第13話 クロードの場合②


 自分とサラの噂を知っていたクロードは、だから心配なことがあった。

 それは、その噂の信者――もとい聖女の信者が、フェリシアに何かよからぬことをやらかしはしないかと。

 はたしてその予想は、見事に当たっていたと言えよう。


「ご苦労だったね、ライラ。引き続きよろしく頼むよ」

「御意」


 信頼のおける部下を侍女として潜入させてよかったと、クロードはひとりごちる。

 まさか初日から使用人たちの嫌がらせが始まっていたとは。

 ライラには、周囲に怪しまれないよう、なるべく周りに合わせて行動しろと伝えている。その代わり、率先して加担するなとも。


「さて、君はどうでる? フェリシア。まさかこんなことで嘆くような君ではないだろう?」


 なにせ、姉王女に毒を盛られ、兄王にいびられ、他のきょうだいたちからも疎外されて生きてきた王女だ。

 彼女はきっと悲嘆しない。

 彼女はきっと甘えない。

 一人で立ち向かっていくことだろう。


「でもそれでは、私が悲しいよ」


 彼女に惚れている男としては、少しでも頼りにしてほしいと思う。

 今まで甘えられる相手がいなかったから、彼女が人に甘えるのを苦手としているのは知っている。

 それでも、今まで頑張ってきた分、これからは存分に甘えさせてあげたかった。縋ってほしかった。

 そのために。


「そうだなぁ。では私も少しだけ、加担させてもらおうかな」


 ごめんね、と呟くその顔は、とても謝罪する人間のそれではない。どこか申し訳なさそうだけれど、楽しんでもいるような、無邪気な微笑み。

 このときのクロードの頭にあったのは、いったいどこまで追い詰められれば彼女が自分を頼ってくれるだろうかと、そんな歪んだ想いだった。




 そんなときに迎えた、国民に聖女の存在を示すためのパレード当日。

 サラを狙う輩が増えていることもあり、最初は中止にすべきとの声も上がったが、結局サラ自身が街の人たちを元気づけるためにやりたいと言ったので、予定通り行われた。

 クロードとしても、その判断には感謝している。魔物がちらほらと出現している今、その不安を取り除くにはやはり聖女の力を示すのが一番手っ取り早いからだ。多少の危険では取りやめるつもりなどなかった。

 それに、パレードはただ馬車に乗って市街地を周るだけじゃない。ちゃんとした目的地を持っていて、そこで浄化をしたのち、また王宮に戻ってくるというルートである。

 これなら聖女の力も示せて、国民に希望も与えられて、まさに一石二鳥だろう。

 だからこそ、なるべく中止にはしたくなかったのだ。

 そして、フェリシアにパレードのことを伝えなかったのは、彼女に万が一にもパレードに来られたら困るからである。


(とりあえず順調か。今のところ怪しい奴も見当たらない)


 王宮騎士団が抑えるなか、それでも収まらない興奮がこの場を包んでいる。

 聖女サラへの熱は、そのままたくさんの声援となって彼女を讃えていた。

 クロードは今、その王宮騎士団と同じ騎士服を着ている。サラとの迷惑な噂もあることだし、なにより王太子としてサラの隣にいると、なかなか周囲を警戒しにくい。しかも、サラが狙われたのか、それとも自分が狙われたのか、一緒にいては分からなくなってしまう。

 よって、馬車にも馬にも乗ることなく、クロードは下っ端騎士たちに交じって徒歩でパレードについていっていた。

 そのパレードが、もうすぐで目的の教会に着くというとき。


(……? 今一瞬、フェリシアがいたような――)


 いや、いたような、ではない。

 たとえ多くの人壁に隠されようと、彼女を見間違えるはずがない。


(――っ。やはり、フェリシア!)


