web番外編

ライラの日常


 己の主が、ついに婚約者を迎えると決まったある日。

 ライラはもの凄く嫌な予感を覚えていた。それは、子供の頃からの英才教育のおかげで感情を滅多に表に出さなくなった己の主が、神官のカミールに渾身の一撃を食らいながらも喜んでいるところを目撃してしまったことから始まった。

 

「――いい加減目ぇ覚ましてくれない⁉︎ 何度僕に確認されても、グランカルストの王太子と約束を取り付けてきたのは君だろう⁉︎」


 王宮内にある神殿、その神官に与えられる私室の一つに、王太子とカミール、そしてライラはいた。

 いつもの顔ぶれと言っていいメンバーだが、昔はここによくフレデリクもいた。

 まあ、聖女が異世界から召喚されてからは、フレデリクはそっちの護衛で忙しく、あまり顔を合わせなくなってしまったが。

 とにかく、自分の部屋に押しかけてきた王太子に、カミールはずっと嫌そうな顔で受け答えしている。

 それを物ともしないのが、王太子クロードである。


「いや、そうなんだけどね? 本当に彼女が……フェリシアが私の妻になるのかと思うと夜も眠れないくらい興奮してしまって……だんだん夢なんじゃないかと思えてきて……」

「とか言いながら顔はしっかり緩んでるけど⁉︎ 誰これ⁉︎ 君本当にクロード⁉︎ どんな残酷なことも笑顔で淡々とこなすような君が、なんで婚約者迎えただけでそんなことになってるの⁉︎」


 だってこれ、政略結婚だよね⁉︎ とカミールは思った。なにせ相手は大国の姫君だ。小国であるシャンゼルをさらに発展させたいなら、その縁はとても有意義なものとなろう。

 というより、そもそもの話、友人兼乳兄弟のクロードに、恋愛結婚という言葉はあまりにも似合わない。

 しかしそれを簡単に否定してくれたのが、そのクロード本人である。


「仕方ないよ、カミール。フェリシアは私の長年の想い人だからね」

「は? 人……? 体系がふくよかなの、その王女様」

「カミール、わざとかいそれは?」

「や、だって、想い人って……はは……君が?」

「動揺しすぎじゃないかな。そんなに私に愛する人がいたらおかしいかい?」

「愛する人ぉ⁉︎」

「……」


 カミールのあまりの驚愕ぶりに、クロードはわざとらしく笑みを作った。その笑みから滲み出る無言の圧力は、正しく"怒り"だ。カミールはすぐさま姿勢を正した。


「いや、失礼。そうだよな。君にも愛する人の一人や二人……」

「二人?」

「訂正。一人だよな、そうだよな。我らが王太子殿下は、とても一途だから。だよね、ライラ!」

「私を巻き添えにしないで、兄さん」


 せっかく今の今まで気配を消して空気と化していたのに、どう見ても面倒そうなことに人を巻き込まないでほしいとライラは思う。

 道端のゴミでも見るような目で、自分の兄を睨んだ。


「おまっ……それが兄に対する態度なの⁉︎ 間違ってるよ!」

「そうだライラ。実は君には、そのフェリシアの侍女になってもらおうと思っててね。よろしく頼むよ」


 げ、と。寸前でその言葉を飲み込んだ自分を褒めてやりたい。

 ほらやっぱり、兄のせいで面倒なことになってしまった。だって自分は、本来侍女ではない。できないこともないが、本職は騎士である。それも、クロードの護衛の一人だ。

 そんな自分をわざわざ婚約者の侍女としてつけるということは、主が何か企んでいることは明白だった。

 ライラではその考えの一部でも思いつきはしないけれど、しかし確実に言えることが一つだけ。

 毎回クロードのお願い――もとい命令には、何かしら面倒がついてくるということ。

 それでも、このときの自分に「御意はい」以外の返事はない。


「それでカミール、ものは相談なんだけど」

「……クロードが……僕に……相談?」


 天変地異でも見たような顔で、カミールが呆然と呟いた。ライラも兄のそれと全く同じ顔で目を丸くする。


「フェリシアを迎えるにあたって、薬草園を造りたいんだ。確かこっちの庭に空いてるところがあったよね?」

「薬草園?」


 なんでまたそんなものを、と思って。

 カミールには思い当たる記憶が一つあった。


「まさかフェリシア王女って、君に昔、毒草やらなんやらと変な知識を植え付けてくれた、あの⁉︎」

「変な知識とは酷いな。とても役に立つ知識だったろう? 現に一昨日は、それのおかげで私に毒を盛ってきた貴族を一人返り討ちにした」

「あーあれね。会食のときハスマン卿の企みに感づいた君が、給仕係にわざと配膳を間違えさせたやつだろ? 君のところにいくはずだった毒入りのスープが、まさか自分のところにくるなんて思ってなかったハスマン卿のあのときの顔は、今思い返しても哀れだったよ。そしてそのときの君の笑顔といったらまさに悪魔のそれだったね」


