第6話 お茶会
シャンゼルという遠い外国にやって来てから、早いものですでに二週間が経っていた。
初日に行われた晩餐会という名の小さなパーティーでは、一度は会ってみたいと思っていた異世界からの聖女サラにも会えた。
フェリシアが男性パートを踊り、サラが女性パートを踊ったダンスは、瞬く間に王宮中で噂になる。まあそのほんどが、戸惑う聖女様を無理やりダンスに誘ったとして、フェリシアへの批判ばかりだったが。
おそらくサラとクロードが想い合っていることを知っている使用人たちには、フェリシアが何をしようと気に食わないのだ。
ありていに言えば、存在自体が気に入らない。
(それはまあ、とてもよく解るのだけど)
だからといって、やって良いことと悪いことがあると思う。
この二週間、クロードと席を共にした夕食時以外は、実は一度も食事が運ばれていない。
(そしてなぜか、サラ様には好かれるという……)
いったい自分の何がお気に召したのか、今はそのサラに誘われて、一緒に優雅なティータイム中だった。
初夏の小さな庭園を望むテラスは、どうやら聖女様専用に設えられているらしい。目の前に広がる庭園に余計な人は一人として見当たらず、マリーゴールドやマーガレットなど、初夏を彩る花々が美しく咲いていた。
こういう人に会う用事がない限り世話をしに来ない侍女二人は、今はフェリシアの後ろで黙って控えている。もちろん、その目は虫ケラでも見るようにフェリシアに向けられているわけだが。
それに気づかないふりをして、フェリシアは実に二日ぶりのまともな食事――といってもお菓子だけど――にありつくことに集中した。
見た目だけは上品に、けれど手を休めずおやつを平らげていく。
侍女たちに意地汚いと思われようが、構わなかった。だったら同じ食生活を送らせてあげましょうかと言ってやりたい。祖国から持ち込んだ薬草や、フェリシアでも手に入れられる水だけでほとんどを凌ぐ二週間は、なかなかにきついものがある。
だから、固形物は食べられるときに食べておくのが鉄則だ。
なぜそんな鉄則を知っているのかというと、悲しいことに、食事が運ばれない生活はフェリシアにとって初めてではなかったからである。
祖国でも姉や妹からの嫌がらせで、酷いときは三週間以上薬草だけの生活を送ったこともあった。しかもまだ幼かった自分は、薬草と間違えて毒草を食べてしまったこともあって、さすがにあのときは死ぬかと思った。
それに比べれば、今はまだ序の口である。二週間で二回だけとはいえ夕食にありつけたのだから、そこはクロード様様だろう。
そんなわけで、予想外にもへこたれない他国の王女に、侍女たちが苛立ちを募らせていることは知っていた。
「フェリシアさん、もしかしてこのお菓子、気に入ってくれました?」
「ええ。とてもおいしいですわ。冷んやりとしていて、今の季節に最高ですわね」
ついでに言うと、固形物をあまり摂れない今のフェリシアの胃にも、最高に優しい食べ物だった。
透明な器の上部には桃の果肉が入ったゼリーがあり、下部には酸味の効いたヨーグルトムース。二層が織りなす冷んやりデザートは、少し暑くなってきた今季節にはもってこいのものだろう。
クッキーやマフィン、スコーンといった焼き菓子が主流の昨今、ムースやゼリーを使ったおやつがお茶会に並ぶのは珍しいことだ。
「お口に合ってよかったです! 実はこれ、私が作ったんですよ」
「サラ様が? 凄いですわね」
素直に感心する。
見た目も可愛くて味も申し分なかったから、普通に王宮の料理人が作ったものだと思っていた。
ヴェールの中のフェリシアが真実感心していると分かったのか、サラの後ろで控えている護衛騎士が、なぜか自分のことのように嬉しそうな表情を作る。
確かその護衛騎士も、あの小説には登場していた。
「実は、そんなに凄いことでもないんですよ? こう……ちゃちゃっと混ぜて固めて、冷やせば出来上がりです!」
「まあ……」
(どうしましょう。作り方が全く伝わってこなかったわ)
それでもなんとなく、イメージはできる。なにせフェリシア自身も異世界からの転生者だ。これまでの話から似たような世界で育ったことは分かっているので、たぶん自分のしたイメージが大きく外れていることはないだろう。
「サラ様は、お菓子作りがお得意なのですね」
