第33話 亜里沙と恋人同士になりたい
「お母さん、ひどい。」
そう言う亜莉沙の顔は笑っていた。母を本気で怒ってはいなかった。
「お母さんを恨むなよ。そうさせたのは僕なんだから。」
昌之も笑いながら言った。
2人は場所を変えて、修学院大学の近くのカフェに座っていた。
亜莉沙はすっかり落ち着いて、どうして自分があの神社にいることを知ったのかと昌之に聞いたのである。
それに対する昌之の返事は、実は昨日、音羽家に電話をかけて、自分が無事であること。亜莉沙に会いたがっていることを、母の莉恵子に伝えていたのである。
その時は、もちろん亜莉沙の居ない時間帯だった。
その会話の中で、亜莉沙が毎日、大学前の神社に願掛けをしていることを知ると、昌之は「では明日そこに行くことにします。」と答えたのである。
「それまで亜莉沙さんには黙っていてください。ドラマチックな再会にしたいので。」
「ドラマチックねぇ。まあいいですけどね。」
そう答えた莉恵子の声は笑っていた。
こうして先ほどの再会が演出されたというわけだった。
亜莉沙は母に腹を立ててないわけでもなかったが、昌之と再会できた喜びで、すぐにそんなことは忘れてしまった。
それにしても昌之は変わったと思う。内面では無く、見た目がである。
日本を離れる前に昌之に会ったのは、どれくらい前のことになるだろう。それほど以前のことではないはずだが、昌之は一瞬でそれとは解らないほど変わっていた。
まず髭を生やしていた。
髭面と言う程ではない、口の周りにきれいに刈り込んだ髭の形を作り上げている。
それからほおがこけてしまっていた。
以前の昌之は、ほおが少しふっくらしていた。童顔と言ってもいいくらいの顔だったが、ほおが落ちてさらに髭のおかげで、かなり精悍な顔面になっていた。
さらに体も全体に痩せていた。入院していたのだから、その時に痩せたのだろうが、以前にくらべてかなり野性的な印象になっていた。
それでも優しい瞳の光は、変わらない昌之のそれだった。
「亜莉沙はどうしてた。」
亜莉沙は昌之に近況について話をした。
とはいえ、相変わらずの学生生活の話ばかりで、特に報告できるようなことは無い。
当然のことながら、海部隆一郎のことは言ってないし、キャバクラのバイトの話もしない。もっともキャバクラは最近ほとんどやっていないのだが。
玲子の話はしてみようかと思ったが、ちょっとためらわれた。あまり友人や後輩のプライベートを話す必要はない。
「彼氏出来なかったのかい。」
昌之のその言葉に、亜莉沙はカチンと来てしまった。
「彼氏って。」
「…だから、亜莉沙の彼氏だよ。」
「私に彼氏が出来るってどういうこと?」
昌之は答えなかった。
「私のこと、彼女だと認めてくれてないの。」
「いやそういう意味じゃないんだけど。」
「じゃあどういう意味なの。」
亜莉沙は突っかかった。このことは、軽く受け流していいことではない。昌之が自分をどう捉えているか、かなり重要なことになる。
「昌之さんは、私をどう思ってるの。彼女とは思ってないの。」
「いや、そういう訳じゃ…
ただ、僕らはまだ恋人同士とはいえないだろう。」
「そうなの。昌之さんは私のこと、恋人だとは思ってくれてないってわけなの。」
亜莉沙はやたらと食い下がった。
「また、泣きますよ。」
「…困ったな。」
昌之は亜莉沙の反応を、冗談なのか本気なのか受け取りかねて、困っているようだった。
「でも、恋人同士になってないというのは事実だろう。」
亜莉沙はやっと、昌之の言っている意味がわかった。
「つまり、私たちは恋人らしいことをまだしていないって、そういう意味。」
「まあ、そういうことだな。」
やっと昌之は自分の言いたいことを言ってくれた。
「墜落しながら、地面に叩き付けられると思う直前に、そう思ったんだ。
亜莉沙とはまだ恋人同士じゃないなって。」
「そうよね。」
「…うん。」
「でも、女の方からは言いにくいです。」
もっとも亜莉沙は援助交際の時には、いくらでも女のほうから誘っている。
「亜莉沙と恋人同士になりたい。」
「喜んで…。」
「そうか。では週末にでも、もう一度会わないか。場所は…。」
「今日、そうしたい。」
昌之は苦笑いした。
「今日はこれから大学だろう。」
「もう、今日はいいです。昌之さんにも会えたし、大学には行かないつもり。休みにするわ。」
「授業は? 単位落としたりしないかい。」
「大丈夫よ。」
単位がかかっている授業もあったような気もしたが、もう今日はそれはどうでもいいことだった。
「じゃあ、場所を変えよう。」
昌之はその「場所」に行くために、松葉杖を取り上げて立ち上がった。
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