第22話 求婚《プロポーズ》
「う、浮気なんて! それはわたくしではっ……」
と、言いかけて。
自分が今仮面をしていたことを、引いては賭けをしていたことを瞬時に思い出したフェリシアである。
「……あらやだ、浮気だなんていったい何のことでしょう?」
「しらばっくれる? じゃあ浮気相手の名前を一人一人挙げてあげようか?」
「そんなの事実無根ですもの、結構ですわ。そもそもわたくしはあなたとは――」
「ゲイル・グラディス。ディートリヒ・ヒューゼン。カイル・モニタス。ダン・ハワード。ニック・カルバドス。そして、フレデリク・アーデンかな」
「フレデリク様も入れるの⁉︎ ――あ」
「認めるんだね?」
(認めるも何も、フレデリク様を除いた他の方々は賭けの協力者ですわ! とは言えない)
そもそも、悪あがきかもしれないが、自分はまだ仮面を被っている。
浮気だなんだと責められる謂れはない。
(だいたい、浮気はそっちではないの。たくさんの蝶に鼻の下を伸ばしてたって……聞いて……)
その"蝶"たちにそうしろと命じたのは、他でもない自分なのに。
積極的な蝶(おそらく嫌がらせをしていなかった、王太子妃を狙っている令嬢)たちに笑顔で応えていたクロードを思い出すと、胸の中がモヤモヤした。
「あれ、だんまりかい? 珍しいね、君が反論してこないなんて」
「……わたくし、そんなに殿方に突っかかった覚えはありませんわよ」
「そうかな? 薬草や毒草のことになると、びっくりするくらい頑固になるよ、君は」
「あれは殿下が悪いのですわ。わたくしが丹精込めて育てている毒草を勝手に品種改良なさろうとしたり……おかげで毒性が弱まったらどうしてくれるんです!」
「弱めるために品種改良したんだけどね。じゃないと、食べるだろう」
「あれは立派な実験ですのよ。でないと新しい解毒剤が作れないではないですか」
フェリシアは気づかない。
自分が今、まんまとクロードの話術に乗せられて、喋ってはいけないことを喋っていることに。
そんな彼女を愉しげに見つめるのは、腹に一物どころか百物くらい抱えていそうなクロードだ。
「そう。では、言ってもやめてくれなそうだし、これからは条件付きでやってくれるなら勝手に品種改良したりしないよ」
「条件?」
「必ず私がいるときに行うこと。それと、万が一それで君が死んでしまったら、私も同じものを口にすることを頭の中に入れておいて。いいね、エマ」
「そんなの――――って、え⁉︎」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことである。
たった今フェリシアは、二重の衝撃を受けた。
一つは自分が死んだら後を追うと、なんの躊躇いもなく言われたこと。
そしてもう一つは、気づかれていないと思っていた「エマ」のほうの自分を、彼が気づいていたということだ。
そしてフェリシア自身も、やっと気がつく。
あまりにも自然に会話してしまっていたから気づかなかったけれど、「フェリシア」が毒草や薬草に興味があると知っているのは、さっきその話題で盛り上がったゲイルだけだ。ライラも一応知っているが、彼女が知っているということをフェリシアは知らない。
だから、クロードだって知るはずがないと思っていた。「エルヴィス」は、「エマ」がそういう人間だとは知っていても、「フェリシア」がそういう人間だとは知らないはずなのだから。いや、知らないはずだったのに、認識は覆されてしまった。
彼は気づいていた。知っていたのだ。エマの正体を。
つまり自分は、これについても彼の手のひらで踊らされていたわけである。
ああ、やっぱり。なんて惨めなんだろう。
「っ……なんですの、なんなんですのっ。気づいてないふりして私に近づいて、あなたは私を笑ってたの? 使用人に嫌がらせされるような女が一人で土いじりなんて、哀れだとでも? それとも、大国の姫が何か良からぬことでも計画していないかと、私のことを探ってたのかしらっ?」
ショックだったのは、クロードが自分を信用していないかもしれないという事実だ。
そしてその事実にショックを受ける、自分自身にもショックを受けた。
