第18話 聖女の御心


「あ、あのぅ、王女殿下……?」


 クロードがひらりとヴェールを上げて、一瞬でフェリシアの唇を奪っていったあと。

 残された使用人たちは、みなが戸惑いの中にいた。

 クロードは上機嫌で部屋を出て行くし、フェリシアはフェリシアで石像のように固まってしまったのだ。この状況で放置プレイはちょっと辛いものがある。

 しかしこの状況で公開プレイも辛いものがあった。


「〜〜さいっっあくだわ! なんなのあの人⁉︎ 信じられない! 人前でなんてことするのよ⁉︎ みなさんもそう思わなくて⁉︎」

「「「え……」」」


 いきなり話題を振られて、全員が困惑した。

 それもそうだ。というより、そんなことを言っている状況ではなかったはずだ。

 けど、キスを、しかもファーストキスを他人に見られたのは、そういうことに免疫のないフェリシアにとっては許しがたいものだった。

 そう、毒を盛られるよりも。


「なにを考えてるの、あなた方の王太子殿下は⁉︎ 人前であ、あんなことなさるなんて、普通考えられないわ! それともシャンゼルでは普通なの⁉︎」


 そう訊かれると、普通ではないという答えしかない。

 しかしフェリシアは答えなど求めていないのか、襲ってくる羞恥を誤魔化すように口を動かし続けた。


「だいたいクロード殿下はサラ様と恋人ではなかったの⁉︎ ――どうなのそこのあなた!」

「ひっ。あ、えっと、そう認識して

「そうよね⁉︎」


 興奮しているフェリシアは、指定したメイドが過去形で語ったことなど微塵も気づいていない。


「だったらあの方は浮気性もいいところだわ! あんなにかわいいサラ様を手に入れておきながら、他の女にも手を出すなんて……みなさんは許せますの⁉︎ ――はいそこのあなた!」

「え、俺⁉︎ え、えっと、王女殿下もきっとお綺麗だと……」

「はい、今はそんなお世辞はいりません! わたくしのヴェールの下を見たら、間違いなくそんなこと言ってられないわよ」


 これはいったい何が始まったのだろうと、集められた使用人一同思う。

 確か自分たちは、殿下に毒で殺されるか王女殿下に死刑宣告をされるか、そのどちらかの状況下にいたはずだ。

 それならあの恐ろしい殿下によって盛られる毒で死ぬよりも、正直さっさと殺してもらったほうが楽である。

 まさか王女殿下もクロード殿下のように毒殺刑とか言わないですよね、と必死に祈っていた最中だったのに、今は誰もが予想していなかった事態に陥っている。


「あーもうっ、そもそもこのヴェールがいけなかったのかしら⁉︎ これをしていたから、みなさんはわたくしの顔が分からなくて、わたくしがとてもお二人の邪魔ができるような美しい女ではないと思われなかったということね⁉︎」


 恥ずかしさのあまり周りが見えていないフェリシアは、その勢いのままヴェールを剥ぐ。

 素顔を知られてしまったらダレンの許に通えなくなることなど、このときのフェリシアはちっとも考えていない。

 それくらい、クロードからもたらされたキスに動揺してしまっている。

 薄いけれど、思いのほか柔らかかった彼の唇。人の唇というのは、ちょっと触れただけでもこんなにドキドキしてしまえるものなのかと、一種の戦慄を覚えるほど。

 つまり、ヴェールが剥ぎ取られたフェリシアは、その顔を年頃の少女らしく真っ赤に染めていて。


「「「――っ⁉︎」」」

(((誰だこの美少女は⁉︎)))


 もれなく全員の心をさらっていった。

 




