第10話 セカンドネーム


「ちょっと⁉︎ はた迷惑な勘違いしないでちょうだいっつーか剣しまえ! 今すぐ!」

「ではあなたも彼女を離してください」

「はあ? なあに、お坊ちゃん。もしかしてしっ――」

「離してくれるかい?」

「ちょっ、分かった分かった! 分かったから剣! 眉間狙うってどういうことぉ⁉︎」

「手が滑ってそのまま刺したらすみません」

「怖っ。こっわ。怖ぇーよあんた! まだ会って二回目の人間にすることじゃないわよあんた⁉︎」

「失礼。たとえ誰であろうと、私の逆鱗に触れれば容赦はしないということです」

「逆鱗⁉︎ 触れたのあたし⁉︎」


 そう言っている間にも、ダレンはちゃんとフェリシアを自分の後ろに隠していた。

 ダレンには、クロードには素顔を見せたことはないとすでに伝えてはいるが、念のため隠してくれたのだろう。

 それとも、クロードの切っ先をフェリシアに向けられないよう、自らが盾になってくれているのかもしれない。

 ただ、気になるのは。


「お二人って、冗談も言い合える仲ですの?」

「どこをどう見てそう思ったの、フェ…………フェルナンデス!」

「誰ですのその人⁉︎」


 咄嗟に「フェリシア」と呼びそうになって、慌てて言い繕ったはいいが……フェルナンデスはない。自分でもそう思ったダレンだ。

 が、フェリシアにはそれすらも伝わらなかったのか、はたまたつい反射的に突っ込んでしまったのか、これではフェリシアを「フェルナンデス」に仕立てあげることができなくなってしまった。

 ちなみに、咄嗟に出た「フェルナンデス」とは。


「あ、あたしの元カレよぅ」


 とのことである。うわ、どうでもいい。


「とにかく、剣を収めてくれるかしらん? あんまりおイタが過ぎると、あたしも本気だしちゃうわよぅ」


 目の前にいるクロードは、今は近衛騎士の制服に身を包んでいる。

 おそらくダレンは彼がクロードであることに気づいているが、あえて服装に合った呼び方をしたのだろう。

 そしてそれは、正しい判断と言える。今日のクロードは、あくまで騎士として振舞っているのだから。

 いっこうに収められない剣に何を思ったか、ダレンが地声で威嚇した。

 彼は大変分かりやすく、地声が出たら本気モードだ。それを知っているフェリシアは、後ろからそっと彼を窘めた。


「大丈夫よ、ダレン。その方は本気ではないわ。ちょっとした脅しのつもりなの。だからあなたも威嚇しないで」

「……どうして本気じゃないと思うのん?」


 ダレンとしては、目の前で自分に切っ先を向けてくるクソガキが、とても冗談でこんなことをしているとは思えない。

 だから警戒を強めたのだが。


「当然でしょう? その方が本気で怒る理由が見当たらないんだもの。たぶん勘違いしたんじゃないかしら。私があなたに襲われていると」


 そうでしょう? と視線で尋ねる。

 クロードはうんともすんとも言わない代わりに、にこりと微笑を浮かべた。


「ほら、だから話せば分かってくれるわ。あの、勘違いさせて申し訳ございません。ダレン医師は私の大切な方なのです。見た目は厳ついですが、決して襲われていたわけではありませんの」

「そう、大切な方ね。申し訳ないが、それを聞いて引くに引けなくなった」

「ほらみなさい! やっぱりこいつ本気じゃないの!」


 収まると思っていた場がさらに加熱し、フェリシアは疑問符を浮かべる。

 おかしい。なぜクロードは、こうも怒っているのだろう。不埒者を成敗せんと正義感から怒っているのかと思ったが、どうやら当てが外れたようだ。

 さしものフェリシアもこれには慌てた。間違ってもダレンに人殺しなどさせられない。クロードにだって本当は、そんなことをしてほしくはないのだ。ただ彼の場合は、国のためにやむを得ないときがある。だから、思っていても口には出さないのだけど。

 

