第5話 同郷の彼女


 クロードとファーストダンスを踊り終えたあと、二人の許にはひっきりなしに貴族が挨拶にやってきた。

 国王が懇意にしている貴族しかいないものの、その数は決して少なくない。

 ダンスの最後に爆弾発言をしてくれたクロードのせいでフェリシアは混乱しているというのに、当のクロードは全く動揺することもなく、自国の貴族たちを相手にしている。その余裕綽々な横顔に、拳の一つでもめり込ませてやりたいと思った。美貌が歪むさまは、さぞかしこのモヤモヤをすっきりさせてくれることだろう。


「クロード!」


 それでも、フェリシアだって大国の王女だ。たとえ王女として国民の前に出たことも、社交界に出たこともないとしても、なんとか平静を装って挨拶を済ませていた。そんなときだ。

 隣にいる婚約者の名前を、鈴の音のように可愛らしい声が呼んだのは。


「ああ、サラか。疲れているのにごめんね」

「気にしないで。だってあなたの婚約者が決まったんでしょ? 私だって見てみたかったし」


 見世物じゃないわよ、とフェリシアは内心で呟く。

 ただ、それよりも気になったのは。

 

("サラ"に、"クロード"ね。これは確定的かしら)


 その呼び名を聞くまで、どこか半信半疑だったフェリシアだ。ここが本当に、あの小説の世界なのかと。

 けれど小説に出てきたヒロインがいて、ヒーローがいて、お互いがお互いをファーストネームで呼び合っている。しかも異性を名前で呼び捨てにするのは、それなりに親しい間柄でないと祖国ではありえなかった。

 さらに決定打となったのが、クロードがサラと呼んだ少女の、その黒髪黒目という出で立ちである。


(ああ、なんて懐かしいの。"日本人"だわ)


 自分も前世ではそう呼ばれる種族の一人だったと感慨にふける。

 はたして自分の前世の"日本"と、彼女の祖国である異世界の"日本"が同じかどうかは分からないけれど。

 でも、日本人らしい黒髪黒目という特徴に、彫りが浅く、どこか童顔っぽい顔立ちは、まさに自分の知っている"日本人"と同じだった。

 出会い方が違っていれば、彼女の国について根掘り葉掘り聞き出してみたかったが。


(さすがにそれは無理そうね。だって私は、彼女にとって当て馬もとい恋敵なのだから)


 残念、と肩を落として、フェリシアはヴェールの下で外用の笑みを作る。


「お初にお目にかかります。わたくしはフェリシア・エマーレンス・グランカルストと申します。以後、お見知り置きくださいませ」


 そうして最上級の礼をとったフェリシアに、周囲からどよめきが起こった。

 それもそうだろう。サラはまだ自分が何者か名乗っていない。おそらく一貴族に過ぎない令嬢に、他国とはいえ王女が先に頭を下げるのは間違っている。

 しかし、フェリシアは知っていた。「サラ」とクロードに呼ばれた愛くるしい少女が、この国の聖女であることを。

 そしてこの国の人間が、どれだけ聖女を尊いものとしているのかを。


(あまり率先して敵を作るのは、面倒だと知っているのよ)


 つまり、長いものには巻かれるタイプだ。

 それで自分の好きなことができるなら、喜んで巻かれてやろう。余計な敵を自ら増やして、趣味に没頭する暇もないでは、フェリシアは生きている意味を見失ってしまう。

 周りが騒がしい中、しかし聖女としてすでに半年間勤めているサラは、こちらも気品漂う仕草で一礼した。

 

「こちらこそ初めまして。私は天野沙羅と申します。ええと、沙羅のほうが名前なので、サラとお呼びください」

「では、わたくしのこともフェリシアと」

「はい! これからよろしくお願いします、フェリシアさん」


 花が綻ぶとは、まさに彼女のような人に使う言葉である。癒し系だ。美人とも、かわいいとも取れる彼女の容姿は、愛嬌があって男性たちにはとても人気だろうと思った。

 おそらく日本でなら、職業アイドルですと言われても納得できる。


(なるほど。クロード殿下は、この笑顔にやられたのね)


