第19話 聖イレーネ祭
シャンゼル王国とは、瘴気が発生し、魔物が存在し、他国とは一線を画する異端の国である。
だからこそ、それらを唯一浄化できる力を持つ聖女は、とても尊い存在とされている。
が、実はその聖女も、最高位ではなく、神の御使いとされているのだ。
そして、同じ人間なのに祭りも楽しめない聖女を不憫に思い、遠い昔の人々が始めた祭りがある。
それが聖イレーネ祭だ。
イレーネとは、初代聖女の名前である。
つまり、この祭りの起源はおそらくそのときだろうと歴史家は踏んでいた。
きっと、その
(とても優しい人だったのね、その人は)
街はたくさんの花や飾りで覆われ、メインストリートにはイレーネの絵が花で表現されている。
この日は街だけでなく、王宮も祭りの賑やかさに彩られていた。
なんといってもこの祭り、もともとが聖女も楽しめるようにという目的で始まったものだ。
その一環として、この日だけは女性が全員、仮面を被ることを強制されている。そうすることで、この日ばかりは全員が聖女となり、女性は神のものとなるのだ。
そうして誰が誰だか分からない中で、初代聖女は、歴代の聖女たちは、思う存分羽目を外せたことだろう。
やがて、最初はそれだけだった聖イレーネ祭も、時代を重ねるごとに色々な意味が追加されていく。
現代版聖イレーネ祭は、女性が仮面を被ることで聖女に扮し、神のものとなるところまでは同じだ。
だが男性は、その神のものとなった女性を、唯一の方法を用いて自分のものにできるようになった。
「ロサリーナ。君が僕のロサリーナだ! これを受け取って結婚してくれ」
王宮の回廊。そこかしこに仮面をつけた女性が歩いており、男性はそんな彼女たちを慎重に眺めている。
この光景に段々見慣れてきたフェリシアだったが、まさか自分に祭りの名物とも言える"
とりあえず、全くと言っていいほど見当違いな女に求婚している男が手に持つ一輪の赤薔薇を、容赦なく手折ってやった。
「ノ゛ォォオ‼︎」
回廊に男の悲鳴が轟く。
周りの男性からは同情の眼差しが、女性からは侮蔑の眼差しがさっきの男に注がれている。
「容赦ないですね」
「容赦をしてどうするの。だってわたくしはあの方のロサリーナではないのだもの」
後ろに付き従うライラからの淡々とした感想に、フェリシアも淡々と返す。
そう、この祭りには、現代版聖イレーネ祭として、名物の
男性は仮面をつけた女性の中から自分の恋人を探し出し、この人だと思った女性に一輪の赤い薔薇を渡す。このとき女性の名前を言うのがルールだ。
そして女性側は、その名前が自分と一致していれば、差し出された薔薇を受け取る。
逆に違ったら、先ほどのフェリシアのように薔薇を折るのだ。つまり、男性たちのチャンスは一度。その一度の求婚が、神のものとなってしまった女性を自分のものにできる、唯一の方法である。
女性としてはやはり、このときに自分を見つけてもらって求婚されたいという思いがあり。
男性としては、間違えられない極度のプレッシャーゆえに、なかなか油断できない祭り。
いわば聖女である女性のための祭りである。
そしてフェリシアもまた、郷に入っては郷に従え、仮面を被っている。蝶を模した青いそれで、顔半分を隠していた。他にも、目立つ銀髪は栗色のカツラの中にしまっている。
ちなみに、彼女の後ろで付き従うライラも、フェリシアと全く同じ仮面、同じ髪色で装っていた。
それだけではない。この王宮で働く一部の人間が、みな同じ仮面、同じ髪色で揃えられている。
「さあ、これで見つけられるものなら見つけてみなさい、クロード殿下!」
フェリシアの高らかな笑い声が響いた。
どうしてこんなことになったかというと、事はあの毒殺未遂事件にまで遡る――。
「――決めたわ、あなた方の処遇」
フェリシアがそう言った途端、しんと部屋が静まり返った。
