第2話 王女の旅立ち


 アイゼンから彼が即位すること、そして自分の婚約者が決まったこと、この二つを告げられて翌日。

 なんと、その全てを今日執り行うとのことだった。さすがのフェリシアも、これには開いた口が塞がらない。

 きっとどちらもずっと前から決まっていただろうに、アイゼンがわざと情報を止めていたのだろう。なんて性格の悪い兄だ。今日ほどそう思ったことはない。

 だから城中の者が新国王即位の式典に参加している中、フェリシアだけは離宮で荷物づくりをしていた。

 せっかく育てた薬草たちは、残念ながら全て持っていくことは難しい。比較的栽培が難しいものだけなんとか持ち出して、他は諦めることにした。

 もともと城での待遇が待遇だ。フェリシアはドレスもアクセサリーもほとんど持っていない。荷物はそう多くないだろうと思われた。

 が、どういう風の吹き回しか、アイゼンが大量のドレスとアクセサリーをフェリシアに贈ってきたのだ。

 それがたった今、部屋に運ばれている。


(いくらアイゼンお兄様でも、さすがに大国グランカルストの権威を損なわせるようなことはしないってことね)


 嫁ぎに来た王女が、まさかドレスもアクセサリーも持って来てませんとは言えないだろう。

 ましてや遠い異国の地。兄たちの悪い噂をあることないこと喋られても面倒だ、という腹づもりに違いない。

 その隙を与えないため、十分な物資だけは与えてくれるらしい。


(まあそれはいいのだけど。こっちの……布で覆われたなんとも怪しいこれはなに……?)


 たくさんのドレスやアクセサリーに紛れて、縦に長い四角いものが置かれている。布で覆われていて、その正体は分からない。

 首を傾げるフェリシアに、アイゼンの贈り物を届けに来た下男が答えた。


「恐れながら王女殿下、そちらは王女殿下の婚約者であらせられるクロード殿下の肖像画にございます」

「肖像画?」


 なんで今さらそんなものを。フェリシアが最初に思ったのはそれだった。

 どうせひと月の旅路を終えたあとに、嫌でも顔を合わせる相手だ。今さら顔を拝んだって、「タイプじゃないからお断りします」の段階はとうに過ぎている。そもそもタイプじゃないからって話が頓挫するものでもない。

 

(ああやだわ。お兄様の考えが分かっちゃった。どうせクロード殿下は私の好みの顔で、一目惚れでもしろと仰せなのね。それで手酷く振られて辛い人生を歩め、と)


 これはネガティブな妄想でもなんでもなく。

 実際にアイゼンはそういう意図を込めて肖像画を手配していた。

 認めたくはないが、きょうだいたちの中でも性質が似ているアイゼンとフェリシアだから、彼女は兄の言いたいことを簡単に理解できてしまう。

 もちろん嬉しくなんてないけれど、おかげで先を読んで回避した危険は数知れず。

 今回も兄王子――いや、もう兄王か。彼の意図が分かったからこそ、絶対にクロードに惚れてやるものかという闘争心が沸き起こってくる。


(いいわ、お兄様。あなたの最後の嫌がらせ、受けて立とうじゃない。どんな顔立ちか知らないけど、一目惚れなんて誰がしてあげるものですか!)


 ばさっ。

 勢いよく布を取り払った。

 下から現れたのは、一人の男の絵である。

 まるで蜂蜜のように甘い金髪に、ヴァイオレットサファイアのように高貴な紫の瞳。

 その絵が誇張なく本人を描いているというのなら、クロードという男は世界でも指折りの美青年だろう。顔は小さく肌は白く。目は大きくまつげは長い。肖像画でまつげの長さまで分かるのだから、相当のものだ。

 もう、何かのお話に出てくるかっこいいヒーローにしか見えなかった。

 物語のお姫様を守る、かっこいい王子様にしか。


「っ、――――⁉︎」


 そのときだ。

 ガツン、と。頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 思わずよろめいて、近くの壁に手をつく。支えてくれる者は誰もいない。