「はい! 向こうの世界でもよく作ってたんです。あ、向こうの世界っていうのはですね、私がいた異世界のことでして……」
「ええ、存じておりますわ。サラ様は、その異世界から来た聖女様なのでしょう?」
当然のように返すと、サラは何の疑いもなく「そうです!」と元気な返事をくれたが、護衛だけは少し眉根を寄せていた。
それもそのはず。このシャンゼルの国民でさえあまり馴染みのない"異世界"という単語を、フェリシアがさらりと口にしたのだから。
(なるほど。サラ様が純粋で素直な分、その護衛騎士があらゆる危険から彼女を守っているのね)
それは、サラの命を狙う不届き者以外にも。
たとえばサラを利用しようとする人間や、貶めようとする人間からも。
命の危険があるなしに関わらず、彼女に危害を加えそうな者から彼女を全力で守る盾。
(思い出した。そうだわ、彼はサラ様の護衛騎士フレデリク・アーデン)
彫りの深い、男らしい顔立ちの美丈夫だ。寡黙でありながら、その性格は誰よりも優しい。顔だけは優しいクロードとは違い、彼の場合は少しだけ目許が鋭いせいで、初対面の人間にはよく誤解されている。損な人間だ。
おそらく、クロードと顔、または中身を入れ替えれば、二人ともなんの違和感もなくマッチすることだろう。
(クロード殿下は、あれでいてなかなかお腹の中が真っ黒だものね)
でも、そうでなければ一国の王など務まりはしない。
ただ優しいだけの王ならば、いずれ国は崩壊する。
「あの。ちなみにフェリシアさんは、趣味とかありますか?」
「わたくしですか?」
「はい。普段どんなことをして過ごされているのかなって」
「そうですわね……わたくしは植物を育てるのが好きですわ」
「そうなんですか! たとえばお国ではどんなものを育ててたんですか?」
「色々ですわ。すずらんやアジサイなんかも育てておりました」
「わ、いいですね! 私、すずらん好きなんです。小さな白い花がちょこんとあって、かわいいですよね!」
「ええ、本当に」
フェリシアの本音を隠さず語るなら、すずらんは毒草で興味があり、アジサイは薬草として育てていた。残念ながら、サラの言うように決して観賞用ではない。
「そういえば、アジサイならこの庭園にも咲いているんですよ」
「まあ。それは素晴らしいわ。もしよろしかったら、見学させていただいてもよろしいかしら?」
「はい、ぜひ!」
サラが座っていた椅子から立ち上がったので、フェリシアも倣う。
しかしそれを止めたのが、フェリシアの後ろで控えている侍女だった。
わざとらしく咳払いして、主の許可もなく口を開く。それがどれだけ無礼であるかを、侍女は分かっていないのだろうか。分かっていないのだろうな。王宮侍女のレベルの低さに、フェリシアは内心でため息をついた。
「王女殿下、そんなことのために聖女様のお手を煩わせてはなりません。それに、もうすぐお勉強の時間です」
そう言ったのはレベッカだ。金に近いクリーム色の髪をお団子にしている、しゅっとした美人である。
もう一人の侍女ライラは、大人しく沈黙を保っていた。
(レベッカのほうが難あり、というわけね。あとで最低限のマナーは叩き込んであげないと。ライラは……)
正直、初日の挨拶以外では一言も喋っているところを見たことがないので、いまいち彼女は掴めない。保留。
「そう。もうそんな時間だったのね。サラ様、大変申し訳ございませんが、本日はそろそろ退席させていただきますわ。お恥ずかしながら、この国ついてわたくしはまだまだ知らないことばかりですの」
「そうなんですね。残念ですけど、でもフェリシアさんの邪魔はしたくないので、今日は終わりにしましょう。代わりに、また誘ってもいいですか?」
「光栄ですわ。ですが、今度はわたくしがご招待させていただいても?」
「もちろんです! 楽しみに待ってますね!」
「ええ。では、本日はとても楽しい時間をありがとうございました。失礼いたしますわ」
「私のほうこそありがとうございました」
丁寧に一礼して、外回廊を進み出す。
さて、このあと勉強の予定などない自分は、はたして聖女様に嘘をついたと罰せられなければいいのだが。
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