第7話 護衛騎士?
今日は、一日中暇な日である。
誰に会う約束もなく、王太子の婚約者としての公務もない。
つまり、侍女二人が世話をしに来ない日でもある。
ちなみに、ちょっとした興味から、どれくらいの間隔でそういう日があるのかを計算してみた。侍女たちの嫌がらせは初日から始まっていたので、もうすぐひと月が経とうという今、ある程度の統計は取れるだろう。
すると面白いことが分かった。
なんと、基本的に週に一度しか来ないのだ。
というのも、彼女たちがどうしても世話をしなければならない予定が、必ず週に一度は入るからだ。
それが、クロードとの夕食会である。ここで手を抜けば王女の世話をしていないことがクロードにバレ、痛い目を見るのは自分たちだと分かっているのだろう。
だから、言い換えるなら、週に一度はまともな固形物を口にできているともいえた。なるほど、それで祖国にいた頃よりも楽な断食だったのだ。
そして昨日、その週に一度のクロードとの夕食会が開かれた。ということは、また一週間は誰も来ない日々が始まる。
(ちょうどあの人からも準備が整ったって手紙をもらったし、行くなら今日よね)
入浴と睡眠時以外はつけているヴェールを外し、いつもの動き辛いドレスを脱いで簡素なワンピースに着替える。
それから自室の窓を開け放った。
「ゼン、よろしくね」
ピィイと、応える声がある。
上空を凛々しく飛ぶ鷹は、フェリシアの親友だ。飼っているわけではないけれど、彼はフェリシアのそばに常にいて、彼女を助けてくれる。
今も、周りに人がいないかどうか、ゼンが空から見てくれていた。
「今ね」
窓枠に足をかけ、軽やかに目の前にある大木に飛び移る。フェリシアがこの部屋に案内されて嬉しかったのは、その大木があったことだろう。
たとえクロードの私室から一番遠い場所でも、そんなことは気にならない。むしろお腹が真っ黒に焦げている男の目が届かないここは、フェリシアにとっては楽園だ。
慣れた調子で木を降りていくと、あっという間に地面についた。もともとフェリシアに与えられた私室は二階で、そう高くなかったことも幸いしたのだろう。
ニヤリと笑みを浮かべて、彼女はゼンの案内のもと、王宮の抜け穴をついて見事檻からの脱出に成功した。
「凄いわ……」
目の前に広がる光景に、フェリシアは思わずといった風情で呟いた。
どこを見ても人、人、人だらけ。
初日に同じ道を通ったはずの王都は、今日はなぜか道脇の花も視界に入らないほど、人で混雑していた。
この中を自分も進んでいかなければならないなんて、考えただけで引き返したくなる。
が、上空を飛ぶ親友は、この先の道を指し示している。
(仕方ないわ。行くしかないんだから)
ごくり、と息を呑んで。
覚悟を決めて人混みの中に突っ込んでいく。
いくら薬草売りで平民のふりをしてきたフェリシアといえど、さすがにこうも人がひしめき合う場所は初めてである。
(あ、あら? なんか、流されてない……⁉︎)
歓声が沸き起こる。
どうやらみんな、一つの場所に向かって波を形成しているらしい。
大勢にたった一人の力が叶うはずもなく、細身のフェリシアはどんどん目的地とは違う方向へと流されていっている。
「ま、待って。私、向こうに行きた……きゃっ」
――転ぶ!
