【3巻発売御礼】〇〇は見た

(時系列としては、小説2巻の終わり以降です)



*ライラは見た*


 ライラはもともと、シャンゼル王国の近衛騎士団第二部隊に所属していた。

 つまり、王太子であるウィリアムの護衛騎士だった。

 しかし今はその婚約者であるフェリシアの騎士となり、ぶっちゃけると、快適な職場環境にとても満足している。


 ウィリアムの騎士だったときは、主人の無茶に振り回され、主人の無茶に振り回される人々に同情し、なんとも気苦労の絶えない職場だったのだ。

 同僚の騎士たちの中には、胃薬が手放せなくなった者もいる。

 ウィリアムの騎士になるということは、大変名誉である代わりに、大事な何かを失うことと同義だとライラは思っている。


 あの頃はそれもあって、転職関連の情報誌が手放せなかった。隙あらば転職先を探していたように思う。

 それでも転職しなかったのは、ひとえに給金がよかったからだ。


(それに比べて、今は……)


 ライラはちらりと視線を落とす。

 その先には、喜々として植物の世話をしている今の主人フェリシアがいる。

 場所は王宮内にある小さな野草園。ウィリアムがフェリシアのために用意した、彼女専用の野草園だ。


「ふふふ、ヨモモちゃんがいっぱい」


 大量に収穫したヨモギを手に、フェリシアがうっとりと呟いた。

 とても王女とは思えないシンプルな水色のワンピースを着て、手には軍手をはめ、せっかくの輝かしい金の髪も雑に一つにまとめている。

 ライラは、そんな変わった主人を護衛しながら、真顔で平和を噛みしめる。


「これだけたくさん採れたら、ウィリアム殿下に淹れるヨモギ茶以外にも使えそうね。サラ様にお裾分けするのもいいかも」

「聖女様ならきっと喜んでくれますね! でもフェリシア様、このヨモモちゃんたち、全部お茶にするんですか?」


 そうたずねたのは、最近フェリシアの侍女になったジェシカ・トールマンだ。

 彼女も一緒になってヨモギの収穫に精を出している。なんなら、ちょっとおっちょこちょいな一面がある彼女は、メイド時代に着ていたであろう白地のエプロンを、ところどころ土色に染めるほど夢中になっている。

 楽しそうで何よりですと、やはりこの平穏を無表情で噛みしめた。


「そうね、全部をお茶にするには多いから、お茶以外にも使いたいわね。何がいいかしら。ヨモギ餅にヨモギパン、化粧水や軟膏もいいわね!」

「え、お化粧水にもなるんですか!? これが!? は〜、ヨモモちゃんってすごいんですねぇ。全然知りませんでした。でも、ヨモギもち? は初めて聞きました。どんなものなんですか?」

「えっ。あー……どんなものかしらね」

「?」

「そ、それより! そろそろ戻りましょうか。今日はヨモモちゃんだけで十分だし、そのヨモモちゃんも、もう十分採ったものね!」

「はい、そうですね!」


 二人がヨモギの入った籠を持って立ち上がる。どうやら目的は達成したらしい。

 嬉しそうにはしゃぐ二人の後ろを、ライラは静かについていく。

 耳を澄まさなくとも聞こえてくる会話。「お茶にするには数日乾燥させないとね」「殿下、喜んでくれるといいですね」「そのためにも頑張るわ」などなど。


(……健気)


 そう。ライラが新しい主人に抱く感想は、それがまず第一だ。

 今回ヨモギを採りに行ったのも、前の主人ウィリアムが、彼女に野草園のヨモギ茶が飲みたいと言ったからだ。

 彼女だって決して暇ではない。なのに嫌々ではなく、心底楽しそうな、愛おしそうな、そんな顔で頬を緩ませている。


(転職しなくてよかった)


 その表情に癒やされる。前の職場では、作り物の笑顔ばかり見てきたから。

 そう思うと、ここに配属してくれた前の主人にも、少しは感謝してもいいかもしれない。


 と、和やかに思っていたのも束の間。

 ふと視線を感じて、ライラは反射的に警戒した。横。執務棟がある方向。その二階の窓から。

 ――げ。

 声に出さなかった自分を、ライラは褒めてやりたいと思う。

 確かあの窓があるのは、ウィリアムの執務室へ向かう途中の廊下だったか。

 目が良いライラの視界には、楽しそうなフェリシアを一心に見つめる、締まりのない顔をした前の主人が映った。


(あの人あんな顔もできたのか)


