第14話 日常

 *


 聖女のパレードが行われた日。つまり、フェリシアが「エルヴィス」と出会った日以降。

 の御方は、嬉しくないことに、三日に一度は来ると言ったそれを本当に実行してくれていた。

 毎回ダレンの家兼診療所で会うので、気になったフェリシアはダレンに訊いてみたことがある。もしかして、実は毎日いらっしゃっているの? と。

 だってそうでなければ、毎回毎回自分と会うなんておかしいのだ。

 確かにフェリシアも三日に一度の頻度で行くとは言ったけれど、彼女にだって他の用事はできる。そういった日は診療所には通わない。

 なのに、ダレン曰く。


『凄いわよぅ。フェリシアちゃんが来るときだけ、図ったように現れるの、あのクソガキ』


 と、第二の母は死んだ魚のような目をした。

 フェリシアが来ないときは、どうやらクロードも来ないらしい。

 それを聞いて、フェリシアは頭の片隅で「まさか」と考えた。まさか、自分がフェリシアだと気づかれているのでは、と。

 そう考えれば辻褄が合う。フェリシアが来るときにしか現れないという、不可解な現象の理由が。

 けれど首を横に振って、その考えを振り払った。

 もし正体がバレているのなら、それを問い詰めない理由がクロードにはないからだ。


(こんな王女らしからぬこと、クロード殿下からすれば婚約破棄のいい理由になるわ)


 そうしてサラと、本当に愛する人と結婚できる。

 

(…………)


 どうしてだろう。今、胸の奥がちくりと痛んだ。喉奥がきゅうぅと狭まって、今まで感じたことのない痛みに襲われる。


「……ダレン。ちょっと私、ハーブティーでも作ってくるわね」

「いきなりどうしたの〜、フェリシアちゃん」

「なんだか胸がもやもやするの。きっと精神が不安定なのね。落ち着いてくるだけよ、大したことじゃないわ。それよりもうすぐ午後の診察が始まるでしょう? 私はそのまま奥に籠ってるわね」

「あんまり無理しちゃ駄目よぉ?」


 心配してくれるダレンにもう一度「大丈夫」と告げてから、フェリシアは奥にある庭に出た。

 いつもはこのくらいの時間に来ているクロードは、今日はまだ現れていない。

 それでいいはずなのに、どうしてかがっかりしている自分がいる。

 でもそれは、彼から植物について聞ける時間が減るせいだと、フェリシアは自分に言い聞かせた。

 あれからこの場所で会うたびに、クロードはシャンゼルに生えている植物や、大陸の東にしか分布していない植物など、色々なことを教えてくれる。その話術も巧みなもので、どんな話題を出せばフェリシアの目が輝くか、熟知しているようだった。

 だから、最近はクロードと過ごすこの時間を、心待ちにしている自分がいて。

 他国の第二王女と王太子としてではなく、いつのまにかフェリシアとクロードとして過ごしていることに、最近になって気づいたのだ。

 ダレンもたまにそこに加わるが、彼は基本的に診察しごとがあるから、やはりそのほとんどが二人だけの時間である。

 くすぐったいような、いけないと思いつつも、ついつい楽しんでしまう時間。


「落ち着くには……ジャスミンティーがいいかしら」

「そう言いながら手を伸ばしてるのはカロライナジャスミンだよ、エマ。呼吸麻痺で苦しみたいのかい?」

「――っ」

「ジャスミンはあっちの鉢植えだよね? 珍しいね。君が花の色も違う、名前しか似ていないこれを間違えるなんて。それとも、本当に呼吸麻痺で苦しみたかった?」


 背後から伸びてきた手が、ひょいとカロライナジャスミンの鉢植えを奪っていく。

 いつのまに来ていたのだろう。クロードだ。振り返らなくても分かるようになったくらい、最近はよく聞く声である。

 彼の言う通り、平常時のフェリシアなら二つの植物を間違えない。一方はハーブティーとしてよく利用される白い花を咲かせ、一方は毒を持った黄色い花を咲かせる。それでも、毒があるカロライナジャスミンだって、正しい知識のもとで扱えば片頭痛の薬にもなる。だから育てていた。

