉沙は海部の方に向いた。そしてバスタオルをベットに放り投げた。


「見ますか。」


 自慢の裸だった。

 乳房やくびれた腰が、湯上りの水分を含んで光っている。

 海部はじっとそれを見ながら、かすれた声を出した。


「エリカさん。あんたは素晴らしい。」


 心底感心しているのが、その言葉の調子から解った。

 海部は慌てたように自分のシャツとパンツを脱ぎ始めた。そして脱ぎながらまた言った。


「まるで観音様のようだ。」


 初めて聞く褒め言葉だった。

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