「分かりましたわ。双方、落ち着いてくださいませ。騎士様は剣を下ろし、ダレンはその拳を収めなさい。でなければ……」

「でなければ……?」


 ダレンの直感が、嫌な予感を訴える。


「でなければ、喧嘩両成敗ですわ。そのお口にジギタリスを突っ込んで差し上げましょう。ふふ、ちょうど活きのいい子が育ったところなの。その効力、試させてくださいな」


 双方それが毒草だと知っていたため、すぐに喧嘩は収まった。

 はたしてこれが喧嘩だったのか、それは謎であるけれども。





 結局、なぜか居座り続けようとするクロードを追い返すこともできず(二人とも彼の本来の身分を知っているため)、嬉しくもない三人でお茶を飲むことになっていた。

 さすがに王太子を待合室の椅子に座らせるのも如何なものかと思い、文句を言うダレンを押して二階に行く。そこならダイニングがあるからだ。

 なんとか三人は座れる椅子とテーブルがあったことに、きっと誰より安堵したのはフェリシアだろう。

 ダレンに置き場所を聞きながら、フェリシアが人数分のお茶を淹れる。


「それでぇ、騎士様はこんなしがないヤブ医者に何の御用ですかぁ?」

「ヤブ医者などとんでもない。あなたは王宮でも有名な医師ではないですか」

「それはどうもありがとうございますぅ。でも表には休診日の札をかけてたと思うんですけどぉ」

「はて、かかっていたかな。少し気が逸っていたものだから、気づきませんでした」


 ひくり。ダレンの口許がひきつった。

 ああ言えばこう言う。というか、その嘘くさい笑顔をやめろと言いたい。

 フェリシアは自分の正体がバレることはないと相当の自信があるのか、呑気にお茶を楽しんでいる。


「それより、また会ったね?」

「ええ。あのときはありがとうございました。まさかこんなところでもう一度お会いするとは思いませんでしたわ」


 できれば二度と会いたくなかったとは、もちろん内心だけにとどめた。


「私はまた会えると思っていたよ。ところで、あなたの名前をまだ聞いてなかったね。私は騎士のエルヴィス。どうかそのまま、エルヴィスと呼んでほしい」

「はあっ? ちょっとあんた、それはっ――」

「ダレン殿。今はあなたとは話していない。それで、呼んでくれるかい?」

「え、ええ」


 というより、それ以外の名前を教えてもらっていない今は、そうとしか呼べないのだけど。


(でも、セカンドネームと同じ名前を名乗ってよかったのかしら。気づかれるとは思ってない……?)


 エルヴィスというのは、クロードのセカンドネームだ。ただ、その名前自体は別に珍しくもない。

 だからこそ気になったのは、なぜかダレンがこれについて渋い顔をしたことだ。


「私はエマと申します。たまにダレン医師を手伝っている、どこにでもいる薬屋ですわ」


 あながち間違いでもないので、フェリシアは自分をそう紹介する。彼女もまた「エマ」と、自分のセカンドネーム「エマーレンス」の短縮形を名乗った。


「エマが薬屋? ああ、じゃあもしかして、ダレン殿のことを"大切な方"と言ったのは、大切な"お客様"という意味でかな?」

「え、えーと」


 クロードは笑顔なのに、とても否定できない圧力があった。

 初めて会ったときから油断ならない男だとは思っていたが、やはり彼の笑みには穏やかじゃないだけのものも存在するらしい。

 普段のフェリシアなら他人からの圧力など気にしないものだが、どうしてか彼の場合は無視できないものがある。


「そういう意味も、あったりなかったり? しますわね」

「フェ……エマちゃん⁉︎ そういう意味もあったの⁉︎」

「でも、もちろんそれだけじゃないわ。ダレンは私の第二の母だし、家族という意味でも大切よ」

「エマちゃん……!」


 感極まって涙目になる大男の隣で。


「ああ、なるほど。そう、"家族"ね」


 ぽつりと呟いたのは、もちろんクロードである。

 ぶるり。背筋が震えた。

 一瞬、クロードから不穏な気配を感じたが、それもすぐに霧散したので、フェリシアは自分の回答が間違ってなかったことを知る。


「いいよ、"家族"なら目を瞑ろう。それにしても、『母』なんだね? ダレン殿は」

「え、ええ。だって……」

「あん? なんだクソガキ、あたしが父に見えるってか?」

「このとおりなので」


 苦笑を漏らせば、クロードも訳知り顔で苦笑した。そのときにやっと彼の周りの空気が緩んだ気がして、フェリシアは我知らずほっと息をつく。

 。そう言われたとき、いったい何に対して目を瞑るのかと思ったフェリシアだが、それを訊くのはやめておいた。せっかく和みかけている場が、また冷気で覆われたらたまらない。


「エマ、君はどれくらいの頻度でここを訪れるんだい?」

「え? そう、ですわね……特に用がなければ、三日に一度は来たいと思っております」


 あまりに唐突に訊かれたため、つい素直に答えてしまった。

 でも、それがどうしたというのか。


「では、私も三日に一度の頻度で通わせてもらおうかな」

「えっ?」

「はあ⁉︎」


 驚く二人をよそに、クロードはフェリシアの長い銀髪を掬い取ると。


「あなたの瞳に私が映る。この機会を逃せば、なかなか叶わないことだから」


 唇をそっと落とし、その美貌を余すことなく喜びに染めていた。


 

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