 まあ、滅多に使うことはないけれど。


「いくら君が毒にも興味があるからといって、さすがに口にさせるわけにはいかないよ?」


 見上げたクロードは、困ったように苦笑していた。その蜂蜜色の髪が、陽にかかって眩しいくらいに輝いている。

 思わずそれに手を伸ばしそうになったのは、蜂蜜には確か疲労回復効果があったと、ぼんやり頭の片隅で思ったからだろうか。


「……エマ?」

「っ、あ、えっと」

「駄目だよ? これは渡せない。それとも、そんなに呼吸麻痺になりたいなら、私がさせてあげようか?」

「え――?」


 すっと、影が落ちてくる。

 フェリシアが驚く間もなく、クロードの美貌が鼻先にまで近づいてきた。

 ふわりと香ったのは、彼がつけている香水だろうか。さわやかで、それでいてほのかな甘さが鼻腔をくすぐる。どこか危険な匂いもするのは、きっと香水だけのせいではない。


「……拒絶、しないんだね?」

「あ、の」

「このまま本当に、呼吸困難になるまで貪り尽くしてあげようか」

「なに、言って……エルヴィス様っ、ちか、ぃ」

「どうする? エマ。このまま私に、全てを委ねてみるかい?」


 彼が今どんな表情をしているのか分からないほど、近過ぎる距離。

 でもたぶん、意地悪な顔をしている気がした。声は愉しげで、するりと頬を撫でる手は、やがて弄ぶようにフェリシアの顎のラインをなぞっていく。

 前世も今世も異性に免疫などないフェリシアは、たったそれだけのことで熟れたりんごのように顔を赤くさせた。

 するとやはりそれを楽しむように、クロードが目を細める。と。


「ごめんね。ちょっと冗談が過ぎたかな」


 意外なことにあっさりとフェリシアから離れていった。

 そして何事もなかったようにカロライナジャスミンの植木鉢をフェリシアから遠ざけて、代わりにジャスミンの植木鉢を持ってきてくれる。

 まるで肩透かしをくらったような気分だと、フェリシアはぼんやりと思った。

 思って、激しい羞恥に襲われる。


(私今、なんてことを……! 肩透かしも何もないわ! 何も……何も期待なんかしてないものっ)


 あの形の良い唇が、自分のものと重なる。よもやそんな妄想を夢見たわけではあるまい。

 自分はあくまで当て馬で、彼は騎士で、エルヴィスで。でも王太子で、クロードで、そして他のひとのもの。

 頭がこんがらがっている。色んな感情で心の中はぐちゃぐちゃだ。

 そもそも彼はどうして、こんなに自分に構うのだろう。


「はい、エマ。こっちのジャスミンで一緒にお茶でも飲もうか」


 いつもの穏やかな笑みを浮かべる彼の意図なんて、フェリシアには暴けそうもなかった。





 また別の日には。

 ダレンにおつかいを頼まれたフェリシアは、街をぶらぶらと歩いていた。

 つい半月前に聖女のパレードが行われたにもかかわらず、街はまた別のお祭りの準備で忙しそうだ。なぜなら三日前に来たときよりも、街の至るところに花や飾り物が増えているからである。

 また、王宮に続くメインストリートの真ん中には、街の人たちが摘んできた花を使った初代聖女様の絵画が着々と仕上がりつつある。

 その様子を眺めるのが、フェリシアは気に入っていた。だいたい三日おきに街には訪れているけれど、そのたびに近づく祭りへの期待でか、街のみんなが浮き足立っていくのだ。おかげでフェリシアもなんだか楽しい気分になる。

 

