【漫画化御礼】とある暗殺者のひとり言
ゲイル・グラディス。
それは男にとって、数ある偽名のうちの一つ。
仕事のため、金で買った肩書きだった。
「――血迷いましたか、王女殿下」
聖女の騎士フレデリク・アーデンが、標的であるフェリシア・エマーレンスを拘束している。
「血迷っているのはおまえだ、フレデリク!」
王太子ウィリアムがそんな彼を叱責した。
ゲイルにとって――いや、ここにいる誰にとっても、王太子の焦りを隠さない声など初めて聞いたことだろう。
(へぇ。意外と人間らしいとこもあるんだな)
ゲイルは内心でひとりごちた。
いつも微笑みを絶やさない王太子は、ゲイルからすれば気味の悪い人形みたいな存在だった。
喜怒哀楽全てを微笑みで表現する。
そう、表現する。
自然と出てきたものではなく、そう見せるため、わざと作っている笑顔。
怒りすらも微笑みで作ってしまう王太子を、ゲイルは器用なものだと他人事のように思っていた。
それが、今はどうだ。
そこに人形はいない。
今にもこの場にいる全員を殺しそうなほど殺気立つウィリアムに、ゲイルはぞくりと身を震わせた。
(退屈な仕事だと思ってたけど、なかなか面白くなってきたかも)
ゲイルの仕事は暗殺だった。
王女フェリシアを亡き者にすることだった。
娘を王妃にしたい財務大臣に依頼され、使用人の犯行と見せかけてこの世から消えてもらうことだった。
(ああ、矛盾してる。もう少しこんな王太子を見てみたいから、王女さんには死んでほしくない、なんて)
運ばれていく
彼がそんなふうに思うのは、人形のように淡々と日々を過ごすウィリアムが、どこか昔の自分と重なったからだ――。
ゲイルは、よくいる子どもの一人だった。
貧民街で生まれ、そこでは特段珍しくもない、両親のいない子どもだった。
孤児院に入れずあぶれた他の子どもたちと同様、盗みを繰り返しながら生きてきた。
それがゲイルの普通だ。
そんな日常に、
見た目はジジイのくせに、そいつはゲイルよりも身軽な動きで、とても見た目どおりの老人とは思えない力を持っていた。
そうしてゲイルは、様々な暗殺の技を、老人から仕込まれることとなる。
やがて、その老人が死ぬとなったとき、ゲイルは思いきって訊ねたことがある。
なぜ自分に声をかけたのか、と。
『おまえが若い頃の俺と同じ目をしてたからだ』
曰く、生きているのか死んでいるのかわからない無気力な目だ、と。
確かにその頃のゲイルは、適当に生きていた。心動かされることなんてほとんどなく、退屈で、無気力を前面に押し出したような子どもだった。
起きて、獲物を物色し、盗み、一日をしのぐ。
毎日同じことの繰り返しだ。
でもそんなこと、貧民街ではありふれている。
自分のような子どもも、そこら中に溢れ返っている。
だから、ゲイルは感謝していた。
口では言わないけれど、その多くの中から自分を選んでくれた老人に――たとえそれが暗殺者としての始まりでも――感謝していたのだ。
『なぁジジイ。俺、あんたが死んだらまた昔みたいに戻りそうなんだけど。独りは退屈だ』
『何を言うか。俺の培ってきた技を教えてやっただろ。それを後世に伝えてくれ。そのためにおまえをスカウトしたんだから』
『いや〜、でもそれ、普通にめんどいわ』
『めんどい!?』
老人としては自分の素晴らしい技術がこのまま世から消えることが耐えられなかったらしいが、ゲイルにとってはどうでもよかった。
老人が自分に何かを教えてくれる。それだけが、ゲイルにとっては大切なことだったから。
親を知らない子どもは、老人が自分の父親だったらいいのにと、何度願ったことだろう。
『くたばんの早いんだよなぁ』
『しみじみ言うな、クソガキが』
『あんたも馬鹿だよなぁ。俺以外にも育てればよかったのに』