 人に押されて揉まれて。細身の彼女はいいようにされていた。

 それだけでも肝が冷えたというのに、彼女はあろうことか足許を崩した。

 人混みの中から抜き出るように転びそうになっている彼女の後ろから、それに気づかない騎馬隊が近づいている。

 これには肝を冷やしたどころではない。慌てて間に入って、間一髪のところで騎手に無理やり進路を変更させる。クロードの正体に気づかない騎手からは若干睨まれたが、今はどうでもいい。

 もう少し間に入るのが遅れていたら、きっと騎手はフェリシアには気づかず、彼女を馬の蹄の餌食にしていたことだろう。

 騎士団の騎馬隊の訓練内容をよりハードなものに変えてやろうと考えながら、クロードは努めて平静に口を開いた。

 

「大丈夫かい?」

「え、ええ。助かりました。ありが……――⁉︎」


 そのとき、クロードを見て目を見開いたフェリシアに、相手が自分に気づいたことを知る。

 当然だ。いつも被っているヴェールをなぜか脱いでいる彼女と違って、クロードは服装こそ騎士といえど、他は何も変わらないのだから。

 一瞬、フェリシア、と。

 彼女の名前を呼びそうになって、寸でのところで飲み下す。はたしてヴェールを被っていない彼女を、名前で呼んでいいのか迷ったからだ。

 それに……。


(ヴェールがないおかげで、誰も彼女がフェリシアだとは気づいていない。もちろん、気づかせるつもりもないけれど)


 だって、何のために今日、彼女にパレードのことを伝えなかったのか。

 それは、聖女の暗殺予告がなされ、誰が発端だったか、これをフェリシアの仕業に仕立て上げようとした連中がいたからだ。

 きっとその連中は、フェリシアをクロードの婚約者という立場から引きずり下ろしたい連中だろう。

 自分の娘を、王太子妃にしたい連中だろう。

 これを機にフェリシアとサラの両方を都合よく消し去れると思っている者も、少なくないに違いない。


(まったく、虫唾が走る。フェリシアをそんなことで煩わせたくなかったから遠ざけたけれど……)


 もしこれでヴェールのない彼女に気づいた者がいて、彼女に容疑をかけようものなら、早めに処理しようと決断する。

 そしてそのために、フェリシアからどうしても聞き出しておかなければならないことがあった。


「今日はパレードを見に?」

「いいえ。用事がありますので」

「どこに行く用事かな」


 もし、彼女が誰かに呼び出されてこの場に来たというのなら。

 まずはそいつがの対象になる。

 

「それは……プライベートなことなので」

「プライベートか。そう言われると強く出られないね。分かった。手を離そう」

 

 口ではそう言ったが、クロードは一瞬だけ後ろに視線をやると、目だけで「つけろ」という合図を送った。

 影のように付き従う護衛が一人、静かに頷く。

 人混みの中に消えゆく愛しい人を最後まで見送ると、クロードは厳しい顔で呟いた。


「ライラはお説教決定だね」





 それからようやくパレードも終盤に差し掛かった頃、クロードはフェリシアの後をつけさせた護衛が戻ってきたのに気づき、そっと隊を抜け出した。


「誰だった?」


 彼女の用事の相手は。

 言葉にせずとも、フレデリクの代わりに就いた護衛たちはとても優秀である。

 

「は。どうやらダレン・テオバルト・クレイル様のようです」

「ダレン殿? ちょっと待った。それはまさか、医師で、腕はいいのに乙女趣味で、やたらと好みの男に色目を使いまくる、王妃陛下の弟君、クレイル国の元第五王子で間違いないかい?」

「はい。医師で、腕はいいのに乙女趣味で、やたらと好みの男に色目を使いまくる、王妃陛下の弟君、クレイル国の元第五王子殿下で間違いありません」

「…………案内」

「こちらです」


 一瞬、初めて会ったときに見た強烈な印象の男を思い出して、顔が引きつりそうになったクロードである。

 というのも、ダレンがこのシャンゼルになぜか入国していたことを知った王妃陛下ははが、自分の健康状態を診察させるために彼を王宮へ参上させたことがあった。のだが。

 そのとき不幸にも彼のお眼鏡にかなってしまったのが、神官であり友人のカミールだ。

 おかげでカミールは、それから数日間、王宮にある神殿からは出ようとしなくなってしまった。


(なぜフェリシアがダレン殿と知り合いなのかは吐かせるとして。おかげで連中の仕業でないことは確定かな)


