第21話 見つけてくれたのは


 初めてクロードに会ったとき、その夜はフェリシアの歓迎会が開かれた。

 主役であるために、クロードと二人で踊る機会もあったのだが。

 そのときフェリシアは、クロードにこう言ったのを覚えている。


 ――わたくし、あまりダンスは得意ではありませんの。相手に合わせるのって、どうも苦手なんです。


 はたしてあの優秀な王太子は、この言葉を覚えてくれているだろうか。

 いや、間違いなく覚えていることだろう。

 なぜなら、何度かそれでからかわれたことがあるからだ――。





(さて、結構踊ったわね。ダンスの苦手な私を探しているのなら、間違いなく彼の視線はダンスホール以外に行くはず)


 実のところ、フェリシアは別にダンスが苦手なわけではない。でも、好きでもなかった。

 あのときそう言ったのは、つまりそういうことである。

 それを持ち出してからかわれたときは、その認識を訂正してやろうかとも思ったが、訂正しなくてよかったと今なら思う。


(それで、クロード殿下は……)


 ――今どういう状況かしら。

 そう思ってちらりと視線を移したら、彼は群がる蝶たちと楽しそうに会話していた。


「……」


 パキッ。

 手に持っていた軽食用のクッキーが、音を立てて粉々になる。

 ちょうど通り過ぎようとした給仕係から、果実酒を奪い取った。


(あ・の・お・と・こ・はぁ……! 本当に賭けをする気があるの⁉︎)


 なんだか今日は怒ってばかりいる気がする。

 その原因を、本能の自分はすでに分析し終えていたが、理性の自分が認めようとはしない。

 サラとの問題がなくなったのだから、本当はもう何の気兼ねもなくクロードの許に嫁げるのだろう。

 しかしフェリシアは、今まで愛情のない家で育ってきた。愛とは裏切るもので、愛とはいずれ壊れていくものである。

 それに引き換え、植物はいい。裏切ることはない。自分次第で色んな姿を見せてくれる。

 しかも、今までそれを生きがいとしてきたフェリシアにとって、クロードの許に嫁ぐというのは、つまりこの生きがいを手放すことを意味している。だってまさか王太子妃が土いじりなんて、周りが許すはずもない。

 生きる理由を失ってまで、はたして嫁ぐ意味はあるのだろうか。

 しかも祖国の顔を立てなければと、そう思えるだけの恩が、情が、祖国にあるわけでもない。

 

(私ってこういうところ、本当にアイゼンお兄様と似てるわ)


 情の薄いところが。

 薄情なのだ、基本的に。そんな自分が嫌だと思うのに、18年もこれで生きてきたから今さら変えられそうもない。

 ようは、逃げているのだろう。

 それは自分でも分かっていた。サラとの問題がなくなった今も婚約破棄を願うのは、生きる理由を失って、もしかしたら好きかもしれない人に、いつか捨てられるかもしれない未来が怖いからだ。

 だから今回の賭けは、フェリシアの踏ん切りをつけるためである。

 自分で提案した、自分のための賭け。

 どこまでいっても自分のことばかりで、やはり嫌気が差す。

 それでも――。


「失礼、レディ。もしよろしければ、私と一曲いかがですか」

(! ……フレデリク・アーデン)


 予想外の人物からの申し出に、フェリシアはにこりと笑みを作った。

 正直、小説の中での彼についてもあまり知らないので、フェリシアのフレデリクに対する印象は"寡黙な人"だ。

 サラとはよく話しているところを見かけるが、他の人間とはあまり話しているところを見かけない。

 よって、彼がダンスを申し込んでくるなんて、かなり、かなーり、怪しかった。

 

(まさかもう殿下に正体がバレた?)


 こっそり窺ったクロードは、いつのまにやらどっかのご令嬢とダンスを踊っている。


「…………ええ喜んで!」

(もう分かったわ。あの人、賭けをする気なんて最初からなかったのね!)


 だからあんなに余裕そうに笑っていたのかと、ようやく納得した。

 差し出されたフレデリクの手を取ると、フェリシアは憤懣やるかたなしとばかりにダンスホールへと歩み出す。


 フレデリクとのダンスは、しばらく無言の状態が続いた。これが普通の殿方なら失格だろうが、相手はあのフレデリク・アーデンだ。彼が寡黙なのは知っていたことだし、他のご令嬢たちだったらその野性味溢れるイケメン顔を間近で拝めるだけで満足だろう。


(まあ私の好みではないけれど)


 顔の好みだけで言えば、クロードがどんぴしゃだ。フレデリクのように男味溢れる顔ではなく、男も女も魅了できそうな、中性的な美貌。小憎たらしい性格でなければ、もしかしたら理想的な男性だったかもしれない。

 といっても、今さら小憎たらしくないクロードなど見せられても、フェリシアは逆に気味悪がって近づこうとはしないだろうが。


「これは、もしもの話なんだが……」


 ふいに、フレデリクが口を開いた。

 それまでは唇を真一文字に引き結んでいた彼だから、まさか話しかけられると思っておらず、ちょっとだけ目を瞬く。


「はい、もしもですわね。何ですか?」

「もしもあなたが、その、銀の姫ならば」

(銀の姫……⁉︎)


 ――え、髪色のこと? 

