第16話 誰のせい?


 不測の事態が起きたのは、そのデザートを食べているときだった。

 やはり先ほどの空気を若干引きずっており、ぎこちない雑談が交わされていた。

 それから逃げるように、デザートとして出されたフルーツのタルトにフェリシアは手を伸ばす。

 果実の酸味と甘いカスタードの絶妙な組み合わせに、舌鼓を打つだろうと思われたとき。

 ぴり、と。舌が痺れる感覚がした。


「っ⁉︎」


 毒だ、と思ってからのフェリシアの行動は早かった。

 刺繍が見事なテーブルクロスを思いきり引っ張って、今にもタルトにフォークを突き刺そうとしていたクロードの目の前からそれを奪う。

 続けて隣のサラの手を無理やり掴み、タルトが口に入るのを阻止した。

 しかしフェリシアの行動の意味を理解できなかったフレデリクは、突然サラに暴挙を働くフェリシアを問答無用で取り抑えにかかってくる。

 彼だけでなく、クロードの護衛も主を守るように前に出てきた。


「血迷いましたか、王女殿下」


 ハスキーな、それでいて冷徹な声が落ちてくる。両手を男の力で拘束されて、ヴェールの下の眉根が寄った。


「血迷っているのはおまえだ、フレデリク!」


 しかし、そこに鋭い叱責の声が響く。

 先ほどと同じく怒っているような声なのに、さっきより幾分も余裕のないその声のぬしは、止める護衛を押しきってフェリシアの許に駆け寄ってきた。


「何の毒だい、フェリシア。まさか飲み込んだのか」


 その顔にいつもの笑みは乗っておらず、鬼気迫る表情だった。

 毒と聞いて、周りの人間が皆一様に騒めき出す。


「もう、しわけ、ござ……」

「いい。謝るな。――すぐに医師を呼べ!」

「は、はいっ」


 身体が痺れて言うことを聞かない。

 毒に慣れているフェリシアといえど、おそらくこれは致死量に匹敵するのだろう。懐にある解毒剤おうとざいを取り出すこともできないまま、フェリシアは意識が遠のいていくのを感じた。

 まぶたを閉じる、その間際。

 泣きそうに顔を歪めていたレベッカが、やけに印象的だった。




 フェリシアがすぐに彼女の私室へと運ばれると、そこに宮廷お抱えの医師がやって来る。

 ぼんやりながらも再び意識を取り戻していたフェリシアは、何を言われているのかは分からないが、とにかく差し出されたものを自力で飲んだ。

 たぶん嘔吐剤だろう。そう目星をつけていたので、次に出された桶の中に、込み上がるものを全て吐き出した。吐き出すことが、一番の解毒に繋がるからだ。

 今まで何度も同じことを繰り返したことがあるフェリシアは、慣れた調子で、またそれを繰り返す。

 やがて全て吐ききった彼女は、そのまま力尽きたように夢の中へと旅立つのだった。


 そんな彼女を痛々しく見守っていたのは、医師やライラが入って来るなと懇切丁寧に入室を断ったにもかかわらず、押し入ってきたクロードである。

 いくら緊急事態とはいえ、乙女心をなんと心得るか。あとでたっぷりフェリシアに文句を言われればいいと、密かに怒りを募らせるライラだ。同じ女として、思うところがあったのかもしれない。

 

