第17話 不意打ち



 なんだか久々に強烈な毒を味わったと、フェリシアは思う。

 ぼんやり意識を覚醒させながら、彼女は冷静に自分の身体の隅々にまで意識を張り巡らせてみた。

 痺れはない。動かない箇所もない。痛みも、吐き気も、驚くほど後遺症は残っていない。


(凄いわ。さすが王宮の医師ね。あれほどの毒を食らっても後遺症一つないなんて……今度お礼ついでに色々とお話させていただこうかしら)


 フェリシアは、どこまでいってもフェリシアだった。

 周りが色んな意味で顔を青褪めさせた出来事だったが、彼女は目を覚ましたその瞬間から通常モードである。

 しかしその通常モードが早くも崩れ去ったのは、ライラによってフェリシアの目覚めを聞いたクロードたちが、この部屋にきたときである。


「フェリシア、よかった。どこもおかしなところはない? 相当強い毒だったと聞いたから、かなり苦しかっただろう?」

「いいえ、そうでもありませんわ。慣れて――」

?」

「? ……そ、そうですわね?」


 ベッドで横になったまま上半身だけ起こすフェリシアの隣に、椅子に座ったクロードがいる。彼はフェリシアの手をしっかりと握り、いつもの笑みとはちょっと違って、悲しそうな表情でフェリシアの顔を覗き込んできた。

 もちろん、ライラにお願いしてヴェールを被せてもらっているので、どれだけ覗き込まれてもフェリシアの表情は見えないだろうが。

 もし見えていたら、フェリシアは不敬罪で罰せられるのではないだろうか。

 だって、頬は完全に引きつっていた。


「やっぱり、苦しかったんだね。恐ろしい思いもしたんだろうね? なにせ、もう少しで死ぬところだったんだから」

「そう、ですわね……?」

「毒を盛った犯人は目下捜索中なんだけど、その一端を担った者たちなら連れてきたんだ。煮るなり焼くなり、毒を盛るなり好きにしていい」


 クロードがそう言った瞬間、部屋に入室するなりずっと平身低頭だった使用人たちが、一様にびくりと肩を揺らした。

 それだけじゃない。今までも、クロードが「苦しかったよね?」と訊いてきたり、「もう少しで死ぬところだったんだ」と言ったりしたときも、彼らは面白いくらいぴったりと揃って身体を震わせていた。

 クロードもクロードで、それを分かっていながら言っていた部分もあるだろう。


(いったい何の茶番なの、これは)


 フェリシアが遠い目をしたのは言うまでもない。

 部屋を埋め尽くさんばかりに集められた使用人たちは、顔見知りもいれば知らない人間もいる。

 最初はそんな彼らにどう反応すればいいのか分からず放置したが、クロードが話題に上げたことで無視もできなくなってしまった。

 なるほど、どうやら自分に嫌がらせをしていた使用人たちかと、聡い彼女は思わずため息をつきたくなる。

 しかも、いまだに労わるようにフェリシアの手を握っているクロードが、どこか愉しげに自分を見つめてくるところも面倒だった。

 彼はいったい何を企んでいるのだろう。


「一端、ということは、彼らも毒を盛った人間の仲間ということでしょうか」

「残念ながら、仲間ではなさそうだよ。君への嫌がらせとして、君の毒味だけ行わなかったと証言している。裏も取れてる」

「まあ、それはまた……」

(そんな嫌がらせもされてたの)


 全く気づいてなかったフェリシアだ。

 それもそうだろう。そもそも王宮でまともな食事を摂る機会自体が少なかった彼女である。

 しかも不幸中の幸いか、今までは毒など入っていなかった。少しでも入っていれば、フェリシアが気づかないわけがない。

 ただそれでも、フェリシアの本音を言うならば。

 正直、毒を盛った犯人でないのなら、どうでもいい。彼らは自分にだけ危害を加えようとした人たちだ。そこにクロードやサラは含まれていない。ならばやはり、どうでもいいのだ。

 彼女は自分が存外お人好しであることを、残念ながら認識していないのである。


「分かりましたわ、殿下。彼らの処分は殿下にお任せします。わたくしはもう少し休ませていただいても?」

「そうだね。それがいい。君を殺そうとした奴らなんかのために、君の手を煩わせることはない」

(? 何かしら。今さらだけど、なんだか違和感が……)


 あるような、ないような?

