第35話 3人はそれぞれに
亜莉沙にとっては嬉しいことだったが、昌之はしばらく日本に留まることにしたらしい。
怪我が完治しないといけないし、何より父と母が再度のアメリカ行きに反対しているので、説得しなければならない、というのが昌之の説明だった。
それなので、亜莉沙は昌之と今までになく頻繁にデート出来ることになった。
昌之は亜莉沙とのホテルに行った日の後で、父と母に亜莉沙との交際について話をしたらしい。
これまで黙っていたことについてひと悶着あったらしいが、昌之はあまり詳しいことを言わなかった。
「親父に亜莉沙のことを話した。全部。」
昌之はそれだけ言って、そのまま空を見上げた。この言葉は亜莉沙にではなく、昌之が愛してやまない空に向かって話しているとでも言うように。
「お父さんはなんて?」
「怒ったよ。それで俺も言い返した。亜莉沙のことを愛している。それと、これからの人生は自分の思う通りに生きたいって。」
「…昌之さん。お父さんのこと親父って言ってる。」
「そうだったかな。」
「そうよ。今までお父さんって言ってたもん。」
昌之は少し笑った。
「アメリカ行って、ちょっと向こうの空気になじんできたかな。言い方がラフになってきた。」
若い亜莉沙にも、その時昌之と父との間に、今の話程度ではない深い会話があったのだろうと言うことは想像できた。そしてそれは、他人である自分が分け入ってよい領域ではないことも解る。
この若さにしては深すぎる亜莉沙の社会人経験が、息子と父の間の関係に深入りするのは、僭越なことだと教えてくれていた。
だが、昌之のさばさばした表情から、その会話は決して悪い結論へと昌之父子を導いたのではないことも、よく判った。
「大人になったのね、昌之さん。」
亜莉沙は声に出さないでそう言った。
昌之が童貞だと告白した時、亜莉沙はその幼さに驚いたものだったが、あの日からたいして日にちが経っていないのに、昌之が急に成長したように感じていた。
そしてそんな昌之を愛していると心から思えた。
それにしても、これからは大っぴらに会うことが出来るのは、間違いないらしい。これは亜莉沙にとっては、単純に嬉しいことだった。
それから亜莉沙の学生生活も、今まで通りに続いている。
白石舞美も、辻本雄介との交際は順調なようである。
亜莉沙が舞美の恋の話にあんな反応を見せたことで、舞美はあまり辻本雄介のことを亜莉沙に話さないようになっていた。
ただ2人の友情は完全に元通りになったと言っていい状況もあって、少しずつ舞美は、自分の恋の話をしたりするようになってきた。
辻本と舞美の関係は、辻本の家庭には全くバレていない。それどころか最近、舞美は辻本と一緒に旅行に行ったりしているらしかった。
税理士の辻本には大阪に顧客がいて、月に1回程度、大阪に出張する。それに合わせて舞美が同行する形で、一泊旅行で京都に行ってきたのだという。
「これ京都の写真。」
そう言って舞美が見せてくれたのは、2人で並んで写っている写真だった。舞美のiPadで撮った写真ではなく、辻本のデジカメで撮ったもので、プリントされた写真である。
場所は亜莉沙も修学旅行で行ったことのある清水寺で、京都市街をバックにして2人並んでいる。
辻本もラフな格好だし、舞美も表情を崩して辻本に腕をからめている。愛し合う恋人同士の楽しい旅行の雰囲気が、写真の中にオーラのように漂っていた。
亜莉沙の倫理観は、舞美の恋を認めるようになってからも相変わらずで、辻本雄介が妻も子供もある男なのだと思うと、この楽しげな写真にも言いようのない嫌悪感を感じてしまう。
この男は、自分の2人の子供たちを騙している。そう思うだけで不潔な男だと思ってしまうのだ。
その時、亜莉沙はあまり見ないでこの写真を舞美に返したものだ。
それにしても舞美は恋上手な女だとつくづく思う。
舞美は美しく、男たちは彼女とホテルに行くために5万円の金を払う。舞美も自分の「価値」がわかっていて、決して自分を安売りしたりしない。
だが一方で、舞美は美しさの力、愛の力の限界をよくわかっているのだ。
辻本と愛し合っているといっても、その家庭を壊して辻本を自分のものにしてしまえるほど、愛の力は強くない。自分の美貌にはそれほどの魔力は無い。限界があるのだ。
それを舞美はよくわかっていた。
だから辻本との恋も、おそらく妻にはバレないか、バレても修羅場にならないで収めてしまえるだろう。そして舞美が望むように、辻本雄介からいろいろなことを吸収して、自分自身はいい女になっていくのだろう。
亜莉沙には自分には出来ないことだと思いながら、舞美の恋を見守っていくつもりだった。
風俗店を紹介してあげた錦織玲子も、自分が勤めているイメクラが性に合っていたのか、ずっと続けている。
セックス好きの玲子には、ぴったりのバイトだったのだろう。玲子は「ヴィーナス女学院」の売れっ子になっていた。
今では「ヴィーナス女学院」のゴールドキャストというものになっているらしい。玲子によれば、売れっ子のキャストの女の子がなるもので、普通のキャストより待遇が良くなると言う。
「特典がいろいろあるんですが、やっぱりバイト料や指名料が上がるのがいいですね。」
スイスのビジネススクール留学の費用も貯まっているようで、それ以上に経済的余裕も出来てきたらしい。ブランド物などを持ち歩くようになっていた。
玲子の垢抜けない地方出身者の雰囲気は相変わらずだったが、亜莉沙は玲子を見ていると、どこかセックスアピールを感じるようになっている。
あるいは彼女が風俗でバイトしていることを知っているので、そう感じるのかもしれない。
亜莉沙は皆でダベっている時、玲子にそれをいってみたことがある。
「玲子ちゃん。最近セクシーだよね。」
その後の会話で解ったのだが、なんと玲子はいまだに処女だった。つまり男のおちんちんを挿入されたことが無いらしい。
玲子はイメクラで口や指で、男性客をイカせている。「もう、百人以上イカせてますよ。」と玲子は笑いながら言ったものだ。
最近ではテクニックを覚えてきて、高齢者でなかなか勃起しない客を、勃起させてイカせることも出来るようになったと、半ば自慢げに話したりする。
「でも私、処女は愛する人に捧げるつもりなんです。
私、価値観が保守的なんです。両親とも地元の公務員だし、生まれた家の家風っていうのか、そういうのが固いんです。
結婚したいと思える男性が現れるまで、純潔は守るべきだと思ってるんです。
まだ私にはいないけど。」
玲子は彼女特有の生真面目な表情になって、そう言ったものだ。
それから、亜莉沙自身にも大きな変化があった。あの海部隆一郎のことだった。
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