反射的に目を瞑ったフェリシアの腕を、誰かがぐいっと引き上げてくれた。おかげで間一髪、転ぶことは免れる。
「大丈夫かい?」
「え、ええ。助かりました。ありが……――⁉︎」
「怪我がないのならよかった。でも、いくら聖女様を見たいからって、危ないからもう身を乗り出してはいけないよ?」
まるで幼子に言い聞かせるように優しく諭してくる人物に、フェリシアは驚愕のあまり言葉を失った。
どうやら、あれよあれよと流されていたら、いつのまにかこの人混みの最前列に来ていたらしい。
それだけじゃなく、後ろから何人もの人々に押されて、耐えきれなかったフェリシアは人混みから抜き出るようにして転びそうになったのだ。
そこを助けてくれたのが、まさか婚約者であるクロードだなんて、誰が予測できただろう。
どうしてここに、という疑問を、フェリシアは慌てて飲み下した。
「あ、ありがとうございました。次からはちゃんと気をつけます。ですからあの、手を離していただいても?」
内心は、これ以上なく動揺している。
いや、その動揺は表にも出てしまっていることだろう。せめて恥ずかしがっているからの慌てぶりだと勘違いしてもらえるよう、視線は下に向け続けた。
万が一を考えてのヴェールだったけれど、今ほどフェリシアのときにヴェールをしていてよかったと実感したことはない。
「……それよりも、こちらにおいで。このままでは君はまた人の波に溺れてしまいそうだ」
「え、ですが、あの」
街で今、何が起きているのかは知らない。けれど、何かパレードのようなものが繰り広げられていることを、奇しくも人の波にさらわれたおかげで知った。
となれば、彼の先ほどの口ぶりから、聖女のパレードでも催されているのだろう。彼もついて行かなくていいのかと、そんな疑問が頭をもたげた。
すると、フェリシアの戸惑いを感じ取ったクロードが、目立たないよう端に寄りながら説明してくれる。
「私のことを気にしてくれているの? 嬉しいけれど、それなら大丈夫だよ。私は聖女様の護衛騎士ではあるけれど、いてもいなくても変わらない護衛だからね。我らが聖女様の護衛には、ほら、すでに国一の強者であるフレデリク殿がついている」
「ご、えい? ですか?」
「そう、護衛騎士。それも下っ端のね」
そんな馬鹿な。咄嗟に反論しそうになった。
クロードを下っ端だと言ったら、この国の人間はほぼ全員がそれ以下に成り下がる。
いや、そもそも、彼は騎士ではなくて王太子だ。
周りは誰も気づかないのだろうか。そう思って周囲を窺うも、見事に誰も気づいていない。
(ああでも、王侯貴族でないと、王太子殿下のご尊顔なんて滅多に拝見できないのだわ)
それを逆手に取っているのか。
かくいうフェリシアも、ちょっとクロードとは意味合いが違うが、国民にその顔を知られていなかったから、平民の娘として街を歩くことができていた。
まあ、クロードがなぜ騎士を装っているのかは、知らないし知りたくもないけれど。
とりあえず、幸いにもクロードがフェリシアに気づいた気配はないので(だって口調が砕けている)、今のうちにさっさと彼から離れておこうと考える。
「失礼ですが、いくら下っ端でも、そして私を助けてくれたのだとしても、仕事を放棄なさるのは如何なものかと。私は聖女様を尊敬しておりますので、できない私の分も、あなたが守って差し上げてください」
そのために持ち場に戻ってはどうかと、言外に促してみる。
「これは耳が痛いね。でも、君の言う通りだ。ただ私としては君のことも気になる。簡単に人混みに流されてしまう君が、無事に帰れるか心配なんだ。今日はパレードを見に?」
「いいえ。用事がありますので」
「どこに行く用事かな」
「それは……プライベートなことなので」
なんでこんなに食い下がるのだろうと思いながら、いかにこの場を離れられるかを考える。
目的地を教えて、まさかそこに来られたら非常に厄介だ。
いっそのこと力ずくで逃げたいけれど、そうさせないためなのか、フェリシアの腕には先手が打たれていた。
なぜこうもしつこいのか。よもや、王太子が町娘をナンパしているわけでもあるまい。
「プライベートか。そう言われると強く出られないね。分かった。手を離そう」
ほっと胸をなで下ろす。よかった。これでこの場を離れられる。
「では、私は失礼します。助けてくださってありがとうございました」
簡単にお辞儀をしたら、すぐに背中を向けて歩き出した。人の波に逆らうのは容易ではなかったけれど、逆にその人が壁となり、あっという間に自分の姿を隠してくれる。
ふと、そういえばこんなパレードがあったなんて聞いてないわ、と思い至ったけれど、どうでもいいかとフェリシアはその思いを打ち消した。
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