 最初に思ったのはそれだった。

 そしてすぐに気づいてしまった。


(まさか、野草園の場所にここを選んだのって……)


 色々な条件がよかった、といつぞやのウィリアムは言っていた。

 その〝条件〟の中には、自分が仕事中のときもフェリシアを確認できる、なんてものも入っていたに違いない。と、本当に今気がついた。あの締まりのない顔を見て。

 過保護か。いやこれは過保護なのか。むしろ度を超した執着では、と静かに鳥肌が立つ。

 すると、ライラの視線に気づいたらしいウィリアムが、フェリシアから視線を外し、ライラに向けてにっこりと微笑んできた。

 まるで仮面のような微笑み。

 その口元が、ゆっくりと動く。


 ――さ、ぼ、る、な。


 今、確信した。


(やっぱり転職先は探しておこう)


 今度は自分のためではない。

 もし万が一にもこの先、フェリシアがあの執着男から逃げたくなったとき、彼女に付いていくための転職先を。

 ライラは前を行く優しい主人の背中を追った。






*ジェシカは見た*


 ジェシカ・トールマンは、もともと王宮のメイドだった。

 それがいつのまにか、王太子の婚約者であるフェリシアの侍女になっていた。

 自分の何を気に入ってくれたのかはいまだに謎であるものの、おおむね順風満帆な侍女生活を送っている。


 ただ、フェリシアの侍女は自分しかいないのが現状だ。

 それでも同僚のメイドはみんな優しく、護衛の騎士たちも優しいため、そこまで困ったことはない。

 何よりも、仕える主人が美しくて優しくて女神のような人なので、ジェシカにとっては最高の職場だった。


 けれど一人だけ、少し苦手な人物がいる。

 それが、騎士であるライラだ。無表情がデフォルトの彼女は、ジェシカにとって何を考えているのかわからない人物ナンバーワンだった。


「フェリシア様、四日前に採ったヨモモちゃん、やっと乾燥しましたね!」

「ええ、これで茶葉のできあがりよ。簡単だったでしょう? あとは沸騰したお湯で淹れるだけだから、そのうち殿下の予定をいておかないとね」

「はい! 楽しみですね」

「ふふ、そうね」


 そう言ってはにかむ主人に、ジェシカは胸を貫かれる。

 ただでさえ綺麗な人が、頬を染め、目を細め、愛おしむように優しい表情をしたのだ。これでときめかない人間などいるのだろうか。いやいない。

 ――いや、いた。

 例の騎士、ライラだ。

 彼女はやはり無表情だった。この女神もかくやという破壊力をもった笑顔を前にしても、彼女の表情筋は動かない。


(つ、強い……!)


 ジェシカは自分でもよくわからない感想を抱いた。

 そのせいで不躾に見過ぎてしまったようで、フェリシアに向けられていた視線がおもむろにこちらへ向いてくる。

 なんの感情も浮かんでいない顔でじっと見つめられて、ジェシカはどう反応すればいいのか戸惑った。

 目を逸らすのは失礼だろう。かといって、見つめ合うのも違う気がする。


(ど、どうすればいいんですかこれ!? 助けてくださいフェリシア様!)


 頼みの綱は優しい主人だ。

 不思議なことに、主人はライラの表情が全く動かなくても、彼女の気持ちがわかっているようにコミュニケーションをとっている。さすが女神様、と主人への尊敬を強くしたのは言うまでもない。


(ま、まだ見られてる……?)


 だとしても、何か御用ですか? とここで声に出す勇気はジェシカにはなかった。

 でも見つめられる原因がわからない。特に粗相はしていないし、ドジもしていないはずだ。それに、自分の悪い癖――美しいものを見ると興奮する――も発動させていないはず。


「あ、そうだわジェシカ」


 そのとき主人に名前を呼ばれて、思わず勢いよく食いついた。


「はい! なんでしょうか!?」

「え、なに、どうしたの。急に元気が爆発したわね」

「気にしないでください! それで、どうしました?」

「実はね、余ったヨモモちゃんをサラ様にお裾分けして、パンを作ってもらえることになったの。だからお使いをお願いしていいかしら?」

「もちろんです。フェリシア様の頼みなら、たとえ迷路だろうが古参侍女だろうが突破してみせましょう! お任せください」

「待って。なんか今、おかしなたとえが混じってなかった?」


 ――あ。

 しまったやらかした、と気づいたときにはもう遅かった。

 

