第9話 フェリシアの世界


 グランカルストでお世話になったダレンが、なぜ遠い異国のシャンゼルにいるかというと。


「そういえば、その理由をまだ聞いてなかったわ」

「あらぁ、そうだったかしらん?」


 なぜかはぐらかされた。


 



 ひと通りの近況報告を終えると、ダレンは盛大なため息とともに天井を仰いだ。

 それを完全に無視して、フェリシアはさっそく待ちに待った我が子たちとの対面に向かう。


「ダレン、私の愛しい子たちはこっちにいるの?」

「あー、右よ右ぃ。というよりフェリシアちゃん、あなたどんだけハート強いのよ……」


 教えられた右に進みながら、気持ち声を張ってダレンにも聞こえるよう応える。


「そうでもないわ。私だって趣味これがなかったら少しは絶望していたもの。ダレンのおかげよ。生きる楽しみを教えてくれたのは、あなたなんだから」

「もうっ、泣かせてくれるわね! で・も。どうしてそうあなたは突拍子のないことばかり考えるの。ましてや平民になるだなんて!」

「それは……――ああっ、私の愛し子! やっと会えたわ!」

「ちょっとフェリシアちゃん⁉︎ ちゃんとあたしの質問に答えて⁉︎」

「待って。状態を確認するから。終わったらそっちに戻るわ」


 裏手にある戸口から外に出ると、そこには小さな庭があった。

 当然だが、王宮のものと比べれば天と地ほどの差があるものの、ある程度の薬草は育てられそうな広さがある。

 現に、シャンゼルに来るとき、別口で運ばせた自分の薬草たちは、環境の変化に戸惑うことなく元気に育ち続けている。やはりダレンに任せてよかった。

 満足したフェリシアは、もう一度家の中に入り、ダレンの許へと戻る。


「それで、なんの話だったかしら?」

「平民よ、平民! なんでそんな結論になっちゃったの!」

「ああ、それはね、平民になればこうやって自由に趣味に没頭できて、自分のお店だって持てるわ。なおかつダレンの手伝いもできるでしょう?」

「あたしは手伝いなんかいらないわよ。一人で十分、足りてるもの。そもそもあなたがいたら彼氏を連れ込めないじゃない」

「そこは安心して。さすがにダレンの家に押しかけるつもりはないから。どこかに家を借りて、一人暮らしするの。そのためのお金は、もうある程度溜まっているわ」

「それこそ駄目よ! あなたに一人暮らしなんてさせたら、朝昼晩、虐めにあってなくても薬草食で済ませちゃうじゃない!」


 悲愴感いっぱいに叫ばれる。

 ダレンはいったい私をどんな人間だと思っているのだろう。そこのところ、ちょっと真面目に話し合いたいと思ったフェリシアである。

 さすがのフェリシアだって、食べられるのなら普通の食事をしたい。そこまで人間をやめたわけじゃないのだから。


「それにね、ダレン。あなたもこの国にいるのなら、本当は知っているのではなくて?」


 途端、声のトーンを落としたフェリシアに、ダレンが苦虫を噛み潰したような顔をした。

 きっと彼女の言わんとするところを、正確に読み取ったのだろう。


「――あんの腐れ王太子が。聖女様と恋人だぁ? だったらあたしのかわいいフェリシアちゃんを嫁にもらおうとすんじゃねぇよてめぇからミンチにしてやろうかあん?」


 聞こえてきたのは、作った高い声ではなく、どこまでも地をいく野太い声だ。


「ダレン、"男"の部分が出てるわ」

「あらやだ、あたしったら! うふふ、ミンチじゃなくて千切りにしましょうねん」


 そこは別に変える必要無いと思う。とは、とても口にできそうにないフェリシアである。

 というより、そういう問題でもなくて。


「いいのよ、ダレン。私には、ダレンやゼン、そして薬草があれば十分だもの。そこにちょっとの毒草も」

「フェリシアちゃん……最後の一言がいらなかったわ」

「ふふ。それにね、この婚約が決まったときから、全てはことなのよ」


 そう、全てが。

 兄王から婚約話をされて、あの肖像画を見た瞬間から。

