第20話 ゲイル・グラディス


 クロードに賭けのことを伝えたら、彼は面白そうに二つ返事で了承した。まず、これが気にくわない。

 あまりにもあっさりと了承されてしまったので、確認の意味も込めてもう一度条件を提示してみたら。


『うん、分かってるよ。楽しみだね』


 と、やはりクロードは笑顔で了承した。気にくわない。

 何が気にくわないって、フェリシアが何を言っても眉一つ微動だにさせない笑みで全て首を縦に振ることだ。

 これではまるで、フェリシアごときが何を画策したところで意味がないと言われているようで、かなり腹立たしい。勝てる絶対の自信があるのか、はたまた勝っても負けてもどちらでもいいと思われているのか。

 あの微笑みをぜひとも崩してやりたいと思った瞬間である。


「サラ様、準備はできまして?」

「フェリシアさん! あ、あの、私も本当にいいんですか……?」

「いいに決まってますわ! そもそも聖イレーネ祭は聖女様のためのお祭りですもの。あなたが楽しまなくては意味がないわ」

「うぅ〜、ありがとうございまずフェリジアざあ゛ん」

「ちょ、ちょっと、何で泣くの⁉︎」


 フェリシアは慌ててハンカチを差し出した。愛くるしい少女から零れる涙はめちゃくちゃ良心が痛む。それでなくても、実は年下だったと分かった彼女に泣かれると、年上としては情けなく感じてしまう。


 あの毒殺未遂事件によってサラの胸の内を知ったフェリシアは、彼女にも今回の賭けのことを話した。

 フェリシアへの罪悪感で塞ぎ込んでいた心優しい彼女にも、幸せになってもらいたかったからである。


「というより、何度も言ってますでしょう? あなたは悪くないわ。そうよね、それが乙女心ってものだものね」

「フェリシアさん……!」

「あんな噂が立って、しかも相手が王太子殿下だから、フレデリク様には言うに言えなかったのよね。言ったとしても、あの生真面目な方のことだわ。きっと遠慮して本心を教えてくれなそうじゃない?」

「そうなんです! 実はそれとなく、噂を否定してあなたのことが好きなのって言ってみたことがあったんですけど、やっぱりフェリシアさんの言う通りのことになっちゃって……」

「まあ。サラ様凄いわ。頑張ったのね」

「そう、私、頑張ったんです……っ。でも、でもぉお……」

「馬鹿な男ですのね、フレデリク様って。ほんと、男ってろくでもないわ。そう思うとわたくし、まともな男性に出会ったことがないかもしれないわね」


 唯一性格がまともだろうダレンは、すでに男を捨ててしまっている。


「でも、それでもサラ様はフレデリク様がいいのでしょう?」

「はい……!」

「では、あなたは幸せにならなければ。わたくしのせいでそれが壊れてしまっては、わたくしが罪悪感でトリカブトを食べてしまいそうよ」

「と、トリカブト……? ってあれ、どっかで聞いたことあるような……?」

「そちらは毒草です、サラ様。ちなみに、王女殿下がそう言った場合、本当に食されてしまうので絶対に幸せになってください」


 ライラが最後の後押しとして付け加える。

 というより、ライラとしては後押しでもなんでもなく、ただの事実を述べただけである。ダレンの許に通う、ひたすら趣味に走るフェリシアのことも知ってしまったライラは、彼女がどういう人間か痛いほど理解してしまった。

 