「もしかして、サラ様の侍女に何かされてるの?」

「いえっ、そういうわけでは!」

「本当に?」


 嘘をついていないかと、じと目で問い詰められる。

 でも、本当に嘘はついていない。確かに最初こそ不穏な空気で迎えられたこともあったが、何がきっかけだったか、いつからかそれはただの言論抗争の場に変わったのだ。

 といっても、もちろん健全な抗争である。陰険な感じのやつではない。

 侍女の、侍女による、侍女のための抗争。

 それすなわち――。


「本当です。ただちょっと、どっちの主人のほうが優れてるかって、自慢大会みたいなものを、えっと、してたり、してなかったり……?」


 えへへ、と笑って誤魔化してみた。自慢している本人を前に白状するのは、少し気恥ずかしい。

 それでも、以前の気弱な自分なら人と言い合うなんて絶対にできなかったことだから、少し誇らしくもある。

 こんな風に変われたのも、目の前の主人のおかげだ。彼女の強さに憧れて、自分もそうなりたいと思った。

 だから、聖女の侍女たちに主人を悪く言われて、どうしても許せなかったのだ。


(そうだ、それが〝きっかけ〟だったっけ)


 フェリシア・エマーレンスという女性がいかに素晴らしいかを語ってやったのだ。

 すると、聖女の侍女たちも反論してきて、しまいには互いが互いに己の主人を褒め称えるだけの場と成り果てていた。

 でもそのおかげで、主人を大切に思う気持ちはどちらも同じなのだと気づくことができて、最後には熱い握手を交わしていた。

 今では、この自慢大会を互いに楽しんでいるので、全く問題はない。


「あとはその、王宮って広くって……」

「いまだに迷うのね」

「はいぃ」


 困ったように微笑む主人も美しい。今度の自慢大会は「うちの主人は困り顔も美しい」ことを絶対に言おうと心に決めながら、ジェシカは「だから」と続けた。


「本当に大丈夫です。私、今がすごく楽しいんです」


 すべてはこの、美しく優しい主人のおかげで。

 どんなときも挫けない彼女に憧れて、自分も頑張ろうと思ったからこそ、今の自分があるのだ。


「なので、今日こそ聖女様の侍女の方々と、決着をつけてきますね! 私、いっぱい自慢してきますから!!」

「待ってジェシカ、それは頑張らなくても――」

「行ってきます!!」

「ジェシカっ」


 意気揚々と部屋を出る。

 出た直後、淡々とした声に呼び止められた。


「ジェシカさん、忘れ物です」

「あっ」


 そう言って部屋から出てきたライラの手には、乾燥したヨモギの入った瓶がある。

 一番大事な物を忘れていたらしい。こういうところがおっちょこちょいと言われる由縁なのだと、内心で反省する。


「ありがとうございます、ライラさん」

「いえ」


 と言いながら、でもなぜか彼女は、瓶を渡してくれない。

 またじっと見つめられる。


「あの、ライラさん?」

「……あなたは」

「は、はい」


 声が裏返る。変な緊張が身体に走った。

 彼女にこうして話しかけられるのは、実は少ない。そもそも彼女が喋ること自体、あまり見ないことだ。

 それほどのことをしてしまったのだろうかと顔を青くさせながら、もしそうなら、とにかく謝ってこの場を切り抜けるしかないと決心する。


「あなたは、良い人です」

「はいっすみま、せ……え?」

「良い人なので、助言です」

「え、あれ、はい?」

「ウィリアム殿下には、気をつけてください」


 ――ウィリアム殿下? なんで?

 不思議に思ったが、聞き返す前に彼女はヨモギ入りの瓶を渡して部屋の中に戻ってしまう。

 ぽつん、と一人取り残される。


(え、殿下に気をつけて? なんで、何を? そこが一番気になるところですよライラさん! 私、何かしちゃった感じですか!?)


