第1話 兄は敵
そもそもの発端は、フェリシアが他の
六人いる
だから、これは自分ではどうしようもない問題だと分かったフェリシアは、途中から無駄な反抗をしなくなった。
それまでは、やられたらやり返すくらいの気の強さを持ち合わせていたが、大きくなるにつれそれが無意味だと悟るやいなや、彼女は理不尽な仕打ちを甘んじて受け入れることにしたのだ。
ようは、面倒になったとも言う。いつまで経っても子供のような嫌がらせばかりしてくる、
それからは、彼女は王族でありながら、城の小さな小さな荒れ果てた離宮で暮らすことを強いられた。それも、侍女はもちろんのこと、使用人なんて一人もつけられない状態で。
「ふふふ、今回も元気よく育ったわね。えらいわ、私の愛しい子たち」
しかしそれを嘆くでもなく、むしろ楽しめるだけの図太い神経を持つのが、このフェリシアという王女である。
どう見ても手入れの行き届いていない、廃れた離宮。幽霊の噂が出るほど、気味の悪い魔宮。
初めてここを目にしたとき、けれどフェリシアは目を輝かせた。
目の前に広がる、雑草もどきたちに。
もちろん、自分が嬉しそうにしていると知られればすぐにまた移動させられることを知っている彼女は、おくびにもその喜びを出しはしなかったけれど。
そうしてフェリシアの、忘れ去られた王女生活が始まったのである。
当時、彼女はまだ12歳だった。
「あなたとあなたは痛み止め。あなたは軟膏で、あなたとあなたは痒み止めね。ああ、最近は花粉症が流行っているから、あなたは売れるわよ。ふふ」
まるで愛しい我が子を見るような眼差しで、18歳になったフェリシアは庭で育てている薬草たちに語りかける。
そう、彼女が初めてここに連れてこられたとき、目の前に広がっていたのは宝の山とも言うべき野生の薬草たちだったのだ。
幼い頃、悪い冗談は優に越し、姉に毒を盛られたことがあったフェリシア。なんとか死にはしなかったものの、かなりの苦痛を味わった。
そのときから、彼女は対抗するため、毒の知識を身につけることにしたのだが。
今ではそれのおかげで毒や薬に執着する人間になってしまい、余計にこの離宮にやって来る者はいない。
ただ、代わりに自由がきくようになった。
育てた薬草やハーブを市井に売りに行き、そのお金で孤児院の援助を行なっている。
これはなにも、彼女が心根の優しい人間だから、ではなくて。
使用人はいなくとも、生活ができるだけの食料や衣服や住居を与えられている身としては、それが国民の税金である以上、王族としての義務は果たさなければならないと考えるからだ。
だから、表立ってやると兄たちに目をつけられるため、こっそりと各所の孤児院を支援している。
そうしていつもの気ままな日々が続くと思っていたフェリシアだったが、ある一つの懸念は常に頭の中にあった。
――結婚だ。
そろそろあの意地悪な兄王子が、とんでもない縁談を持って来る頃だろう。
好色家のジジイか。それとも何人もの妻を持つ節操なしか。ああ、
(国王陛下は隠居なさるとの噂だし、アイゼンお兄様が即位されたら、いの一番に持って来そうね)
商品となる薬草を摘みながら、はぁと重たいため息を吐き出した。
もうフェリシアだって18歳だ。むしろ今まで縁談の一つもなかったほうが不思議なくらいである。といっても、それが自分の趣味のせいだとは、むろん彼女も解っていた。
自国で相手は見つけられないだろう。
近隣諸国でも、難しいかもしれない。
だってそうなるよう、フェリシア自身が自分の噂を街で流したのだから。
育てた薬草を売りに行くとき、彼女は王女ではない。変装した彼女の流す
全ては、この離宮に残るため。
もしそれが叶わないなら、いっそ遠い異国の地に追い出してもらうため。
0か100か。
「――第二王女殿下」
そのとき、滅多と人の訪れがない彼女の離宮に、珍しく客人が現れた。
まあ、実際は客人ではなく、自国の近衛騎士なのだが。
(彼は……アイゼンお兄様の騎士だったかしら)
「わたくしに何か御用ですか?」
ついに来たか、という思いは笑顔の下に隠した。
自分を嫌う兄王子が、わざわざ自身の騎士を遣わした理由を察せないほど、フェリシアは馬鹿ではない。
「我が主、アイゼン殿下がお呼びです。格好は気にしなくていいとのことですので、すぐに参上するようお願いいたします」
「そう、分かったわ。でもせめてこれを置きに行かせてね。でないと、手が滑ってあなたの口にこれを放り込んでしまいそうだもの」