 それはクロードの言い方しかり。その低い声と愉しげな表情しかり。

 言い方は……そうだ。フェリシアに対して、彼はいつのまにやら砕けた口調になっている。

 そして怒っているような低い声と、愉しげな表情。これが一番おかしい。矛盾してはいないか。

 おかげで彼の後ろにいる使用人たちは、表情が見えないため、その声音だけでクロードの怒りを想像していることだろう。皆一様に恐怖に慄いていた。

 しかしクロードの表情まで見えているフェリシアとしては、彼がただ怒っているだけではないと分かる。だから不気味なのだ。

 絶対何かを企んでいる。

 そう思うと、使用人たちの処分を彼に任せてもいいのだろうかと、不安が押し寄せてくる。

 それを後押しするように、クロードとは反対側から近寄ってきたライラが、フェリシアに耳打ちした。


「王女殿下、一つ、お話できるとすれば。私も含め使用人たちは、王女殿下からのお咎めがない場合、全員クロード殿下より服毒を命じられています」

「なんですって?」


 これには大きく目を開けた。

 それはつまり、この大勢の使用人たちの命が、自分の両肩に乗っているということではないか。

 今まで他人の命を背負ったことがないフェリシアにとって、それは非常に頭を抱えたい事案である。

 確かに王族とは、国民の命を背負う立場にあるのだろう。けれど忘れ去られた王女であるフェリシアに、今までそれを実感する体験なんてあるはずもなかった。

 なにかの冗談かとクロードを窺えば、彼はさらに愉しげに目を細める。

 

(まさか、ライラにそう言うように命令したのも、この人ね……!)


 でなければ、命乞いとも取れる告げ口を、一介の侍女がするはずもない。するとしても、クロードがいないときにするだろう。

 しかしライラはクロードの目を憚ることなく、淡々と言ってのけたのだ。


(なんなの? わたくしに何をさせたいの、この方は)


 彼の意図が全く掴めない。

 改めて頭を下げ続けている使用人たちを見ると、彼らは死刑を言い渡された囚人よりも絶望した表情を浮かべている。


「……クロード殿下」

「なにかな、フェリシア?」


 その声音は、彼女が次に言うだろう言葉を分かっているかのように弾んでいた。

 それがとても気にくわない。ついでに言うなら、腹立たしい。

 けれど、結局自分は彼の予想と寸分違わない言葉を吐き出すのだろう。


「彼らの処分、やはりわたくしに任せてはいただけませんでしょうか」

「なんだい、そこの侍女に何か吹き込まれた?」

(白々しい……!)


 つい頬を膨らませてしまったが、ヴェールが隠してくれているので問題ない。


「いいえ? やはり毒を盛られたのはわたくしですし、その一端とはいえ加担した者たちです。国の法ではなく、最初にわたくしに判断を委ねたということは、表沙汰にされていないのでしょう? それではわたくしの気が済みませんもの」

「ふふ、さすがフェリシア。聡い女性は好きだよ」

「まあ、光栄ですわ。だったらお許しいただけますわね?」

「もちろんだ。彼らの処遇は君に任せよう」


 そう言って、クロードが立ち上がる。

 厄介なことを引き受けてしまったわと、息をついていたフェリシアの顎が、急にくいっと持ち上げられた。


「それでは、処遇が決まったら私に伝えにおいで。楽しみに待ってるよ、フェリシア」

「――⁉︎」


 ちゅ、と。

 掠めるだけのキスが、唇に落とされていた。


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