【6巻&3周年御礼】男の嫉妬談義
とある祝祭前。
聖女であるサラから相談があると受けたウィリアムは、執務室でその本人と向かい合って座っていた。彼女の後ろには当然のように騎士のフレデリクが控えている。
なんでも、代々の聖女が務めてきた祝祭の始まりを告げるスピーチについて、内容の確認をお願いしたいということだった。
「――うん、これなら大丈夫だろう。過去のものを参考にしているけれど、ちゃんとサラの言葉で語られている。私はいいと思うよ」
「ありがとうございます、陛下! おかげで安心しました」
「役に立ったなら私としても嬉しいけれど、別に私の確認なんて必要なかったのに。国をあげての祝祭なら、
「違いますっ。そういうわけじゃなくて、これはたぶん、私の問題かな〜なんて……」
サラが眉尻を下げて、気まずそうに笑う。
ウィリアムは続きを促すように小首を傾げた。
「えっと、この世界に来てから、何かと陛下が助けてくださったじゃないですか。色々と便宜を図ってくれたり。だからなんとなく、陛下のお墨付きをもらえると安心するんですよね……すみません」
「謝る必要はないよ。まあ、また困ったことがあったら遠慮なく言ってね」
ウィリアムがこう言うのは、サラがこの世界の人間ではなく、異世界から来た人間だからだ。
こちらの都合で連れてこられ、助ける義理もない国を助けてくれている少女への、できる限りの敬意と謝辞を込めている。
国を思えば、聖女の存在は手放せない。
でもいつか聖女に頼らなくてもいいような世界をつくりたい。そうして新たな犠牲者を出さずに済むような世界を――それが、ウィリアムの夢であり、必ず成し遂げると決めた目標でもある。
「じゃあ私はこれで失礼しますね。お忙しいなか本当にありがとうございました!」
「気にしなくていいよ。ああ、そうだ。フレデリクだけちょっと借りてもいいかい? 代わりに私の騎士に君を送らせよう」
「はい、私は大丈夫ですけど」
「フレデリク、いいね?」
有無を言わさない微笑みでフレデリクに視線を送ると、彼が渋々といった
サラが退室し、部屋にはウィリアムとフレデリクの二人だけになる。
彼はウィリアムの正面で立ったまま、座ろうとはしない。いつものことなので、ウィリアムは特に何を思うことなく切り出した。
「さて、おまえを残した理由はわかるかな」
「……いえ」
「『いえ』ね。じゃあ言うけれど、その目、どうにかならないのか?」
フレデリクはまだ理解していないように眉根を寄せた。
ウィリアムはわざとらしくため息を吐き出すと、鈍感な男にもわかるように言葉にする。
「サラに頼られてずるい。そう顔に書いてある。嫉妬のこもった目で私を見ないでくれるかい」
「!?」
「本当に気づいてなかったのか……」
といっても、相手はあのフレデリクだ。
自分の想いも、サラの想いも、周囲が
無自覚の嫉妬もこの男ならありえるかと思ってしまう。
「まあ、おまえの気持ちは
ソファの背もたれに深く背中を預ける。
ウィリアムだって、自分の妻がそんなことをしたら相手を牽制する自信がある。いや、牽制するだけで収まれば良いほうだろう。
フレデリクはまだ自分の感情に戸惑っているようだったが、すっと頭を下げてきた。
「大変申し訳ございませんでした。無意識とはいえ、陛下にそんな視線をやってしまったなんて騎士失格です」
「気にしてない。それに、無意識とはいえ、おまえが誰かに嫉妬するなんて珍しいところを見られたんだから、私としては仔犬の成長が喜ばしいよ」
でも、とウィリアムは続けて。
「知ってのとおり、私はフェリシア一筋だからね。おまえの心配は杞憂だ。もっと言うなら、サラが私を頼ってきたのは雛鳥が親鳥に助けを求めるのと変わらない。はたから見れば彼女に一番頼りにされているのは、フレデリク、おまえだよ。ただ事務仕事に関してはおまえより私のほうが適任だった、それだけのことだ」
「陛下……」
「と、私も
「?」
はぁ、と息を一つこぼして、ウィリアムは前髪を掻き上げる。