(そう……私、意外にも人を愛せるのね……)
そうと知った途端に絶望に突き落とされるなんて、やはり愛というのはままならない。
愛のせいで母は病が進み早くに亡くなり、自分は虐げられてきた。先代のグランカルスト王の、身勝手な愛のせいで。
ただ、本当にそれだけだろうかと、ふと思う。
血の繋がった家族が教えてくれたのは、確かにそんな愛だった。
けど、血の繋がらない第二の母が教えてくれたのは、温かく包み込むような愛だった。
本当はそんな愛し方で、自分も誰かを愛してみたかったんじゃないのか。
そんな愛し方で、自分も誰かに愛してもらいたかったんじゃないのか。
ぐちゃぐちゃな頭の中、聞こえたのは、大好きな人の声。
――"ねーえ、フェリシアちゃん"
強面の、誰より優しい母は言った。
――"たまにはあたしに甘えてちょうだい。大丈夫、ちゃんと受け止めてあげるわ。それにね、甘えてくれたほうが、愛されてるなぁって思うのよ"
そう言われたとき、まだフェリシアは7歳だった。だから、よく言われた意味が分からなかった。甘えるという行為が、どうして愛情表現になるのかと。
でも、今なら少しだけ分かる気がする。
愛に気づいて、気づいた途端失恋かもしれないのに、なぜか無性に彼の胸の内に飛び込みたいと思う自分がいる。
脳裏に浮かぶのは、先ほどの、たくさんの女性たちに囲まれていたクロードだ。
ライラはクロードの笑みは意図的だと言っていたけれど、出会って間もないフェリシアでは、まだ本気の笑みとの区別がつかない。
だからこそ、令嬢たちに囲まれて楽しそうに笑っていたクロードに腹が立った。
だからこそ、そっちに行かないでと、縋りたくなってしまった。
ダンスは密着するから、細身でありながも、その胸板がしっかりと逞しいものであることを知っている。
その胸の内に飛び込んで、ぎゅっと抱きしめたら、彼は行かないでくれるだろうか。自分の愛は伝わるだろうか。
こんな"甘え方"は、彼にしかしたくないと思った。
愛しているから、甘えたくなる。
きっと昔、ダレンが言いたかったのはそういうことだろう。
――"まさかこの期に及んで何もしないわけ、ありませんわよね?"
少し前にそう言ったのは、自分だ。
人にはそんなことを言っておいて、自分だけ逃げるのは卑怯じゃないかと、そう思う。
「フェリシア、君の怒りは最もだ。確かに私は何かを企んで、君が受けていた嫌がらせにあえて沈黙を貫いた」
「……」
「でもそれは、決して君を疑ってのことではないよ。信じてもらえるかは、分からないけれど」
「そう……」
「そろそろダンスが終わるね。……ねぇ、フェリシア。最後に一つだけ、確認させてくれないかな」
急にしんみりとした声音で尋ねられ、フェリシアはこくんと控えめに頷く。
そうせざるを得なかったというのもある。だって、クロードの顔から笑みが消え、今にも泣きそうな表情をしていたから。
ライラ曰く、それはクロードの隠せない感情が露わになったときなのだと。
「君は、私のことが嫌いかい? さっきのゲイルといい、他の男といい、君は私といるよりも、彼らといるときのほうがとても楽しそうに見える」
「そんなっ……ことは、ないわ。ええ、本当よ。クロード殿下といるときのほうが……その、楽しいもの。だから別に、嫌いでは……」
「そう、それはよかった。最後にそれが聞けて安心したよ。――ああ、ダンスが終わったね。じゃあフェリシア、君の望みを叶えてあげよう」
「……え?」
――私の望み?
一瞬何のことかと思ったけど、もともと二人は賭けをしている。そしてその賭けは「婚約破棄」が目的だ。
つまり、フェリシアの望みとは――
「ありがとう、フェリシア。君といる時間は、とても楽しかったよ」
「あ、殿下っ……」
繋がっていた手が離れていく。それがこんなにも寂しいとは思わなかった。
他の誰と繋いでいたときも、またそれが離れたときも、一度だってそんな感情は浮かんでこなかったのに。
彼は、フェリシアの名前を呼ばないつもりだろう。みんなの前で宣言して、"求婚"はしないつもりだ。
そうすれば自然とフェリシアが勝ち、フェリシアの望んだ婚約破棄が成る。
(でもそれは……それは嫌だわ!)
