第14話 26番さん、ご指名です。

亜莉沙は1人で取り残されていた。


 相変わらずあとの4人は、出て行った舞美にも残っている亜莉沙にも眼もくれない。

 少し落ち着いてきたこともあって、亜莉沙はあとの4人を観察した。

 大学生くらいの年齢に見える子が3人で、少し年上のように見える女性が1人。もちろんスーツを着ているからそう見えるだけで、実年齢はわからない。

 それでも平日の夜だから、勤め帰りに寄っているのかもしれない。

 大学生くらいの年齢の子たちの1人は、やたら少女っぽい服で、スカートも長い。髪をおさげにしていて、いわゆるオタクの雰囲気を身にまとっている。


 上手い子。

 亜莉沙はそう思う。こういうタイプの子は、キャバクラでもよく見かけるが、それなりに男性にモテるのである。こういうオタクタイプの女の子を、純朴な子と受け取る男性がいる。

 その女の子はマンガに熱中していた。

 あとの3人も女性誌を読んだり、マンガを読んだりしている。スマホをいじっているのは亜莉沙だけだ。

 考えてみると、亜莉沙は女性誌もマンガもほとんど読まない。立ち読みはかっこ悪いし、なにより女性誌もマンガも高い。女子大生の経済状態ではおいそれとは買えない。

 修学院大学の女子大生で、買ってまでしてそれらを読んでいる子はほとんどいない。

 ここにはそれが置いてあるから、いいチャンスなので読んでいるということなのだろう。

 たぶんこの子たちの、出会い系カフェに来る動機の一つがそれなのかもしれない。

 ここなら無料でマンガも女性誌も読める。ドリンクとお菓子も飲み放題、食べ放題なのだ。男たちに興味が無くてもかまわない。「ご指名」されても断ればいいのである。

 店のほうも、女の子が少なかったり1人もいなかったりすれば、客が来なくなる。たとえマンガやお菓子が目的の子であったとしても、誰も来ないよりは客寄せパンダで誰か来てくれたほうが、都合がいいのだ。