こんなプライベート中のプライベートな話は、他の誰にできるものでもない。
昔から近しい存在であり、堅物のフレデリクだからこそできるものだ。
「自分のことになるとだめだ。フェリシアの周りにいる男を冷静に分析できない。全員敵に見える」
「え……はぁ」
「仕方ないとはいえ、舞踏会で彼女と踊る男には威嚇の視線を送るし、必要以上に触れた男には殺意の眼差しをくれてやっている」
「……」
「ついこの間は、とうとう動物にまで嫉妬した」
「動物、ですか?」
「浄化薬が間に合わなくて、檻の中に捕獲した魔物を騎士棟まで連行したことがあっただろう。そのあと浄化薬で元の害のない状態に戻った動物が、騎士のミスで脱走したね」
「はい。その節は部下が大変な迷惑を……」
「あれが魔物のままだったら大問題だけど、元に戻った猫くらいなら問題ない。問題は、その猫があろうことかフェリシアに抱きついたことだ」
そのときはフェリシアと貴重な休みを共に過ごしていて、久々にすずらん畑でピクニックでもしようと向かっていたところだった。
あとから思えば、フェリシアが纏うお菓子の匂いにつられたのだろうと理解できたが、そのときは自分以外の
「フェリシアの腕の中は安心するんだ。それを感じられるのは私だけの特権だと思っていたのに、あの猫、よりにもよって私の目の前で堪能していた」
「……」
「フェリシアもフェリシアで、私を放って猫をものすごくかわいがってね。でも私の両手にはピクニック用の軽食があって引き離すこともできないし、引き離すとフェリシアが悲しがるかなと思うとできないし……耐えた自分を褒めたいくらいだ」
フレデリクは呆気にとられたような顔をして固まっている。
まあそうだろうなと、ウィリアムは内心で苦笑した。
「おまえはないのかい、そういうこと」
「自分は……」
そこで押し黙ってしまうフレデリクを、ウィリアムは
やがて、彼が恐る恐る口を開いた。
「自分は、いいな、と」
「いい?」
「俺も、サラ様が動物と戯れるところを見たことがあります。サラ様に優しい眼差しで見つめられて、優しく撫でてもらえて、いいな、と」
過去の自分の感情を確認するような話し方だった。
それは、ウィリアムとは違った意味で感情を表に出さないよう訓練された男の、珍しい発露だった。
「うん、解るよ。あの愛おしそうな瞳で自分も見つめられたいよね」
「……はい。それで、名前を呼んでほしいです」
「うん、たくさんね。逆に他の男の名前は呼んでほしくないけど」
「……解ります。俺の名前を呼んでくれれば、いつだって助けに行くのにって」
「そう、そうなんだよ。他の男の名前を呼んで、他の男に頼らないでほしい」
「……正直に申し上げると、サラ様が陛下のことを『陛下』と呼んでくださっていて、ほっとしています」
「ああ、だろうね。彼女が私の名前を呼んでいたとき、おまえに何度か睨まれた覚えがあるからね」
「えっ」
「まあ、それも無意識だったし、呼ばれなくなってからは睨まれることもなかったから放っておいたんだ。この機会だから言っておくけど、あれは〝聖女〟を慮った対応で、他意はないから」
「はい、申し訳ございません……」
自分の過去の失態を恥じるフレデリクに、ウィリアムは微笑をこぼした。
「でもフレデリク、私だけじゃないよね?」
核心を突くように突っ込むと、フレデリクの肩がぴくりと跳ねる。
「この際だから全部吐き出せ。私だって吐き出したんだから」
「ですが」
「
嘘偽りのないことを白状すると、フレデリクが驚いたような、ドン引きしたような顔で目を瞠った。
その反応を「まあそうなるか」と思う時点で、自分の心の狭さは自覚している。
ただし分別とプライドはあるので、さすがにベッドの話をフェリシア本人に言ったことはないが。
「これも全部フェリシアがかわいすぎるから仕方ない。自分が大変なときだって私を気遣ってくれて、いつも笑顔で、優しくて、何もかもが最高なんだ。キスのときに出来心でつい意地悪しちゃったときなんか、顔を真っ赤にして怒ってきたけど、それすらかわいくてどうしようかと思った」