 フレデリクの口から到底出そうにない呼び方に、フェリシアはついまじまじと彼の顔を凝視してしまう。

 彼自身も違和感を感じていたのか、罰の悪そうに視線を外した。

 けど、話を止めるつもりはないらしい。


「銀の、姫、ならば。どうかそのまま聞いてほしい。そしてもし違うなら、頭のおかしな男の独り言として、聞き流してもらって構わない」

「……分かりましたわ。どうぞ、お話くださいませ」

「ああ。まずは、あなたに謝罪を。あなたは自分が毒に侵されながらも、サラ様や殿下の安全を優先してくれた。しかし俺は、そんなあなたを捕らえようとしてしまった」


 フェリシアは相槌を打つでもなく、黙ってフレデリクの言葉を聞いた。


「それだけではない。サラ様の幸せを優先するあまり、あなたを疎ましく思っていた時期もある。だが、それが全て自分の勘違いだと知ったとき、俺は自分の未熟さを知った。……クロード殿下には、こてんぱんにしごかれたよ」

「まあ、クロード殿下に?」


 これには何気なく口を挟んでしまった。


「ああ。『おまえはもう少し、頭を柔らかくしようね』と。あれはちょっと思い出したくないな……」


 国一の強者と呼ばれるフレデリクをもってしてそう言わしめるということは、よほど恐ろしい目に遭わせられたのだろう。

 しかもおそらく、精神的に。クロードがやるなら、絶対に身体的ではなく、精神的にるものだと確信できる。


「それは……ご愁傷様ですわ」

「いや、申し訳ない。話がズレたな。だからこそ、あなたには感謝を伝えたい。自分がまだまだ未熟であることを、あなたが教えてくれた」

「それは買い被りですわ。というより、偶然の産物ではなくて?」

「そうかもしれない。でも、そうだとしても感謝している。それに……」

「?」


 ぼんやりと目許を赤く染めたフレデリクに、珍しいものでも見たと、フェリシアはこれ以上ないくらい目をまん丸と開けた。

 なにこのギャップ、と少しだけ見惚れてしまったことは秘密だ。


「それに、自分がどうしてサラ様にあんなに過保護だったのか、ようやくその理由が分かったんだ」

「……え? え、え、えぇー⁉︎」

「そんなに驚くものか?」


 ――驚くものよ! 

 そう叫びたいのをなんとか堪え、フェリシアは目の前の相手をキッと睨む。危うくステップを間違えるところだったではないか。


「むしろ、今まで気づいてなかったのですか? ご自分のお気持ちに?」

「……まさか、そう言われるということは、あなたは気づいていたという……」

「気づきますわよ! 誰でもっ」


 まさに「ガーン」という効果音が付きそうなくらい、フレデリクが顔を青くした。

 だからフェリシアとしては、最初はフレデリクの一方的な片思いだと思っていたわけなのだが。


「がっかりですわ、フレデリク・アーデン。あなたそれでもクロード殿下の側近ですか。びっくりするくらい主とは真逆の鈍感ですわね」

「うっ……」

「殿下があなたに頭を柔らかくするよう仰った気持ちがよく、よ〜く分かります。わたくしでも言いたくなりますわよ、その鈍感脳」

「くっ……そ、それ以上はやめてくれ。さすがに俺も……」

「何を仰いますの。これくらい序の口でしてよ。あなたの鈍感が、一人の女性を悲しませていたんですから。それで? 今日は男性が女性に想いを告げるのにとても絶好な日なのですが、まさかこの期に及んで何もしないわけ――ありませんわよね?」

「……も、もちろんだ」

「そう、安心しましたわ。ちなみに目星は」

「つけている。一目見れば十分だ」


 それは頼もしい。そこはちょっとキュンときた。自分が言われたわけじゃないけど。


「では、健闘を祈りますわ」


 そう言って手を離そうとしたフェリシアだったが、なぜかフレデリクが離すまいと力を入れてくる。

 不審に思っていると、彼はまるでお気の毒と言わんばかりの表情で。


「一つ。クロード殿下は、あなたが思うよりも厄介な人だ。あの方は、一度気に入ったものは何が何でも手放さない。それがましてや、一度は叶わないと諦めたものならなおさら。……気づいているか分からないが、使用人の嫌がらせの件、クロード殿下はわざと使用人たちに服毒なんて恐ろしい罰を与えようとした。だがあれは、それを聞いたあなたが使用人を助けようと動くことを分かった上で、彼らがあなたに恩を感じるように仕向けたんだ」

「!」

「あの方は、気に入ったものを手放さないためなら、自分の評判すら気にしない。逆に言えば、あの方をそんなふうにさせられる人間になってしまったら、もう逃げられない」

「……つまり、何が仰りたいの?」

「失礼ながら、俺ではあなたを見つけられなかった。俺にこうしてあなたに謝罪と感謝の場を設けてくれたのは、クロード殿下だということです――フェリシア王女」

「!」


 今度こそ、手が離れる。

 と思ったら、その空いた手をすぐさま別の人間に取られた。

 まるで儚く壊れやすいものにでも触れるかのように、その手は優しくフェリシアを引き寄せた。


「さて、浮気はこれでおしまいだよ――フェリシア」



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