『ふんっ。訓練と称して盛った毒で興奮する奴なんか、おまえくらいしかおらんわ』
『えー、そうか? 探せばいたんじゃねぇの』
『いてたまるか。あれからすっかり毒にハマりやがって。おまえ、俺で試そうとしたこともあるだろ!?』
『だって新作が出来たからさぁ。試さないと効果わかんないし』
『だからおまえ一人しか育てられなかったんだよ! 油断も隙もありゃしねえ。まったく。まあ、おかげで俺も退屈しなかったがな』
『……ああ、俺も。あんたと過ごした時間は、あっという間だったよ』
結局、老人が死んでも、ゲイルは暗殺業をやめなかった。
なぜならその技術だけが、父の遺してくれた形見のようなものだったから。
しかし、仕事をこなし、その日のねぐらに帰っても、褒めてくれる人はいない。それが思いのほか寂しかった。
老人は生きるために暗殺業を始めたと言っていたが、ゲイルは彼に褒めてもらうためにやっていたようなものである。
(んー、正直、やめたくはないんだよなぁ。やめちまったら、そこでジジイが消えるみたいだし。でも進んで続けたいほどでもないっつーか)
そんなときに受けたのが、王女フェリシアの暗殺依頼である。
「――あなた、毒に興味があるの?」
結果から言って、王女は本当に死ななかった。
王族だからある程度の耐性はあるだろうと踏んだ上での毒を盛ったはずなのに、それでも彼女は生き延びた。
ゲイルは、初めて己の失敗を喜んだのだ。
「素晴らしいわ! わたくしも毒や薬には大いに好奇心をくすぐられるタチよ。ちなみに今まで食らった毒の中で一等素晴らしかったのは、あの毒殺未遂事件の毒ね」
「マジっすか!?」
(ああジジイ。ここにいた、いたぞ、毒で興奮するお姫様が)
これが笑わずにいられるだろうか。
そりゃあ盛った毒は特別製だったが、まさか自分以外にも、毒を食らってこんなに興奮する人間がいたなんて。
期待に満ちた目で見上げてくるフェリシアに、ゲイルはウィリアムに感じたとき以上の悦びを全身に受けていた。
(決めた)
王太子じゃない。
この変わった王女にこそ、自分はついていきたい。
毒に興味を持ち、普段は微笑みを崩さないあの王太子を唯一焦らせることのできる人間。
そんな彼女のそばにいれば、自分もまた、退屈で無気力な人生からおさらばできるだろうか。
(悪いな、ジジイ)
暗殺業はしばらく休むことになるだろう。
後世に伝えるのはもともと面倒だと断っているから、そこは怒るよりも呆れられるかもしれないが。
(もちろん忘れはしないけどさ。ただ
これからの未来を想像して、ゲイルは口端をつり上げる。
視線の先では、ウィリアムに
それを最後に、ゲイルは二人に背を向けた。
舞踏会場は人が大勢いるから、自分一人が消えたところでなんら怪しまれることはない。
(さーてと、じゃ、準備しなくっちゃなぁ)
まずは王太子との交渉から始めよう。
でないと、いつまで経っても王女のそばにはいけそうにない。それを阻む最大の敵が、王太子その人だろうから。
それに、短時間で見事に
「はは。やばい、楽しみだなぁ」
この日、父が死んでから初めて、ゲイルは心の底から笑った。
そしてこの先、昔の自分を忘れるくらいに、ゲイルは充実した日々を送ることになる。
「――ゲイル! あなたいい加減にしなさいよ!?」
「ははっ、やっぱ王女さんはからかいがいがあるなぁ」
「ゲイル? それ以上フェリシアに近づいたら、王宮の窓から逆さ吊りにするよ?」
「そして殿下は相変わらず怖い、っと。じゃ、お二人の邪魔者はここらへんで退散しまーす」
刺激的で、波瀾万丈で。
でもそれはまた、別のお話で。
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