 ダレンとはまだ一度しか会ったことがないけれど、その一度だけで、クロードはある程度その為人ひととなりを理解していた。

 豪胆。奔放。世話好き。人情に厚く、きっと彼のような人間が怒るのは、自分よりも大切な者を傷つけられたときだろう。

 そして野心に乏しく、王族という立場を嫌がり、早々に自身を廃嫡してもらっている。

 だからこそ、彼が連中と繋がっている可能性は低いと、そう考えたクロードの読みは確かに当たっていた。

 けれどそれだけで油断してしまったこのときの自分を、クロードはのちに殴りたくなるほど悔やむことになる。

 なぜなら、休診日の看板をガン無視して扉を開けた先に、抱き合うダレンとフェリシアを目にしてしまったからである。

 実はこのとき、彼の後ろで影のように控えていた護衛が、主から放たれた絶対零度のオーラに顔を青褪めさせていたのだが、幸運にも気づいた者はいなかった。


 


(――ま、あの二人が本当に恋人だったとしても、別れさせる自信はあったけどね)


 そう内心で黒い笑みを浮かべるのは、宣言通り三日に一度はダレンの家兼診療所に通いつめているクロードだ。

 もちろんフェリシアがいるときを狙って行っているので、必然、ヴェールのない彼女に会える。

 その翡翠のように澄んだ瞳に自分が映るたび、途方もない愛しさと、仄暗い執着心が沸き起こる。

 だからか、その可憐な姿を他の男に見せたくなくて、すでに「エマ」には理由をつけて帽子を贈っていた。

 ちなみに、自分のでまかせを信じて毎回帽子を被ってきてくれる彼女に、愛しさのあまり抱きしめたくなったことは言うまでもない。

 ダレンからは何か言いたげな視線を送られたが、そんなことは気にもならなかった。


「そういえば、エマは知ってた? 大陸の東側でしか育たない、西方では珍しいとされる薬草があるのを」

「そんな素晴らしいものが⁉︎ 知らないわ、それはどんな薬草? 効き目は何かしら。どうして大陸の東側だけ? っああ、もしかして、毒も含んでいたりするの⁉︎」

「察しがいいね。そう、毒も含んでるよ」

「まあ、まあ、まああ‼︎」

「ふふ。エマならきっと喜ぶと思ったんだ」

「ええ、最高ですわエルヴィス様!」

「そう? ありがとう」

「そんな素敵なことを教えてくださるなんて、エルヴィス様も素敵な御方ですね!」

「じゃあ私が好き?」

「は――――って何を言わせようとするんですか⁉︎」

「残念。あと少しだったのに」

「か、からかわないでくださいませっ」


 真っ赤に頬を色づかせるフェリシアに、クロードも自然と目許が緩む。

 彼女はきっと、知らないのだろう。

 ここシャンゼルにおいて、いや、大陸の東に位置する国の大半において、実はファーストネームよりも重要なのが、セカンドネームだということを。

 異性に自分のセカンドネームを許すということは、つまり二人が恋人であることを暗に示している。

 だからこそ、彼女が偽名として「エマ」を名乗ったとき、それが彼女のセカンドネームの愛称だと分かったとき、柄にもなく顔を染めてしまった。

 自分にもまだこんな表情ができたのかと、彼女と一緒にいるとよく思い知る。

 とても心地いい、愛おしい時間だ。

 なにより彼女の素顔を独占できる、唯一の時間だ。

 そのためならば、いくらでも無理をしよう。

 護衛には悪いけれど、しばらくは大人しく撒かれてもらうしかない。


「では、お詫びに今度、その薬草を見せてあげるよ」



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