「それでは殿下、私は詳しい毒の種類を突き止めて解毒薬を煎じてきますので、あとはお任せしてもよろしいですかな?」

「もちろんだよ。早急に薬を作ってくれ」

「かしこまりました」


 年老いた医師は、最後に王太子の婚約者を讃えてからこの部屋を出る。

 お聞きした手際をみるに、よほど過酷な中で生きてこられたのでしょう――と。

 でもだからこそ、毒に慣れた彼女だからこそ、命に別状はありませんとも。


「ライラ」

「は」

「レベッカを連れてきてくれるかい。それと、毒味役もだ」

「御意」


 そうして呼び出された二人は、フェリシアの寝室の隣、応接室にて深く頭を下げていた。

 その顔は血の気を失くし、気味が悪いほどに白くなっている。

 きっと、自分たちを氷の眼差しで見下ろすクロードに、今にも死刑宣告をされると思っているのだろう。

 そう思ってしまうくらいには、今回のことに心当たりがあった。


「私に何か言うことがあるね? 二人とも」

「も、申し訳ございません……!」

「それは何に対する謝罪だい?」


 先に口を開いたのは毒味役の男だった。レベッカは恐怖のあまり、まともに話すこともできなそうである。


「じ、自分は、毒味役でありながら、王女殿下の毒味を怠っておりました」

「それは、どうしてかな?」

「あ、あの、それは……」


 このとき、毒味役の男がちらりとレベッカを見た。それに倣うように、クロードもまたレベッカに冷徹な視線を移す。

 びくり、レベッカの肩が大袈裟に揺れる。

 事の重大さを、こうなって始めて気づいたといった表情だ。


「私、が……そうしないかと、提案、いたしました……」

「君が?」


 侍女ごときが? と、そんな隠れた声が聞こえる。


「も、申し訳ありません! まさかこんなことになるとは思わなかったんです! 殿下と聖女様にとって邪魔なあの方に、少し嫌がらせを……そうすれば自ら身を引いてくれると思って……っ」


 そのとき、タイミングの悪いことにこの部屋の扉が外から押し開けられた。顔をのぞかせたのは、レベッカと同じく顔面真っ青なサラである。


「そんな……じゃあフェリシアさんがあんなことになったのは、私のせい……?」

「聖女様⁉︎」


 突然の来訪者に、レベッカが絶望の声を上げる。

 毒味役の男にしてもこの世の終わりのような顔をしていた。

 ふらりと膝から崩折れそうになるサラを、すかさずフレデリクが支える。


「サラ、とりあえず中に入っておいで。そのままでは外に聞こえる」


 淡々と促すクロードに頷くこともできず、代わりにフレデリクがサラを部屋の中へと連れて行く。

 扉を閉め、一人では立っていられないサラを椅子に座らせたフレデリクは、無言でクロードの前に立った。

 そして頭を差し出すようにこうべを垂れる。


「殿下、処分は何なりと。どうやら俺はあなたを、そして王女殿下を、勘違いしていたようです」

「そうだね、フレデリク。おまえがただ噂に翻弄されていたとは思ってないけれど、一番にフェリシアを疑ったのは許せない。でも、今ここでは罰しない。あとで覚悟しておくといいよ」

「承知いたしました」

「さて、本題は――」


 クロードが再びレベッカと毒味役に意識を移す。

 今からどんな処分が下るのかと思うと、二人は身体を震わせずにはいられなかった。

 ともすれば、気絶しそうなくらいの緊張に襲われる。


「大丈夫、そう怯えることはないよ。死刑でも言い渡されると思ってる? まさか、私がそんなことを言うと?」


 まるで心外だ、と言わんばかりのクロードに、二人は少しだけ緊張を解いた。慈悲深い神のごとく穏やかな笑みが、余計に二人を安心させたのだろう。

 もしかしたら、本当に死刑は免れたのかもしれないと。

 しかし。


「残念だよ。私がそんな優しい王太子に見えているなんて。たった一人の愛しい人を目の前で殺されそうになって、そんな生ぬるい処分を私が下すと思ったの?」

「「――!」」

「フェリシアが飲んだ毒と同じものを飲んで苦しむかい? それとももっと時間をかけて、ゆっくりと死に向かう毒でも盛ってあげようか」

「あ、ああ、ああっ」

「殿下、申し訳ございません、申し訳ございませんっ。それだけは……それだけは……っ」


 レベッカは泣き崩れ、毒味役の男は床に額を擦りつけるようにして許しを請う。


「なぜ許されると思ったんだい? 君たちが嫌がらせをした相手が、王太子の婚約者であることを忘れてはいないよね?」

「も、もちろんでございますっ」

「そう。ならば、やはり苦痛を味わって逝け。おまえたち二人だけではない。関わった人間もろともだ。さあ、他の愚か者の名前を、教えてくれるかい」


 

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