「ど、毒草⁉︎ あ、そうだ、なんかの漫画で読んだんだっけ。あれ? でもそれ、普通に死んじゃうやつじゃないですか⁉︎ 絶対食べちゃ駄目ですよ、フェリシアさん!」

「大丈夫よ。あなたが幸せになってくれるなら」

「……それ、ずるいです」

「仕方ないわ。だってわたくし、当て馬あくやくですもの」


 ふふ。と艶然に笑うフェリシアは、悪女とも、女神とも取れる顔をした。

 それに見惚れていたサラだったが、すぐにフェリシアとライラ、そしてサラの侍女たちによって祭りの衣装に着替えさせられていくのだった。





 全ての準備が整ったわね、と。フェリシアは待ちに待った舞踏会会場にいた。

 この祭りのフィナーレは、王宮で開催される舞踏会だ。

 王侯貴族たちはそこでパーティーを楽しみ、平民はそれぞれの街で開かれるパーティーを楽しんで締めとなる。

 そして、名物の"求婚"が最も多くなされるのが、このパーティーのときだった。

 フェリシアもフェリシアで、一日中逃げ切るのは疲れると踏んで、クロードにはこの舞踏会のときという制限を伝えている。まあ、それでもやっぱりあの男は余裕綽々と微笑んでいたのだけれど。

 とにかく、これからやっと本番が始まるのだ。

 

「ではライラ、パーティーの間はわたくしから離れていてね」

「御意」


 というのも、ライラは平均より小柄である分、体格で彼女だとバレてしまう可能性が高いからだ。

 そしてライラが付き従う者なんて、この王宮では二人しかいない。

 

(さて、)


 祭り仕様に飾られたホールを見渡した。

 街もそうだったように、ホールの至るところに花が飾ってある。というのも、初代聖女イレーネが、とにかく花好きで知られるからだ。

 求婚の際、薔薇の花が送られるのは、イレーネが一番愛した花であるからだともされている。

 一応花言葉自体にも「私はあなたを愛しています」というものがあるので、これは好都合だと昔の人は思ったのかもしれない。しかし逆に、だから「私はあなたを愛しています」という花言葉が生まれたんじゃないかという説もある。

 そんな会場ホールでは、仮面をつけた女性が煌びやかなドレスを揺らし踊っている。男性は恋人を見つけるため、目ぼしい女性にダンスを申し込んでいるようだ。

 また相手のいない男性も、今日ばかりは女性の身分を気にしなくていいので、自分の気に入った女性に気楽に声をかけて楽しんでいるようである。

 フェリシアは、その中にいる自分と同じ仮面をつけた女性たちに、さっと視線を走らせた。

 これはフェリシアも驚いたことだが、なんと嫌がらせに加担していた女性というのが、自分で思っていたよりも多かったのだ。

 なので、今年の舞踏会はちょっと異様な光景だった。

 しかも、嫌がらせに加担していなかったはずの女性たちの中には、噂を聞きつけてフェリシアに協力したいと自ら志願してくる者がいた。


(まあ、そういう方は十中八九、王太子妃の座を狙っている方々でしょうけれど)


 フェリシアのこの予想は、はたして当たっていたと言える。

 だから協力して、ぜひとも婚約破棄をしてくれということだろう。

 

(ええ、もちろん期待に応えてみせますわ)


 目が合った協力者たちと、どちらともなく頷き合う。

 次に、協力してくれる男性たちの位置を把握し、その中の一人の許に、フェリシアは近づいていった。


「青い蝶の仮面が素敵なお嬢さん、俺と一曲どうですか」

「あら、それはどなたのことかしら。同じ仮面の女性が多くて分からないわ」


 これはちょっとした意地悪だ。すると。

  