 私でもやられるわ。そう思うくらい、思わず手を伸ばしてその頭を撫でてやりたくなった。愛嬌って大事なのね、とまた一つ学ぶ。


「フェリシア。実はサラは、この国の聖女なんです。遠い異国からやってきて、我々のために力を貸してくれています」

「あ、クロード! なんでそれ言っちゃうの。せっかく友達ができるかもしれないのに、それじゃあまた遠巻きにされちゃうじゃない」

「でもいずれ分かることだろう? こういうのは早めに言っておいたほうがいいよ。それに、もしかしたら……」


 いきなり名前を呼び捨てにされた衝撃は、二人のイチャつきぶりの前に吹き飛んだ。

 フェリシアには敬語を使うクロードだが、どうやらサラには砕けた口調のようだ。おそらくそちらが素なのだろう。

 クロードからちらりと意味ありげに視線を寄越されるも、フェリシアはそれに気づかないふりをして、大袈裟に驚いてみせた。


「まあ。サラ様は聖女様でしたのね。これは大変ご無礼を。お名前でお呼びするのは失礼だったかしら」

「いえっ、いいえ! そんなことないので、ぜひとも名前で呼んでください。私、聖女なんて大層な身分を与えられてますけど、本当はただの女子こう……17歳の小娘ですから! 身分でいったら、生粋のお姫様であるフェリシアさんのほうが上です」

(あ、今、女子高生って言おうとしたわ)


 その単語も懐かしい。そんな時代が自分にもあったことを思い出す。

 そう思うと、確かに彼女はただの小娘なのだろう。身分制度なんてなかった日本では――正しくは身分制度のない時代の日本では――天皇が象徴天皇として存在するだけである。

 あの口ぶりからサラも似たような時代に生まれたことが分かるため、彼女の言いたいことがよく理解できた。

 けれど、それを言ったら、実はフェリシアだってただの小娘なのだ。

 流れる血が絶対的であると言われながら、誰からも遠巻きにされた王女。

 趣味の薬草を育て、売り、生活していると。嫌でも自分は無力な小娘なのだと思い知らされた。

 あの離宮から出るだけの力もなく。だからといって王宮で自分の存在を示すほどの力もなく。

 自分は、"血"以外は、本当にただの小娘なのだと。

 それに比べて、右も左も分からない異世界で、多くの人々のために力を惜しげもなく使う彼女は、決してただの小娘ではない。

 彼女が、彼女自身の力で、意思で、多くの人を救っている。

 この国にしかない瘴気を浄化する役目を担うというのは、どれほどの重責が伴うことだろう。逃げることもできただろうに、見たところ彼女はそれをしていない。

 もしかしたら同郷かもしれないだけに、余計にその凄さが分かる。


(もし私が彼女の立場だったら、間違いなく責任を放棄していたわね)


 だって、知り合いもおらず、誰か守りたい人もおらず。自分だったら、まず元の世界に帰りたいと願うだろう。

 だから……。


「サラ様、そうご自分を卑下なさることはありません。あなたは立派な淑女ですわ。わたくしよりもずっと……ずっとね」


 だから、そんな彼女とクロードが惹かれ合うのは、もはや必然だったのだ。


「フェリシア、さん?」

「ふふ、良い機会だわ。お友達になった記念に、わたくしと踊ってくださらない? もちろん、わたくしが男性パートを踊りますから」

「え、えっ?」


 戸惑うサラの手を引くと、周りにいた他のみんなも驚いて目を瞠っている。

 それがなんだかおかしかった。おかしくて、ヴェールの下からつい笑い声を漏らしてしまう。

 型破りな婚約者でいい。

 おかしな王女でいい。

 きっとそのほうが、婚約破棄もしやすいだろう。


「ねぇ、サラ様。わたくし、こんなふうに笑うのは久しぶりで、とっても楽しいわ」


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