第8話 ダレンという男
*
「会いたかったわ、ダレン……!」
「フェリシアちゃん!」
途中、色々とハプニングが起こったものの、なんとか無事に目的地に辿り着いたフェリシア。
たくさんのお店が並ぶうちの一つ、緑色の屋根が特徴的なかわいらしい外観の建物は、この王都で医師をしている男の家兼診療所である。
がたいの良い身体に整えられた髭。一見すればクマも慄きそうな厳つい男だが、あくまでそれは外見のみ。
鋭い眼光を崩してフェリシアを迎える彼の中身は、女性も顔負けの乙女趣味である。
「やだフェリシアちゃん! あなたちょっと痩せたんじゃないの。腕も脚もお腹も、程よいお肉をどこにやったの!」
再会してものの数秒で全身をくまなくチェックされる。
これは職業柄なのか、それとも彼のもともとのお世話好きが高じているのか。
とにかく言えるのは、仮にもこの国の王太子の婚約者の身体に、ここまで遠慮なく触れられるダレンの肝の座り方は、半端ないということだ。
「ふふ。相変わらずね、ダレン。でも気にしなくていいわ。祖国よりマシな扱いだもの」
「へぇ。つまりなあに? グランカルストよりはマシでも、似たような扱いをここの王宮でも受けているということかしらぁ?」
「…………口が滑ったわ」
――フェリシアちゃん!
ダレンの叱責が飛んだ。いくら中身が乙女趣味の恋愛対象が男の人といえど、やはり生まれ持った性別は男である。その叱責の声は野太く、怖い。
というより、ダレンという人間は、怒らせると本気で怖いのだ。フェリシアは身をもってそれを知っていた。
彼との出会いは、そもそも彼がフェリシアの亡くなった母ルチアの専属医師だったことから始まる。
ルチアが国王陛下の目に留まり、男爵という身分の低い貴族ながらも側妃として召し上げられてからは、ダレンもルチアとは会えなくなった。
けれどルチアが亡くなったことを聞いたダレンは、その形見であるフェリシアを心配して、一時王宮に通ってくれていたことがあったのだ。どうやら実家の権力を使ったらしい。ただフェリシアは、ダレンがどこの貴族の息子なのか、いまだに知らないけれど。
そうして、最初はただ遊びに来てくれていたダレンだが、姉から毒を盛られた事件があってからは、その毒に対抗する術を教えてほしいと言ったフェリシアと師弟関係になる。
それは、味方のいない幼い王女が、少しでも身を守る術を身につけられるなら、ということだったのだが。
まさかそれが高じて趣味にまでなってしまったのは、さすがのダレンも予想外である。
さらにちょっとした興味が沸いたのか、また別の日に姉に毒を盛られたとき、フェリシアは毒をもって毒を制することはできないかと、自ら毒草を口にした。
結論を言えば、さらに死にそうな目に遭ったとだけ伝えておこう。
おかげで、このときのダレンの怒りっぷりは、天から神の怒りが雷となって落ちてくるよりも、はるかに恐ろしいものだった。
「で、今度はどこのどいつぅ? あたしのかわいいフェリシアちゃんを虐めるなんて……うふふ、そいつ幸運だわぁ。生きたまま全ての皮という皮を剥いで肉を切り刻みミンチにして家畜の餌にしてやらないと。やあね、大丈夫よ。あたしが懇意にしてるおじいさんとこの家畜は、好き嫌いなんてせずにぜぇ〜んぶ残さず食べてくれるから。証拠は残らないわ」
「そういう問題じゃないから、絶対にやらないでね?」
冷や汗が流れた。冗談にしてもなかなか具体的かつ頼る伝手まで決めているあたり、本当にタチが悪い。まさかすでに
「あら、残念だわ。久々に腕がなると思ったのに」
「腕をならすなら医師としてならしてくれる? あなたの手は、人を生かすためにあるんだから」
「んもうっ、フェリシアちゃんったら最高! 大好き!」
「うぐっ。ダレ……くるし……」
これ以上隙間もないくらいに抱きしめられる。まるで第二の母である彼にそうされるのは嬉しいけれど、ものには限度というものがあることを彼は知っているのだろうか。ついでに、その腕力がゴリラ並みであることも。
「あーでもやっぱり許せないわぁ。まさかとは思うけど、あなたまた薬草だけの生活なんて送ってないでしょうね?」
「……」
「フェーリーシーアーちゃぁん?」
「……」
げに恐ろしきは、その動物並みの勘かもしれない。
「フェリシアちゃん! 今度は何を口にしてるの!」
「だ、大丈夫よダレン。さすがに毒草は口にしてないわ」
「当然でしょ! あれは食べ物じゃないんだからっ。最近は何食べたの!」
肩を掴まれて揺さぶられるものだから、それに耐えかねてぽろりと白状する。
「ア、アジサイを」
「このお馬鹿‼︎」
「いっ――」
たぁい……と情けない声が出る。
頭の天辺に見事な手刀がおみまいされた。
「あれは薬草だけど、毒を含むものがあるって知ってるわよね⁉︎」
「ええ、知ってるわ。だからこそよ、ダレン。いったいどの品種に毒が含まれ、どの品種には毒が含まれていないのか。それとも毒を含むものに品種は関係ないのか……気にならない?」
「なるわよ!」
なるのか。
じゃあなぜ手刀を繰り出した。
「でもね、自分の身で試すお馬鹿がどこにいるっていうの!」
「ここに……」
「ほあちゃー!」
「いたっ⁉︎」
問答無用で二撃目が繰り出された。
最初のものより断然威力が増している。
「あなた、いい加減その好奇心をどうにかしないなら、今後一切手伝ってあげないわよ」
「それは困るわ。育てた薬草はどうするの? ダレンに買ってもらわないと私……自由のためのお金が稼げなくなって悲しくて悲しくてうっかりトリカブトを食べてしまいそうよ」
ひくり。ダレンの口許が引きつった。
「それともゲルセミウム・エレガンスがいいかしら。黄色の可憐な花だけど、この世のありとあらゆる苦しみを味わって地獄に逝くらしいから、ちょっとどんなものか興味があるの」
そう言ったフェリシアは、まるで恋する乙女のように頬を染めていた。間違っても世界最強の植物毒を食べてみたいという人間の顔ではない。
そもそもそんな殺人植物を食べてみたいとか言わないでほしい。切実にダレンは思う。
ダレンが本気でフェリシアを虐めた奴らに制裁を加えてやろうと考えていたように、フェリシアもフェリシアで、本気で毒草を嬉々として口にすることは分かっている。
よって、二人の親子喧嘩は、いつもフェリシアの勝利で終わるのだ。
「……分かったわよぅ。ちゃんと手伝うから、お願いだから、毒草は口にしないのよ?」
「ええ、ありがとうダレン! 薬草しか口にしないわ!」
それもどうなのだろうと、ダレンは大きなため息を吐き出した。
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