 そこまで考えると、亜莉沙は少しは気が楽になった。

 自分に「ご指名」が無くても、ここで女性誌やマンガを読んで、ドリンクを飲んでお菓子を食べていればいい。店もそれであっても歓迎しているはずである。

 ほどなくして舞美が帰ってきた。


「どうだった。」


「断ったの。交渉不成立。」


「なんで?」


「ホテル1回で3万円って言ったの。私、1回5万円でないと行かないって言ったんだけど。」


 舞美は表情を変えずに言った。


 亜莉沙は内心苦笑いする思いである。舞美は自分の価値をよく知っている。

 亜莉沙も援助交際の相場が、ホテル1回で3万円だということは知っている。女子高校生などの少女や、ルックス次第では2万円になる。

 それ以上は、女の子も要求しないのだ。男たちは、たかだか援助交際の女の子にそんな大金を払わないことはよく解っている。

 だが美貌の舞美は強気だ。

 彼女は自分の価値をよくわかっている。舞美のためなら、援助交際1回で5万円を払う男たちがいるのである。


「それで終わり?」


「あったり前よ。3万なんて…。」


 舞美はちょっとプライドを傷つけられたようだった。相手の男が自分の美貌に3万円しか値段を付けず、譲らなかったことにである。

 また黒服が顔を出した。


「26番さん。ご指名です。」


 亜莉沙だった。 

 ちょっと行って来るねと、今度は亜莉沙が舞美にささやいてカーテンから出た。

 狭い通路に出ると、一歩ほどの距離に別のカーテンが下がった入り口があった。


「初めてですよね。あの向こうに男性の方がいらっしゃいます。」


 黒服が顎で示すようにしながら言った。

 亜莉沙はカーテンをめくってその中に入る。

 ここが出会いスペースとされている場所だった。

 中は薄暗く、さらに黒っぽいカーテンで仕切られたスペースが2か所ある。入り口のカーテンを閉めると、中の周囲はほとんどカーテンで囲まれたようになる。

 2か所あるスペースは、閉じたカーテンが床まで届いてない。そのうちの一つから、男物の革靴とズボンの裾が覗いていた。

 黒服は何も言わなかったが、もう一つのスペースには誰も居ないので、この男性が自分を「ご指名」した男性ということになる。


 入り口のカーテンが閉められると、その男性のいるカーテンが中から開いた。

 中は携帯電話ショップの接客スペースのように、高い椅子2脚が小さなテーブルを挟んで向かい合っている。

 男性がその椅子の一つに腰かけていた。

 男性は特に何も言わないで、笑いかけたのか、それとも引き攣っているのかわからない表情で亜莉沙を見た。男性も少し緊張しているのだろう。

 亜莉沙も少し照れ笑いのような笑顔を浮かべて、男性と向かい合って座った。


 男性は40代くらいで、髪をきれいにセットし、上下のスーツにネクタイをきちんと締めていた。

 こういう場所でもネクタイを緩めない男性は、生真面目な人が多い。亜莉沙はキャバクラ経験からそう思った。カモれるかもと、少し期待する。

 男性は相変わらず複雑な笑顔を浮かべている。


「いくらならホテル行ける?」


 いきなりそう男性は聞いて来た。


「いくらですか。」


 亜莉沙も答える。ここで戸惑った反応を見せると侮られる。


「…えっ、いや、じゃ3万円で。」


「それだけ?」


 舞美に援助交際を申し出た男と、同じ人物なのかもしれないと思った。


「足りない?」


「ぜんぜん。」


 少し男性は黙った。


「いくらならホテルに行くの、君は?」


「もっと欲しいです。」


 男性はここで少し呆れた表情を見せた。


「じゃ、いいよ。さっきの子といい、今の女子大生はスレてるよな。こんなことで値段の交渉したりして、純粋さが無いんだよな、まったく。」


「もういいですか。」


 そう言って、亜莉沙は椅子から腰を上げた。そしてそのままカーテンの外に出た。

 舞美の横に座ると、スマホから顔を上げた。


「どうだった?」


「お断り。多分いまの人、舞美と同じ人よ。」


「じゃ、たった3万。」


「うん。」


 会話はそこまでだった。

 亜莉沙は少し気持ちを落ち着かせようと、女性誌を取りに行き、それを膝に広げた。


「亜莉沙。あのカウンターに座ってみない。」


「えっ。」


「マジックミラーの前に座るのよ。向こうの男が顔を近くで見られるから、ご指名が多くなるよ。」


 亜莉沙はご指名されたいとも特に思わなかったが、舞美が立ち上がったので、自分も立ち上がりカウンターの前に座った。

 カウンターにはパソコンが3台置いてあり、2人はその前に座って、ネットを立ち上げた。

 舞美は少し薄笑いを浮かべている。

 いつもこの手を使っているのだろう。

 亜莉沙もパソコンの画面を見たが、どうしても意識は目の前のマジックミラーにいってしまう。


 この鏡を挟んだすぐ向こうで、男が自分を見ている。

 そう思うと、なんだか不気味というかくすぐったいというか、不思議な感覚を覚えて、やはり薄笑いを浮かべてしまう。

 男たちは、この鏡の向こうで自分の顔を至近距離から見て、何を思っているのだろう。

 

 突然、マジックミラーからどすんという音が響いた。

 何かがマジックミラーにぶつかった音だった。いや「何か」ではない、向こう側に群がっている男たちが立てた音であった。

 亜里沙は以前テレビのドキュメンタリー番組で見た、南の島の巨大トカゲを思い出していた。

 海岸に横たわるエサとなる動物の肉塊に、数匹の巨大なトカゲが群がって喰いちぎっている。その眼には何の感情も理性もなく、冷たい本能のみが宿っている。本能が巨大なトカゲたちを肉塊に群がらせていた。

 マジックミラーの向こうにいる男たちもそうなのだ。

 本能のままにオスとメスとを遮っている薄い鏡に群がっている。その眼は感情も理性もなく、本能だけで光っている。

 そして目の前にいるメス、亜里沙自身に喰いつき喰いちぎりたい。

 そのはずだった。


 すぐにカーテンが開いて、黒服が顔を出した。


「26番さん。ご指名です。」


 亜莉沙だった。

 舞美は何も言わないで、眼で亜莉沙に合図した。ほら、私の言った通りでしょ。無言でそう言っているのが解る。

 亜莉沙はすぐに立ち上がって、カーテンに向かった。

 同じスペースに入ると、やはりカーテンの下からズボンの裾と靴が覗いている。靴はビジネスシューズでは無く、ズボンの裾もスーツではなさそうであった。


 今度はカーテンは自分から開かなかった。

 亜莉沙は「すみません。」と小声で言いながら、カーテンを開いた。

 中には頭の禿げた老人が座っていた。

 髪は全く無く丸坊主にしている。小じわが多く、薄暗いその場所でも70歳くらいに見えた。

 着ている服も、普通のズボンに安手のジャケットを羽織っている。

 老人はびっくりしたように亜莉沙を見た。


「ああ、あなたね。」


 初めて見たように、老人はそう言った。

 さっき鏡の向こうで見ていたくせに、何言ってんのよと思うと、亜莉沙はなんだか可笑しかった。


「座っていいですか。」


 亜莉沙もそう言って、相手の返事も待たずに椅子に腰かけた。

 老人は人のよさそうな笑顔を浮かべて、目の前に座ってしまっている亜莉沙を見ながら「いいよ。」と返事をした。

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