 カミールが遠い目をする。

 結局、無言でにこにこと微笑む王太子の圧力に耐えられなかったハスマン伯爵は、馬鹿なのか、はたまた潔く罪を認めて自害しようとしたのか、そのスープを一気に煽った。彼が口から泡を吹いて倒れたことは、言うまでもない。


「ほんっとに恐ろしいよな、君は。ハスマン卿が倒れても動揺の一つもしない。むしろ害虫でも見るように見下ろしてたときは、僕でさえ背筋が凍った。そんな君が、一人の女性のために薬草園? え、造っちゃうの?」


 ハスマン卿のことは自業自得とはいえ、それでも笑みが崩れない王太子に、会食にいた錚々そうそうたるメンバーはもれなく全員が恐怖に顔を引きつらせていた。

 それは、を見て、ではなく。

 を見て、である。

 幼い頃から決して平穏とは言い難い生活を送ってきたクロードだ。自分に悪意を持ってきた人間に容赦がないのは仕方ない。カミールも、そしてライラも、なんだかんだいってハスマン伯爵に同情の余地はないと思っている。

 だから、二人がクロードを訝しむ瞳で見つめるのは、ひとえにそんな彼に愛する人がいるという事実が、どうしても信じられなかったからである。





(――でも今は、信じる信じない以前の問題か)


 いつかの兄がそうだったように、ライラは目の前で起きている光景に遠い目をした。

 場所はフェリシアの私室。クロードの部屋から一番遠い部屋だが、それはクロードが彼女を余計な男の目に触れさせないために命じたことだった。おかげでフェリシアの私室付近は、王太子の許可がなければ男子禁止となっている。ということに、はたしてフェリシア本人は気づいているのだろうか。


(きっと気づいておられないな、王女殿下は。なにせ最初はサラ様と殿下が恋仲という噂を、あれだけ熱い視線をもらっててもガセだと気づかなかったお人だ)


 ちらり、と。その本人に視線を移す。

 まず目を引くのが、夜空にかかる銀河のように美しい銀髪だ。瞳は最高級のエメラルドをそのままはめ込んだような碧色で、ライラも同じ碧眼だけど、自分のくすんだそれとは違い、彼女の瞳は見る者をあっという間に惹き込む力を持っている。

 肌は雪のように白く、手足は今にも折れてしまいそうなほど華奢で、俯き気味にため息を吐き出す様は儚い美少女そのものだ。

 ただ、その性格は真逆もいいところで、とても逞しいことはすでにライラも知っている。

 とにかくそんな彼女は、今は王太子の膝の上で餌付けされていた。


「く、クロード殿下っ。これはいったいどういう状況ですのっ?」

「どういう状況だろうね?」

「離してくださいませっ。お菓子なら自分で食べられますわ」

「駄目だよ。君の場合はそう言って薬草を口にするだろう? もう使用人たちの嫌がらせはなくなって食事も普通にとっているとはいえ、もう少しお肉をつけないとね」

「ひゃっ⁉︎ ちょっとどこを触ってますの!」

「私は君の婚約者だ。婚約者のどこを愛でようと、構わないよね?」

「構いますわ! わたくしの心臓がもたないものっ」

「ふふ、嬉しいな。つまりフェリシアは、私にドキドキしてくれてるんだ?」

「っ、べ、つに、そういうわけでは……」


 ライラは二人から視線を外した。

 やっぱりあれを直視するのはよろしくなかった。口から砂糖をげぼげぼと吐き出せそうだ。

 クロードの本性を知っているだけに、目の前の男が本当にクロードなのかと今でも疑念を持つときがある。

 というより、あんな男が自分の主とか、ちょっと転職を考えたい。

 ――が。


「……ライラ、今から十分間、ちょっと部屋の前にいてくれるかい。いつものでよろしく」

「御意」

「え、なに? なんでライラを外に……んっ⁉︎」

「かわいいこと言う君が悪いんだよ、フェリシア」

「やっ、ンンーー!」

(頑張ってください、王女殿下)


 ライラがまだ部屋の外に出ていないにもかかわらず、我慢のきかない王太子は欲望のままにフェリシアを可愛がる。

 そう、可愛がるのだ。

 それがどんなに過剰であっても、部屋の外にいるライラには止めようがない。むしろ止めたときのクロードの報復が恐ろしくて止めるつもりもないが、こうして外に出してもらえれば、良心との葛藤もしなくて済む。

 本来なら、いくら婚約者とはいえ、部屋で男女を二人きりにするのはよろしくないのだが……


(今日は十五分くらいに伸ばしてあげよう)


 そうすればその分、特別手当てという名の賄賂がライラの懐に入る。クロードが言った「いつものでよろしく」というのは、つまりそういうことだ。


(やっぱり転職はなしだな。これほど割のいい仕事はない。王女殿下、私のために、どうぞこれからも頑張ってください)


 さて、そういえば薬草園造りを命じられていた兄はそろそろ薬草園を完成させただろうかと、そんなことを思いながらライラは容赦なく扉を閉めた。


 これが、王女殿下の侍女兼騎士である、ライラの平穏な日常である。




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