第15話 予想外の展開


 フェリシアの平民への道のりは、実は着々と進んでいた。資金は申し分ない額がすでに貯まっているし、薬屋を営む上での許可証はダレンが伝手を辿って用意してくれるという。そして商売道具でもある薬草は、すでに何種類かをダレンの家の庭にて栽培中だ。

 東にしか分布しない薬草があるように、西にしか分布しない薬草もある。やはり気候や土壌の問題で四苦八苦はしたが、それだってなんとかここでも育てられそうな段階まで頑張った。

 しばらくの顧客は、ダレンだけだろう。

 でもそのうち顧客を増やしていき、グランカルストにいた頃ではできなかった、街の薬屋を営むのが夢である。王女のときはさすがに自分の店を持つことはできなかったけど、平民となれば問題はない。

 ということで、残す問題は住居と、そしてどうやってクロードに婚約破棄をしてもらうかだ。


(アイゼンお兄様から申し込んだ婚約みたいだから、こちらからは相当の理由がなければ破棄は無理だわ。そしてクロード殿下は……)


 なぜかこちらも、一向に婚約を破棄してくれる気配がない。

 というのも、彼はわりと合理的な人間で、愛する人と王妃を別に考えられる人なのだ。

 つまり、愛する人は愛する人。王妃は王妃。というように。政略結婚を淡々と受け入れてしまう人だった。

 むしろサラとの関係について燃え上がっているのは、その周囲ばかりである。


(おかしい……とってもおかしいわ。今頃当て馬の私はお役御免の万歳平民のはずなのに)


 小説での詳しい日時までは覚えていないけれど、そろそろ当て馬の王女は役目を終え、泣く泣く身を引き失恋を引きずって暮らしている頃のはずだった。

 けどどういうわけか、フェリシアはいまだにクロードの婚約者である。なんなら週に一度は夕食を共にしてもいる。

 これはまずい。一緒にいる時間が長くなればなるほど、人とは情を育みやすいものだ。


(というわけで、そもそも身を引かない私が悪いということにやっと気づいたわ)


 フェリシアは目の前にいる人物に向かって、覚悟を決めた眼差しを向けた。


「――王女殿下、今、なんと仰いましたか」

「だから、殿下に至急伝えなければならないことができたのよ。申し訳ないけれどライラ、取次ぎをお願いできるかしら」

「それは構いません。しかし私がお訊きしたのは、そのあとに王女殿下が述べられたことです」

「あと? ああ、噂を聞いて、身を引きますということ?」

「それが伝えられたいことですか」

「そうよ。何度も言ってるじゃない」


 自分の私室として与えられた応接室で、フェリシアは姿勢良くソファに座りながらそう口にした。

 口にしたあとに飲んだ紅茶は、砂糖を入れたはずなのになぜか苦く感じられる。

 ライラの隣で控えているもう一人の侍女レベッカは、隠す気もないのか、フェリシアの言葉を受けて目を輝かせていた。


「じゃあお願いね、ライラ。レベッカは準備をしてもらえる?」

「もちろんです、王女殿下」


 珍しくレベッカの返事が弾んでいる。対照的に、ライラはいつもより顔色が悪いように見えた。

 それでも一礼して下がったところを見るに、命令はちゃんと聞いてくれるらしい。


「レベッカ、今日はうんとかわいくしてね?」

「はい、任せてください!」


 どうせヴェールで隠れてしまうというのに、そう突っ込むことなくこういうときだけ笑顔で応えてくれたレベッカに、フェリシアは苦笑する。

 侍女を「現金だ」と罵ることすら、フェリシアにとっては面倒だった。





 ライラをクロードの許に遣わしたが、実はもともと今日は二人で夕食をとる予定だった。例の週一夕食会である。

 それでも先に遣いをやったのは、大切な話をするための時間を取ってもらうためだ。

 食べながら話すには、フェリシアにはどうしてもできそうになくて。

 だって嬉しくもない話をして、せっかくの料理を不味いものにするのはもったいない。ちなみに、ダレンの許に通うようになってからは、心配するダレンの手によって無理やり大量の食べ物を食べさせられている。おかげで草食生活は幕を閉じたわけだが。

 使用人たちの嫌がらせは、なおも続いていた。


(あら……? どうして私、身を引く話を"嬉しくない"と決めつけたのかしら)