「こんにちは、ジゼルさん」

「やあ、いらっしゃいエマちゃん。今日もダレンとこのおつかいかい?」

「はい。どうやらダレン、ジゼルさんのパンを相当気に入ってるみたいなんです。この前なんて、切らすと腕が鈍るとまで言ってたわ」

「そりゃ嬉しいね! じゃあ今日はたっぷりサービスしてやろうかね。もちろん、エマちゃんの分もだよ」

「いいんですか? ありがとうございます!」

「じゃあちょっと待ってな」


 ダレンはここのパン屋の常連であるため、心得ている店主のジゼルは何の迷いもなく数種類のパンを袋に入れていく。

 それを待っている間、フェリシアは店内を見て回っていた。惣菜系のパンに甘系のパン、季節限定のパンもあれば、焼き菓子なんかも売っている。

 ちょうどパンが出来上がったのだろうか。焼き立てのパンの匂いが鼻いっぱいに広がり、ついお腹が鳴りそうだった。

 そこに、チリンチリンと、店の扉が開く音がした。反応したジゼルが「いらっしゃい!」と元気よく応える。

 なんとはなしにそちらに視線を動かしたフェリシアは、しかしそこにいた予想外の人物に目を丸くした。


「エルヴィス様⁉︎」


 どうして彼がここに。真っ先に思い浮かんだ疑問はそれである。


「こんにちは、エマ。ダレン医師に、こちらにおつかいを頼んだと聞いてね」

「え、まさか、それで追いかけてきたんですの?」

「駄目だった?」


 眉尻を垂れ下げながらそんなことを訊かれれば、駄目でも駄目じゃなくても、答えなんて一択だろう。顔の整った人ってずるいわと思いながら、フェリシアはふるふると首を横に振る。


「はいよエマちゃん! 待たせて悪かったね……って誰だいその人⁉︎ 無駄にキラキラしい男だね⁉︎」


 ええ、本当に。と思わず同意したくなったフェリシアである。

 そしていきなりそんな不躾とも取れる言葉を言われたクロードだが、やはりその笑みは崩れない。

 庶民のパン屋に王太子様。なんて似合わない組み合わせだろう。


「ちょっとちょっとエマちゃん! あんたの知り合いかい? ははぁ〜、あんな色男初めて見るよ、わたしゃ」

「それは当然です、ジゼルさん。あんな男性ひと、そこらへんにうじゃうじゃといたら街が混乱すると思うの」


 二人は隅でこそこそと話す。

 きっと自分のことを言われていると分かっているだろうに、それでも彼は微笑んだまま。

 

「まったく、エマちゃんも隅に置けないねぇ〜」


 途端にニヤニヤし出したジゼルに、フェリシアは嫌な予感がした。

 そしてこういう感は大抵当たるため、口許が引きつりそうになるのを必死に抑える。


「もう、恋人がいたんならさっさと言いなってんだよ。ほらこれ、彼氏の分もおまけしといてあげるよ」

「……あ、ありがとう、ございます」


 グッと親指を突き立てられ、おそらく否定しても聞いてはくれないだろうジゼルに、フェリシアは内心で項垂れた。


「それで、どこのお坊ちゃんだい。あんたもどっかのご令嬢だと思ってたけど、やっぱ婆の勘は当たるねぇ」

「ち、違いますっ。彼のほうは、まあ、騎士様なのですけれど、私は商家の娘で……」

「はいはい分かってるよ。とにかく、あんな上玉逃しちゃいけないよ。いいかい、エマちゃん。エマちゃんの場合、長続きの秘訣は"素直になる"ことだからね」

「え、え?」

「ほら、行った行った! 悪いねお兄さん、待たせちまって。彼女返すからね」

「いえ、お気になさらず。ですが、彼女は遠慮なくいただいていきますね」

「どうぞどうぞ!」


 ジゼルに肩を押され、思わずつんのめりそうになったフェリシアを難なくクロードが受け止める。

 そのまま肩を抱かれて、軽く抱きしめられるような形になってしまったのは、フェリシアにとって不本意以外の何ものでもない。

 さらに店を出てから、いまだ抱かれている肩を引き寄せられて。

 耳許で、囁かれた言葉には。


「さっき店主になんて言われてたの? 『長続きの秘訣は』って聞こえたけれど」

「べ、別に大したことではありませんわ。というより手。手を離していただけます?」

「残念だけど、それは無理な相談だ。なにせ今日の君は私が贈った帽子を被っていない。虫除けのためにも、こうして密着していないとね」

「む、虫除け?」

「そう、虫除け。それに、本当は嫌じゃないだろう? 今日くらいなってくれてもいいんだよ、エマ」

「⁉︎ な、な……本当はさっきの聞こえてましたわね⁉︎」

「さあ、それはどうだろう」


 楽しそうに笑うクロードの鼻っ柱を折ってやりたいと、このときほど強く思ったことはない。


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