 ヴェールを剥いですっきりしたのか、これでどうだと言わんばかりの目で、フェリシアは使用人たちを見渡した。

 目が合った者の中には、途端フェリシアから視線を外す者もいて、やはり自分の見た目は人の言う美人ではないのだと改めて認識する。


「みなさん、素直に仰ってくれて構わないのよ? 姉や妹から散々醜い顔と言われてきたんだもの。今さら何を言われても傷つかないわ」

「いえ、恐れながら王女殿下」

「なにかしら?」

「その、とても私どもでは、王女殿下のご尊顔が醜いとは思えないのですが……」

「ああ……それもそうね。そんなこと言ったら罰せられるかもしれないものね」

「いえ、そうではなくて……っ」


 勇気を振り絞ってみんなの心を代弁した侍女の一人が、何一つ言いたいことが伝わっていないと感じて項垂れた。

 フェリシアは不敬罪に当たるという意味で「醜いとは思えない」と言われたのだと思ったが、彼らはその言葉のまま、純粋な意味で言っている。

 まさかフェリシアの捻くれた性格が、ここで威力を発揮しようとは。


「まあいいわ。とにかくこれで分かってくれたわね? わたくしは殿下とサラ様の恋路を邪魔するつもりは微塵もないの」

「そ、そのことに関してはっ……そのことに関しては、我々の大きな間違いでした。許されるとは思っておりませんが、もう二度と、出過ぎた真似はいたしません!」


 私もです。俺もです。

 と、後に続く声が絶えない。

 フェリシアはそれを訝しむように首を傾げながら、どういうこと? と口を開いた。


「どの辺があなた方の間違いなの?」

「聖女様は、今回のことをご自分のせいでもあると言って、その胸の内を明かしてくださいました」

「聖女様が真に想っていらっしゃるのは、護衛騎士のフレデリク様だと」

「王女殿下が目覚められたあかつきには、王女殿下にもこのことをお伝えしてほしいと承っておりました」

「……はい? ちょっと待って。誰が、誰を、想っているって?」


 突然の爆弾発言に、フェリシアは目を点にした。

 今、なんだかとってもありえない展開を聞いた気がする、といっそのこと耳を塞ぎたい気分である。


「ですから、聖女様の想い人は、騎士のフレデリク・アーデン様なのです」


 嬉しくもない二発目の爆弾が投じられた。

 今度はさすがのフェリシアも、その意味をしっかりと理解する。


「どういうこと⁉︎」

「大変申し訳ございませんでした!! 我々は全員、見当違いの勘違いをしておりました! 王女殿下におかれましては、そのお怒りは最もと……」

「違うわよ! 怒ってなんかないわ! むしろあの毒は今までのなかで一番効き目がよかったから何の毒か教えてほしいくらい気に入ったわよ!」


 え……? と、全員が間抜けな顔をする。

 しかしそれに気づくことなく、フェリシアはぶつぶつと続けていた。


「おかしいわ……だって小説では……。ああいえ、百歩譲って小説とは違うのだとしても、あのお二人は傍目から見ても仲がよかったではないの。あれで恋人ではないというの?」

「はい、ありえません」

「――ひっ」


 思考に沈んでいたフェリシアの横から、ぬっとライラが存在を主張してきた。

 今まではあまり喋らない侍女だと思っていたけれど、どうやら今日はよく喋るようだ。


「クロード殿下が本当にサラ様を愛しているのなら、常にあの笑顔を保つことはありえません」

「それはどういうこと?」

「殿下は幼少時より、感情を殺すことを強制されてきました。あの方が笑顔で怒っているときや、笑顔で他の感情を示してくるときは、大抵が意図的に行なっていると思ってください」

「つまり、相手にそう見えるようにわざと感情を作っているということ?」

「そのとおりです。逆に、殿下ご自身でもコントロールできない感情が露わになるときは、必ずといっていいほどそのお顔から笑みが消えます。心の底から笑うときだって、それまでの作り物の笑みとは比べものにならないほど、周囲の人間を虜にしてしまうのです」

「……それは怖いわね」

「ええ、大変恐ろしかったです」


 ライラが過去形で頷いたのは、実際にその場面があったからだ。

 実は、フェリシアがダレンの許に通うとき、彼女の護衛としてライラもこっそり後をついていっていた。もちろんクロードの命令で。

 だからライラは知っている。フェリシアと過ごすときの主が、心の底から笑みを浮かべていることを。そしてその笑みを偶然目にしてしまった診療所の患者たち(男女問わず)が、一瞬にして主の虜になっていたことも。

 おそらくそれにはダレンも気づいているだろう。そんな患者たちを見るたび、いつも遠い目をしていた乙女趣味の医師を思い出す。


「ですので、あの方がサラ様と恋人というのは、ただの噂に過ぎません」

「……ちょっと待って。その口ぶりからすると、あなたは最初からそれを知っていたように思えるわ。でもライラも……」

「はい。殿下のご命令とはいえ、今まで嫌がらせをされていた王女殿下を助けることもせず、大変申し訳ございませんでした。私も彼らと共に処分を受けるつもりです」

「殿下の、命令……?」

「はい」

「それは、どんな命令だったのかしら?」

「殿下はご自分の噂をご存知でしたので、それを危惧して王女殿下の周りに注意するようにと。早々に嫌がらせが発覚したときは、私に潜入捜査を命じました」


 つまりなにか、クロードはかなり早い段階で使用人たちの嫌がらせを把握していたということになる。

 しかも潜入捜査ということは、ライラにはあたかも使用人たちとグルですと思わせるような行動を取れと言ったに違いない。

 

(別に……別によ? 嫌がらせを止めてくれればよかったのに、とは思わないわ。それくらい自分でなんとかできなければ、どこの国の王宮でもやっていけないものね。ええ、分かるわ。でも、でもね?)


 ――せめて少しくらい、自分に何か言ってくれてもよかったんじゃない⁉︎

 内心の叫びは、ぎゅっとシーツを握った拳が物語っている。血管が浮き出ていた。


「ふふふ、そう。では殿下は、何もかもお見通しだったということね。それであえて何も対策を講じず、果てはこんな事件を引き起こしたということ……?」


 ヴェールのなくなったフェリシアだ。その目がだんだんと据わっていく様が、誰の目にも明らかだった。


「いえ、一つ訂正させていただくなら。殿下は何も対策を講じなかったわけではありません」

「あら、何かしてくれたの?」

「はい。食事が運ばれない王女殿下を心配して、週に一度は夕食を共にするよう手配なさいました。殿下のスケジュール上、その間隔が精一杯だったのです」

「あら、では殿下は、使用人に虐められてかわいそうな婚約者に、一応施しは与えてくださっていたということね? ……ふふ、馬鹿らしい」


 フェリシアの捻くれた性格が顔を出す。

 なんだかとっても惨めな気分だった。

 フェリシアが使用人からの嫌がらせを誰にも言わなかったのは、確かに取るに足らない部分もあったけれど、使用人からそんなことをされるような女だとは知られたくなかったというところもある。

 なのにクロードは、最初からそれを知っていた。

 知っていて、あえて何も言ってこなかった。

 ならば今回の事件、彼とて同罪だとフェリシアは思う。

 もし、彼が何か対策をしてくれていたら。

 ここまで使用人たちが暴走することもなく。

 悪いタイミングが重なってしまった、今回のような悲劇が起こるはずもなかったのだ。


「いいわ。おかげでみなさんの処遇が決まったわ。そういえばシャンゼルでは、そろそろお祭りの時期だものね――? ふふふ」


 これがただの八つ当たりだとは、怒りに染まったフェリシアでは悲しいことに気づけなかった。


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