集められた使用人たち全員が、まるで死刑を宣告されると知っている罪人のような面持ちで俯いている。
そんな彼らに向かって、フェリシアは。
「聖イレーネ祭で、わたくしに協力なさい。そうすれば、あなた方のやったことは全て水に流しましょう」
「……え?」
到底信じられないと言わんばかりの沈黙が流れた。
ぽかーんと口を開けたのは、何も一人だけじゃない。その場にいたライラを除く全員が、間抜けな顔でフェリシアを凝視している。
「あら、言っておくけれど、これは重大な任務よ? まず女性はわたくしと同じ仮面をつけて、わたくしのふりをしてもらいます。いいですか、このときばかりはわたくしの口調、声、仕草、全てを真似なさい。そして男性は、わたくしと同じ仮面を着けているものには決して求婚しないこと。さらにクロード殿下の邪魔をすること」
自分の要求を一気に伝えていくフェリシアに、周りは困惑してばかりだ。
つまり、王女殿下は何がしたいのだろうと。
「あの、王女殿下。そんなことをして、いったい何をなさるおつもりですか?」
「簡単なことよ。わたくしはクロード殿下との婚約を破棄したいの。でも、ただ破棄するのではつまらないでしょう? ええ、散々こちらに恥をかかせてくれたのだもの。思いっきり向こうも恥をかくべきだわ……!」
このとき、やや暴走気味のフェリシアを止めたのが、クロードの部下であるライラだ。
「お待ちください、王女殿下。なぜ婚約破棄をなさるのでしょう。サラ様との問題は、解決したのでは?」
「してないわ! サラ様はまあ、いいのよ。気にしてないわ。恋する乙女心が分からなくもないから。けれどね、あの方はどうなの? あの人、今まで何度も何度も噂を否定する機会があったくせに、一言もそんなことは仰らなかったわ! きっとわたくしが噂に翻弄されているのを見ながら面白がっていたのよ! 影で高みの見物だったのよ!」
乙女心を弄ぶなんて許せない!
そんな彼女の心中は、荒れに荒れていた。
しかし冷静なライラは、ここで思う。翻弄されていたのかと。
噂のことなど全く気にしてもいなさそうだったフェリシアだが、実は翻弄されていたのかと。
これを自分の主が聞けば、飛び上がって喜ぶのではないだろうか。実際フェリシアに飛びつきそうである。
これがもしも本当にクロードを嫌っての婚約破棄だったなら、ライラはまた顔色を青くしていたに違いない。
なにせ、以前ライラが「王女殿下は噂を鵜呑みにして身を引くそうです」とクロードに伝えたとき、それはもう泣く子も黙るというより永眠しそうなくらい、怒りのブリザードを吹雪かせたのだ。あれの再来だけはやめてほしい。
でも、今回は違う。違うようだと、フェリシアの怒る姿を見て思う。
ぷんぷん頬を膨らませてはいるが、微笑ましいのは気のせいか。
ついでにそれを見て、同じように使用人たちも和んでいるのは気のせいか。反省しているのだろうか、彼らは。
まあ、何はともあれ、今回は王女殿下の好きにさせてあげようと思ったライラである。クロードの一番の被害者は、紛れもなく彼女なのだから。
「いいこと、みなさん! ということで、わたくしは聖イレーネ祭でクロード殿下に賭けを持ちかけます。殿下がわたくしを見つければ殿下の勝ち。見つけられなければわたくしの勝ち。わたくしが勝ったら、晴れて婚約破棄よ! せいぜい違う女性に求婚でもして、大恥をかくといいわ!」
「なるほど、分かりました。では、誠心誠意、お手伝いさせていただきます。全ては王女殿下の御心のままに」
ライラが頭を下げると、他の使用人たちも一斉に頭を下げる。
それを満足そうに見やって、フェリシアは勝ちを確信した瞳で微笑んだ。
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