気づいたら、フェリシアはいつのまにか駆け出していた。
自分でも無意識だったため、周りなんて見えていない。
見えるのは視線の先にいる、初めて愛しいと思えた人だけ。
「クロード殿下!」
クロードが振り返る。
その胸の内に、思いきり飛び込んだ。
そうしたいと思っていた、その願望のままに。
「申し訳ありません、殿下。私、殿下に酷いことを言いましたわ。殿下はちゃんと、嫌がらせを受けていたときも助けてくださっていたのに。私の趣味も気味悪がらないで、ちゃんと受け入れてくださったのに。それに、毒を盛られたときだって、殿下だけが私を心配してくださったのに」
喉が熱くて、声が思うように出ない。
視界がぼやけるのは、そういう毒でも食らったからかと考えて――否定した。
毒は毒でも、この
「私、殿下を嫌ってなどおりません。むしろ――」
「はいストップ。そこから先は、私が言わないとね」
「――え?」
なぜか言葉を止められたことを不思議に思い、彼の顔を見上げる。と。
にいっこり。とても、そうとっても、眩い満面の笑みを浮かべたクロードが、そこにいた。
(あ、あら? でもついさっき、泣きそうなお顔をされてなかった……?)
この変わり身の早さは何だろう。
しかも自分を受け止めてくれた腕が、まるでもう離さないと言わんばかりに強く抱きしめてくるのは気のせいか。我に返るとかなり恥ずかしい。
すると、フェリシアを抱きしめていたクロードが、すっと片膝をついた。
片手はフェリシアの手を取って、その吸い込まれそうなほど深い紫の瞳で、フェリシアを射抜いてくる。
「フェリシア・エマーレンス・グランカルスト王女。私はあなたを愛しています。他の誰でもない、あなたが欲しい。私の
差し出されたのは、赤い薔薇の花一輪。
周囲から騒めきが起こる。王太子が、仮面をした女性に求婚した。しかも婚約者である王女の名前を口にした。
周りが思ったのは、これで間違えていたらどうするんだと、そんなことだろう。
けれど感動的なこの場面で、フェリシアが思ったことは一つだった。
(まさかこの人……さっきの全部……!)
「〜〜っ、ほんと、意地悪な人……っ」
そう言いながらクロードの首に腕を回し、大胆にも抱きついたフェリシアに、ついに周りのどよめきが最高潮を迎える。
「酷いわ。さっきのあれ、演技でしたわね⁉︎」
「酷いのは君だよ、フェリシア。私があそこまでしないと自分の気持ちに気づかないなんて、フレデリクのこと言えないんじゃない?」
「な、聞いてましたの⁉︎」
「いいや? でも戻ってきたフレデリクの顔を見れば、だいたいの察しはつくよ。それにね、嫌がらせの件も、エマの件も。私は全て君に甘えてもらいたくて仕組んだことなのに、君ときたら全く頼ってはくれないし、本当のことも打ち明けてはくれないし……。さすがの私もムカつ……悲しかったんだよ?」
「今ムカついたって仰ろうとしました?」
「さあ、何のことだろう」
「じゃあ最後のあの、もの悲しい雰囲気は……」
嫌な予感がして、フェリシアは恐る恐る尋ねてみた。
ここでまた良い笑顔を見せてくれたクロードに、この男の腹黒さを舐めていたと、フェリシアは数分前の自分を殴りたくなった。
「いやぁ、最後はライラがいい仕事をしてくれたね。おかげでフェリシアから私の胸に飛び込んできてくれた。ずっとこうしてほしかったんだ。もう離さないから、覚悟しておくんだよ」
「そんなっ、ライラに裏切られたんですの、私⁉︎」
「人聞き悪いことを仰らないでください、王女殿下。それと殿下も、私を巻き込まないでください」
「ああ、ライラ。よくやった、あとで特別手当てを出してあげるよ」
「ありがたく頂戴します」
「え、ライラ……⁉︎」
――そこありがたく受け取っちゃうの⁉︎
なんとも現金な侍女に、フェリシアはぽかーんとする。いつも冷静沈着だと思っていた彼女は、こんなときも冷静沈着らしい。なかなかいい性格をしている。
「それよりお二方、そろそろ周りの状況にも目を配っていただけると幸いです」
「周り……?」
と、ここでようやく周りに人が大勢いたことを思い出したフェリシアは、かーっと一気に顔に熱を集めていく。
そして、そんな彼女の仮面を、ライラが「祭りのルールですので」と言いながら外した。
そこで露わになった王女の素顔に、初めて見た者は全員が驚きを隠せなかったとか。
噂では、そのあまりの醜さに国民の前に出してもらえない第二王女と、そんな嘘が流れていたのだ。
流したのは、もちろん彼女の姉妹たちである。その姉妹たちも、まさかこの噂が遠い異国の地にまで届くとは思っていなかっただろう。
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