「あ……う、そ……」


 そうして衝撃とともに流れ込んできたのは、自分でも信じられない、いわゆる"前世の記憶"というもので。


「うそ……でしょう……?」


 フェリシアはこのとき初めて、兄王に泣いて縋ってでもこの婚約を無しにしてほしいと思った。




 泣いて縋って、でもそれは、フェリシアの矜持が許さない。

 たとえ思い出した前世の自分がそれを許したとしても、この世界で18年間生きてきたフェリシアが、絶対にそれだけは是としなかった。

 思い出す数々の記憶。

 今とは反対の黒髪黒目の自分に、会社員として働いていた記憶。

 生まれてからその生を終えるまでを、走馬灯のように頭の中で視る。

 その中に、フェリシアが一番見逃せない記憶があった。

 それは、自分がまだ高校生と呼ばれる学生だった頃。

 ライトノベルの少女小説にはまっていて、読んだうちの一つの作品。「聖女になったからには、幸せになります!」というタイトル。

 それらが記憶の波となって押し寄せてきたとき、同時に話の内容も思い出した。なんとそこには、今の自分と同じ容姿、同じ名前、同じ婚約者を持つ王女がいた。

 偶然の一致ではない。

 そんなわけがない。

 だって、その小説に登場する、今の自分でも知っている何もかもが、全く同じだったから。

 蜂蜜色の髪、ヴァイオレットサファイアの瞳。基本的に穏やかな性格の美しい青年は、その小説のヒーローだ。今日これからフェリシアが会いに行く、クロード・エルヴィス・シャンゼルと、全く同じ容姿と名前を持っている。

 しかもこの小説、タイトル通り聖女が出てくる。

 それも、聖女が。

 だからつまり、簡単に言えば。

 この「聖女になったからには、幸せになります!」という小説は、異世界からきた聖女とヒーローの、純愛物語なのである。


「ふ、ふふ、ふふふ……」


 あまりにも馬鹿らしくなって、つい口の端から不気味な笑みが漏れる。

 思い出したその小説には、二人の恋を盛り上げるため、当て馬なるものが存在していた。

 その当て馬の名前が――――フェリシア・エマーレンス。大国グランカルストの、第二王女。


「……なるほど、つまりこのままだと国に捨てられ当て馬になったあげく、失恋引きずって泣き暮らす一生になるわけね」


 ――私は。

 そんなこと、誰が許せよう。

 今まで散々きょうだいたちの理不尽な仕打ちに耐えてきたのは、誰かの恋愛の当て馬になるためではない。

 ただ母親が違ったからと、ただその母の出生が男爵という身分の低い姫だったからと、それだけで殺されそうになっても耐えてきたのは、いつか貯めたお金で自由を手に入れるためだった。

 離宮に残れば今まで通り薬草で稼げた。

 遠い異国に行けばきょうだいたちから解放された。

 だから、0か100かを望んだ。

 それなのに、望み通りきょうだいたちから解放されても、待つのはクロードという檻なんて、ふざけていると思った。


「囚われないわ。私は、叶わない恋なんかして、自ら檻の中に飛び込むほど愚かではないわよ、お兄様」


 薄い笑みを刷く。

 これから自分が為すべきことは決まった。

 惚れない。クロードには。

 それを大前提として、他にもやることはたくさんある。

 

「まずはあの人に連絡しないとね」


 窓を開け、口笛を吹く。

 空からばさりと降りてきたのは、フェリシアが可愛がっている鷹だ。以前、森の中を散策中、彼の怪我を手当てしたことで懐かれた。

 

「ゼン、あなたにお願いがあるの。かなり遠いけれど、ゆっくりでいいわ。飛んでくれる?」


 任せておけ。

 そう言ったように、ゼンと呼ばれた凛々しい鷹は片翼を広げてみせる。

 それにお礼を伝えて、さっそくフェリシアはゼンにくくる手紙をしたためた。


 やがて全ての準備を終え、国から忘れ去られた王女は、自分の自由を夢見てグランカルストを出発した。


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