 自分がクロードに愛される存在でないことも。自分がクロードを愛していい存在でないことも。

 彼との婚約を破棄し、平民になる。

 そうすればみんなが幸せになる。

 アイゼンはフェリシアへの最後の嫌がらせが成就し、フェリシアは晴れて自由の身となり、サラは好きな人と一緒になれる。

 そして何よりも、クロードが愛する人と結婚できる。

 それに重きを置いているフェリシアは、でも彼女自身気づいてはいない。

 どうして自分が、自分のことよりもクロードのことを考えているかなんて。


「世界は私が思うよりも、やっぱりずっと素晴らしかったわ、ダレン。こうしてちゃんと、みんなが幸せになれる道を残してくれているのだから」


 ちゃんと、笑ったつもりだった。

 本心からそう言っているつもりだった。

 なにせ昔は、その世界に何度も絶望した身だ。それを思えば、今はとても幸せだと思う。

 ダレンがいて、ゼンがいて、愛しい薬草たちはすくすくと育っている。

 なのに、そっと太い腕に抱きしめられて、その温もりが、無性に目頭を熱くさせた。


「そうねぇ。世界は確かに素晴らしいわ。あたしにこんなかわいい子を娘として連れてきてくれたんだから。ほんと、捨てたもんじゃないわよねぇ」

「……っ。ふふ、でしょう?」

「そうよぉ、捨てたもんじゃないの、世界は。だからね、フェリシアちゃん。もう少しだけ頑張ってみなさいな。あたしはクロード王太子がどんなヤンチャ坊主か知らないけれど、あなただってまだ彼とちゃんと向き合ってないのでしょう?」


 そう言われると耳が痛い。

 思い出してしまった前世の記憶が、全てを早々に諦めさせてしまったから。

 無駄な努力は、したくないと思った。


「ほらやっぱり。でもそれじゃあ、殿下だってかわいそうよ。少なくとも、以前一度だけ拝見した優秀な王太子様は、婚約者がいるくせに恋人なんて作るほどお馬鹿な人間には見えなかったわよぅ?」

「……見たことあるの?」

「まあねぇ。偶然というか、ちょっと知り合いの知り合いというかぁ?」

「なにそれ、とっても気になるわ」

「ま、あたしのことはいいのよぅ」


 出た。大事なところはいっつもはぐらかす、ダレンの得意技。

 おかげでフェリシアは、ダレンがどこの国の出身で、きっと元貴族だろうに、その家名すら知らない。

 

「それでね、もうちょっと頑張ってみて、それでも駄目だったらもう頑張らなくていいわ。代わりにあたしが頑張ってあ・げ・る」

「まさかころ……」

「やあねぇ! それじゃ国家反逆罪になっちゃうじゃないの!」


 さすがのあたしもそこまで大それたことはしないわよぅ。

 と、言うけれど。


(ダレンならやりそうで怖いわ)


 本気で心配になった。

 でも、その思いが嬉しくて、心に温かいものが灯る。

 思えば生まれてからずっと、人の愛情を知らずに生きてきた。それを教えてくれたのは、この優しい温もりをくれる、育ての母のような人。

 

「ありがとう、ダレン。そうね、少しくらいは――」


 ――考えてみようかしら。

 そう、続けるはずだった。

 しかしそれができなくなったのは、今日は休診日の札を下ろしているはずの扉が、音を立てて開けられたからである。

 そしてここで不幸だったのが、ダレンの家兼診療所が、極端に部屋数の少ないことだ。

 彼の寝室は二階にあり、つまり上の階がプライベートであるために、フェリシアたちは一階にいた。

 一階の、一番椅子の多い、待合室にいた。

 つまり。


「こんにちは、ダレン医師。真昼間から女性と抱き合っているなんて、あなたを職務怠慢で処刑台に招待したいのだけど、もちろん断らないよね?」


 突然の訪問者に、隠れる暇もなく見つかった。

 そして会うのは本日二度目となる美貌の青年は、背筋も凍るほどの笑みを浮かべて。


「残念だよ。あなたを殺さないといけない日が来るなんて」


 何のためらいもなく、剣を抜く。


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