「はは、意地悪を言わないでください。困ってしまいます」

「それもそうね」


 相手が眉を垂れ下げてそう言うものだから、フェリシアもすぐに冗談を引っ込める。

 彼はフェリシアの協力者だ。あの毒殺未遂事件の、毒味役だった男。なんと男爵家の三男だった。

 二人手を取って、ダンスの輪の中に加わっていく。


「それで、首尾はどうかしら」


 せっかくの祭りだというのに、雰囲気も何もない話から始まった。

 しかし男も気にすることなく、すらすらと答える。


「いや、びっくりするくらい上々ですよ。次、ターンが入りますから、そのあと俺の右側から後ろを覗いてみてください」

「分かったわ」


 言われた通りターンがきて、不自然にならない程度で顔を覗かせた。

 その先にいたのは、今回の賭けの相手、クロードだ。

 彼の周りにはたくさんの女性たちがいた。フェリシアと同じ青い蝶の仮面が一番多いけれど、中にはそうでない仮面を身につけた女性もいる。

 おそらくこれを機に、一度でいいから王太子殿下とダンスをしたいと望む女性たちだろう。普段は身分なんかもあって、なかなか殿上人と踊れない女性が、ああして身分の高い男の周りに集まることがある。

 それもまた、この祭りの醍醐味だ。


「……まさに両手に花ね」

「あれ、なんか怒ってます?」

「怒ってないわ」

「あ、今殿下、美女っぽい人に声かけられて鼻の下伸ばしたような……」

「‼︎」


 一度視線を外したのに、またクロードがいるだろう場所に視線を持っていった。すると。


「ぷっ」


 頭上から、とっても聞き捨てならない笑い声が落ちてくる。


「今のはどういう笑いかしら、ミスター・グラディス」

「いや、すんません。なんか思ってたのと違うなあって。あ、もちろん良い意味でですよ? もともとどんな人だろうと興味はあったんですけど……」

「そう。わたくしも思っていたのと違って驚いているわ。あなた、そんな軽い感じの人だった?」

「そりゃあ仕事中はかしこまりもしますよ。俺はしがない男爵家の三男ですからね。仕事がなくなれば、生きるのも難しい」

「だからあんな毒味役も引き受けていたの?」

「あ、それはちょっとした興味もあって」

「……興味?」

「毒とか昔から興味あったんですよねぇ。何度か当たったことあるんですけど、あの感覚はたまりませんね。生きてるって感じがして」


 途端、仮面の奥の碧眼が、期待に満ちた輝きを増した。言わずもがな、毒に反応したのだ。


「あなた、毒に興味があるの?」

「あ、すんません。女性にする話じゃ……」

「いいえ、いいえ! 素晴らしいわ! わたくしも毒や薬草には多大なる好奇心をくすぐられる性質タチよ。今まで食らった毒の中で一等素晴らしかったのは、あの毒殺未遂の毒ね」

「マジっすか⁉︎ ちょっとちょっと、そんなこと聞いてないっすよ、おう……お嬢さん」

「当たり前よ。そんなこと公言して歩く女がどこにいるの」

「それもそうですね」


 いつのまにか毒談義に花を咲かせ始めた二人は、周りもびっくりするくらいの意気投合ぶりを発揮した。

 それもそうだ。二人とも、なかなか他人には理解してもらえない趣味をお持ちのようなのだから。

 分かり合える相手なんて片手にも満たない。


「やだ、ミスター・グラディス。あなたがこんなに話の分かる人だとは思わなかったわ」

「それは俺もですよ。まさかお嬢さんがこんなに面白い人だとは。あなたがアレを食らって生きていてくれたことは、神に感謝しなくちゃなぁ」

「? 変なこと言うのね」

「いえいえ。でもま、俺、決めました」


 何を? という声は、音になる前に飲み下される。

 途端近づいてきた男の顔に、フェリシアはびっくして仰け反りそうになった。

 しかしそれを許さないとばかりに、グラディス――ゲイル・グラディスがフェリシアの腰を押さえている。


「俺、王女殿下につきます」

「……はい?」


 一気に怪訝な顔になったフェリシアに微笑むと、ゲイルは曲の終わりとともに離れていった。

 一方、彼の言いたかったことが全く分からなかったフェリシアは、まあいいか、と持ち前の無関心を発動する。

 彼女が興味を示すのは、薬草と、毒と、自分の大切な人たちにだけ。

 フェリシアは二人目の協力者に誘われて、再びダンスの輪の中に戻っていった。


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