 必死に脳みそを動かすが、心当たりが全くない。

 ないからこそ、余計に恐ろしい。

 とりあえず役目を果たさなければと、ジェシカは震える足を動かした。

 やっぱりライラさんはわからない、と若干涙目になりながら廊下を進んでいると、十字路に差し掛かった。

 その右側から、人の話声が聞こえてくる。

 いつもなら何も気にせずに通り過ぎていた。そもそもジェシカの進行方向は十字路の右ではなく、前――真っ直ぐだ。

 この十字路を右に曲がった先は、我らが王太子の私室がある。今のジェシカには鬼門とも言える場所だ。

 けれど、聞こえた声に自分の名前が含まれていれば、こんなタイミングだったこともあり、思わず足を止めてしまった。

 曲がり角に隠れて身を潜める。

 こっそりと窺った先には、ある部屋の前で立ち話をしている騎士と、なんともタイムリーな存在、ウィリアムがいた。


「それで、彼女の調査結果は?」


 ウィリアムが騎士に訊ねている。


「特段問題ありません。少し落ち着きはないようですが、以前の侍女のように王女殿下に危害を加える気配はありません」


 その報告を耳した瞬間、心臓が冷水をかけられたように縮み上がった。

 よくわからないけれど、どうやら自分は調べられていたようだ。内容を聞くに、素性調査というよりは、素行調査だろう。それも、これまでの素行ではなく、自分が侍女となってからの。


「そう。少しもそんな気配はなさそうかい?」

「はい。性格は温厚、人間関係もそれなり。例外として、騎士のライラを怖がっている節があるくらいです」


 ――バレてる。真っ先にそう思った。

 次に、その調査力に恐れおののいた。


「ライラを? それはまた面白いね。ライラのどこに怖がる要素があるの?」

「彼女は表情が変わりませんから。そのせいではないでしょうか」

「ふうん。あれは意外と面倒見がいいから、そうでもないと思うけれどね」

「それを私に言われましても……」

「ああ、別に君に言ったわけじゃないから、大丈夫だよ」

「え?」

「それに――」


 つ、と。

 その瞬間、絶対的王者の威圧をまとった視線が、ジェシカのものと交差した。


(ひぇっ)


 一瞬、ほんの一瞬だ。

 なのに、その一瞬で身体を石にされた。それほど冷たい視線だった。

 顔は、いつものように笑っていたけれど。


「――それに、ライラより怖い人間が、ここにいるからね」

「……殿下、反応に困るのでやめてください」

「はは、とにかくご苦労。調査は終了だ。通常業務に戻っていいよ」

「了解しました」


 冷や汗がだらだらと流れていく。

 目が合った瞬間に身を潜めたけれど、あれは絶対に気づかれていた。



 ――〝ウィリアム殿下には気をつけてください〟



 ああ、彼女の言ったとおりだ。

 別にやましいことは何もないけれど、なくても恐怖を感じてしまう。

 そして彼女の面倒見がいいことも、どうやらそのとおりだったらしい。

 きっとライラは知っていたのだ。ジェシカが調べられていることを。

 そりゃあ王太子の婚約者に仕える人間なのだから、調査されるのは当然だろう。だから、ジェシカが恐怖したのは、そこではない。

 ジェシカが恐ろしいと感じたのは、今、ここにジェシカがいることをいち早く察知して、遠回しに牽制してきたそのやり方だ。

 もう一度、怖いもの見たさに、曲がり角から顔を出す。


「ひっ」


 すると今度は、一瞬どころではない、確実にこちらに向けて手をひらひらと振るウィリアムと目が合った。

 彼は笑っていた。あの、美しすぎる顔面で。

 以前は男神だと思ったそれは、もはや魔王にしか見えない。普通に怖い。

 あんな恐ろしい方と平気で喧嘩もできる己の主人こそ、実は最強なのではないだろうか。ジェシカは本気でそう思った。


 もう色んな許容量オーバーを起こしたジェシカは、そのあと自慢大会で泣きながら己の主人を自慢した。いかにフェリシアが最強でウィリアムが最恐なのか、身振り手振りで自慢した。

 そんな自分を、なぜか聖女の侍女たちが共感しながら慰めてくれたのだが、それはまた別の機会に話すとしよう。心の傷は深いのだ。


 とりあえず、この日から親切な騎士ライラのことが全く怖くなくなったことだけが、唯一の救いと言えるだろう。

 


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