「あの、陛下の言葉を否定するわけではありませんが、サラ様のほうが、俺にとっては最高の女性、だと、自分は思います」
「へぇ? どんなところが?」
いつもならそんなことを言われれば反論するウィリアムだが、今日は目的のために意識して黙った。
フレデリクは少しだけ悩む素振りを見せたものの、おもむろに口を開く。
「サラ様もいつも笑っておられます。人を癒やす笑顔です。分け
「分け隔てなく優しい、か。おまえはそれでいいの?」
「それでいい、とは?」
「サラがおまえ以外の男にも優しいなら、おまえ以外の男がサラに懸想して、サラもその男を好きになるかもしれない。そうしたら、彼女の
そう話すと、フレデリクが今その事実に気づいたように息を呑んだ。
やれやれ、と兄の心境で苦笑する。
「それでいいのかい、フレデリク」
「そ、れは」
「おまえは私を意識しているようだけれど、私よりも他の男のほうが危険だといい加減に気づいたほうがいい。もう一度訊くよ。おまえは、サラの騎士の座を、他の男にかっ攫われてもいいのかい」
「嫌です」
予想よりはっきりと断言したフレデリクに、ウィリアムはほくそ笑む。
今はこれが限界だろうなと、ソファから立ち上がった。
そのまま部屋の扉の前まで行き、足を止める。
不思議そうな視線を寄越すフレデリクに向けて、にっこりと笑って言った。
「悪いね、フレデリク。私は昔から自分のことを話さないおまえに慣れているけれど、彼女はそうじゃないだろう?」
そう言いながら、薄く開いていた扉を開き、廊下で待たせていたサラを再度部屋へと招き入れる。
「サラも。これでフレデリクの本音の引出し方はわかったかい? フレデリクにだけ語らせようとすると頑なに口を閉ざすが、さっきの私のように、まずこちらが素直に吐き出すと話してくれることが多いよ。今度からやってみるといい」
「は、はい。ありがとうございます、陛下……」
サラの顔は真っ赤だった。それを微笑ましく思う。
今回の悪戯は、サラに相談されたとある人の提案で実行したことだった。
まさか先ほどの話を全て聞かれていたと遅れて理解したらしいフレデリクが、珍しく視線を泳がせて狼狽え始めた。
「さ、用事はもう済んだから、二人とも戻っていいよ。ほらフレデリク、送ってあげて」
「へ、陛下、なぜこんな……」
「それは自分の胸に手を当てて考えろ」
フレデリクはサラに聞かれた絶望と羞恥で混乱を極めている。このままだとさすがにフレデリクだけが可哀想かと思い、ウィリアムは一つの命令を告げた。
「最後に。おまえの父が感情を押し殺せと言ったのは、仕事においてだ。たまには休め、フレデリク。私は休みの日にサラに会ってはいけないなんて、そんなことを言った覚えはないよ」
サラから離れるのが嫌だと言わんばかりに、この男は己の職務を全うしている。
それがサラを心配させていることにも、きっと気づいていないのだろう。
出来の悪い弟を持つとこんな感じかなと、ウィリアムは満足げに二人を見送った。
そしていまだに扉の影に隠れている存在に、今日一番の笑顔を向ける。
「それで、フェリシア。君の考えた作戦はうまくいったみたいだけど、いつまでそうして隠れているつもりだい?」
サラに負けず劣らず顔を赤く染めたフェリシアが、上目で睨んでくる。
「た、確かに今回のことは、フレデリク様の考えていることがわからないと言ったサラ様のために計画したことでしたけど……ウィルのことは聞いてません! なんですか、さっきの! 猫やベッドにも、その……」
「嫉妬したってこと? この際だから私も白状してみようかなと思って」
「便乗しないでくださいませ!」
「でも本当のことだからね。さあ、おいで。君はまだ帰らないで、もう少し私と一緒にいようか」
口では怒っていても、大人しく捕獲される彼女はやはり世界で一番かわいい。
ぎゅっと抱きしめて、この幸せな時間を堪能した。
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