 ふと思う。

 だって、遠回しに婚約破棄を願えば、平民になる夢が叶う。それはフェリシアにとっては喜ばしいことだ。

 なのに、そうやって疑問に思わなくてもいいことを思ってしまったことに気づいて、ヴェールの下の碧眼が据わった。


(しまったわ。最近ちょっと平和ボケしていたのね。なんでそんな無駄なことを考えちゃったのかしら。私らしくもない)


 決して見つけてはいけない芽を見つけそうになってしまって、慌てて思考を放棄する。脳内お花畑でいられる時間なんて、最初から用意されていないというのに。

 深呼吸をして、目の前の扉を睨むように見つめた。

 クロードとの夕食会は、いつも決まって小さな食堂で行われている。最初こそ広く豪華な食堂だったが、たった二人しかいないのに、それではなんだか居心地が悪い。

 そう思っていたら、以心伝心したように、次からは比較的小さな今の食堂を指定されていた。

 指定したのは、クロードだ。ヴェールに隠されているフェリシアの表情を、彼はまさか読み取ったというのだろうか。

 だとしたら、さすが数多の貴婦人を虜にする王太子殿下だと思った。女性への気遣いは堂に入っているらしい。

 男性使用人が扉を開けてくれる。

 目に入ったのは、いつもと変わらない風景だ。多くても五人ほどしか座れない椅子とテーブルに、刺繍が見事なテーブルクロスの上には場を彩る鮮やかな花が花瓶に生けられている。一つのシャンデリアで部屋全体が十分明るく照らされていて、奥にある白いマントルピースが可愛らしい。

 そのなかで、一つだけいつもと違う光景があった。

 いつもは上座に一人、クロードが座って待ってくれている。

 でも今日はクロードの斜め向かい側に、別の人間もいた。サラだ。


「お待たせしてしまって申し訳ございません」

「大丈夫ですよ。それに、こちらも謝らなければ。今日はサラもぜひ一緒に夕食を囲みたいということだったので、同席を許可したのですが、よろしかったですか?」


 殿は、いまだにフェリシアには丁寧な口調で話す。

 エルヴィスのときは砕けた口調で話してくれる分、に向けられるそれが寂しく感じられた。

 が、そうとは自覚しないよう、傾きかける心をフェリシアは律する。


「ええ、もちろん構いませんわ」


 他でもない王太子あなたが許可しているのに、どうしてフェリシアわたしが断れよう。そんな捻くれた思いが頭を過ぎったけれど、逆にこれはチャンスだと考える。

 今日はクロードに「わたくしは身を引かせていただきます」と告げるつもりなのだ。噂の当人たちが揃っているなら話は早い。

 

「では席へどうぞ、フェリシア」


 


 

 食前酒、前菜、メインと進んでいき、ここまでは比較的穏やかな時間が流れていた。

 基本的に会話上手なクロードが色々な話題を提供してくれるため、嫌な沈黙は一度もない。サラも楽しそうに相槌を打ち、フェリシアもまた、たまに自分の立ち位置を忘れて本気で心からの笑みを漏らしていた。


「――それで、結局犯人は誰だったの?」


 サラの明るい声が響く。


「誰だったと思う?」


 クロードが優しい眼差しで聞き返した。


「もう、そこまで言っておいてまだ隠すの? ずるい」

「ふふ。フェリシアは誰だと思いますか?」


 自然に話題を振られて、フェリシアは「そうですわね……」ともったいぶるように一呼吸置いた。

 

「おそらく、妖精の仕業ではないでしょうか」

「ふふっ」

「……え?」


 フェリシアの突拍子もない答えに、クロードは噴き出し、サラは目を点にする。

 けれど、フェリシアは至極真面目に答えている。


「この国は、妖精も存在する国だと伺っておりますわ。ですからきっと、真面目で、優しくて、お節介な妖精の仕業ですわね」

「ふ……うん、そうですね。私もそう思います」

「えぇ〜? 本当に妖精がぁ?」


 少しだけ納得していないサラは胡乱な目をクロードに向けたが、当のクロードは口許に手を当てて笑いを堪えている。

 そしてサラとは別に、そんなクロードを恨めしげに睨む者が一人。


(なるほど。やはり犯人はフレデリク様でしたか)


 彼はサラの護衛として空気のように後ろで控えていたが、このときばかりは怒りのオーラをうす〜く纏っていた。

 あまり感情が表に出ない人だと聞いていたけれど、意外にもそうではないのかもしれない。


「いや、さすがですね、フェリシア。まさかそんな答えがあるとは」


 ひとしきり笑ったあと、まだ残っている笑いを全て吐き出そうとするように、クロードが「ふぅ」と長い息をつく。

 