そう言ってフェリシアが冗談っぽく掲げて見せたのは、紫色の花が特徴的なトリカブトだった。
国どころか世界で有名な毒草は、作り方さえ間違えなければ鎮痛剤などの薬にもなる。
が、それを知らない騎士は。
「わ、分かりました。それくらいの時間は取れますので、早く置いてきてください」
少しだけ顔を青褪めさせて、一歩後ろに下がっていた。
「ありがとう」
まるで悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべる彼女は、紛れもなく自分を虐めるきょうだいたちと、半分は同じ血が流れている。
フェリシアが案内されたのは、アイゼンの執務室だった。
書類と睨めっこしている兄王子は、視線をそこから上げることなく言い放つ。
「余の即位が決まった」
「まあ。それはおめでとうございます」
「ついでにそなたの縁談も決まった」
「急ですのね。どなたとですか?」
やはり、と内心で呟いたフェリシアは、少しも動揺することなく言葉を紡ぐ。
それが面白くなかったのか、ふと、アイゼンが視線を上げた。
その眉根は不機嫌そうに寄っている。
「なんだ、驚かんのか? つまらんな。祝いの言葉もまるで心がこもっておらんし……まあいい。ちなみに訊くが、そなたは誰だと思う?」
「わたくしより優秀なお兄様がお選びになった方ですもの。想像もつきませんわ」
「ふん。思ってもおらんくせに。では、どんな男がよかった?」
途端、アイゼンが意地悪そうに口角を上げた。
フェリシアとしては早く離宮に戻って薬草摘みの続きをしたかったので、アイゼンがきっと欲しがっているだろう答えをさっさと出してやる。
「そうですわね、わたくしを一途に想ってくれる方ですと素敵ですわね」
そんな相手の許に嫁がされることなんて絶対にないと分かっていながら、フェリシアはあえてそう言った。これならアイゼンがご満悦になること間違いなしだ。
案の定、嫌がらせのためにそれと真逆の相手を用意しただろうアイゼンは、満足気に瞳を細める。
「そうかそうか。それは残念だったな。そなたの相手はシャンゼルの王太子、クロード殿だ。どうやら彼はそなたではなく、聖女様にご執心らしいぞ」
「……シャンゼル?」
「なんだ、小さ過ぎて知らないか?」
ニヤニヤと底意地の悪い笑みを向けられるが、フェリシアは見慣れたものとして冷静にそれを見返す。
シャンゼル国がどこにあり、どんな国なのかはもちろん知っているフェリシアである。だから彼女が訊き返したのは、兄王子の言う「小さ過ぎて」が理由ではない。
確かに
しかし、シャンゼルは、ただの小国ではない。
「では、兄から妹に、最後の優しさとして教えてやろう」
一度もそんな優しさなど見せられたことはないけれど、黙って兄の続きを待つことにした。
「シャンゼルは大陸の最東端にあり、唯一異端の国でもある。過去の遺物と言われる妖精が存在し、魔物が存在し、瘴気とやらが存在するらしい」
「まあ、怖いですわね」
もちろん知っていたが、適当に相槌をうった。
気を良くした兄王子がさらに饒舌になる。
「だから聖女なんてものも存在する。今代の聖女は、ちょうど半年前に就任したらしい。なんでも黒髪黒目の清楚な乙女らしく、向こうの王太子は彼女以外目にも入らないほど溺愛しているとの噂だぞ」
「それはまた……」
(なるほど。だから私をシャンゼルに嫁がせることにしたのね、アイゼンお兄様は)
好色家のジジイでもなく、妻を何人も持つ節操なしでもなく。ましてやサディストでもなく。
性格や容姿だけで言うのなら、文句の付け所がない男――それがシャンゼルの王太子クロード・エルヴィス・シャンゼルだ。
名前とその噂しか知らないフェリシアだが、彼を悪く言う人はほとんどいない。
でもだからこそ、最初は驚いた。なぜ、そんな好物件を兄が自分の嫁ぎ先としたのかを。
けれどそれも、後の理由を聞けば納得がいった。
つまりクロードとは。
(絶対に私を愛してくれない、他の女性に心を奪われている夫、ってわけね)
まあそれでもいいか、と。
フェリシアがそう思えたのは、ある意味兄王子たちのおかげだろう。
たとえ魔物や瘴気が存在する国だろうと、それも正直どうでもいい。
それくらいで心折れるような脆弱さは、きょうだいたちによって叩き直された。
全てをどこか他人事のように受け入れて、フェリシアは兄の執務室を後にする。
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