「――それで?」




 瞬間、空気がガラリと変わった。

 息を出し切った彼は、さっきまでと打って変わった鋭い眼差しをフェリシアに向けている。

 けど、その口端は変わらず笑みを刷いていた。


「それで、とは……?」


 あまりにも唐突に変わった彼の態度に、フェリシアは呆然としてしまう。彼の放つ威圧に押されつつ、なんとか声を振り絞って応えた。

 ヴェールがなかったら、間違いなく怯えた顔を晒してしまっていたことだろう。


「いやね、今はあなたのおかげで、私は気分がいい。だからこそ、今ならあなたの突拍子もないお話を聞いて差し上げられそうなんです。それで、私に何か伝えたいことがあると聞きましたが?」


 背筋を氷解が滑っていく。

 張り詰めた緊張が一瞬でこの場を支配した。

 隣にいるサラでさえ、ごくりと息を呑んでいる。


「あれ? 何もありませんか? おかしいですね。私はあなたの侍女に、あなたから大切な話があると聞いたのですが。それとも、侍女が嘘をついたのかな?」


 クロードがちらりと視線を動かす。その先にはライラがいた。おそらくフェリシアの伝言を話したあと、そのままこの食堂に来ていたのだろう。隅の方で静かに控えている彼女は、クロードからの視線に気づいて顔を真っ青にさせた。


「いいえ、いいえ。ライラは嘘をついておりませんわ。わたくしが、確かに伝言を頼みました」

「そう。では、どんな話だったのでしょう?」


 口調は丁寧なのに、声が。声が、突き放すような冷たさを帯びていた。

 今までどんなにきょうだいたちから疎まれて、殺されそうになっても、これほどの恐怖を感じたことはない。

 命を脅かされる恐怖とは、また別の恐怖。


「おはなし、というのは」


 ぎゅっと拳を握った。

 意図せず唇が震えて、それを落ち着けるために言葉を切る。一度唇を噛んで、深呼吸して、それから覚悟を決めて一気に話し出す。


「お話というのは、他でもありません。わたくしと殿下の婚約についてですわ。わたくしも馬鹿ではございませんので、お二人が本当はどういうご関係か存じております。それを踏まえて、潔く身を引きますわと申し上げたかったのです」


 言った。最後まで、全部言い切った。

 これでようやく自分の役目は終わるのだと、肩から力が抜けていく。


「ふぅん」


 しかしどういうわけか、この場の緊張が和らぐことはなかった。

 原因は一目瞭然だ。クロードが背もたれに背を預け、尊大にフェリシアを見下ろすように見つめているからである。

 その紫の瞳はいまだ不機嫌に細められ、フェリシアは困惑した。


(どうして? どうしてまだ、殿下は怒ってらっしゃるの? これで誰に遠慮するでもなく愛する人と結婚できるのに、なんで笑ってくれないの?)


 いや、正確に言えば、クロードは笑みを浮かべてはいる。浮かべてはいるが、それをはたして笑みと言っていいのかは謎だった。

 戸惑いを隠せないフェリシアは、助けを求めるようにサラへと視線を移す。

 するとどうしたことだろう。サラもまた、笑ってくれてはいなかった。クロードのように怒ってもいないけれど、彼女はその顔色を真っ白に、まるで自分の罪の重さを突きつけられて後悔する罪人のように、身体を震わせている。


「さ、サラ様? お顔色が……」

「っ、フェ、フェリシアさん……」


 声をかけると、恐る恐るサラがフェリシアの名前を呼んだ。

 

「ちが、違うんです。本当に、本当に違うんです。確かにそういう噂があるのは知ってました。でも、私たちは本当にそんなんじゃなくて……っ」

「サラ。いいよ、君が気に病む必要はない。これは放置し続けた私が悪いのだから。そうでしょう?」


 ――フェリシア。

 にっこりと、クロードの笑みが深まった。全身の肌が粟立つ感覚に、クロードの怒りの深さを知る。

 けれどフェリシアには、どうして彼が怒っているかが分からなかった。

 どうしてサラが「違う」というのかが分からなかった。

 

「とりあえずこの続きは、食事が終わってから私の部屋でしようか。まだデザートが残っているからね」

 

 クロードのその一言で、給仕係が恐る恐る動き出す。

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