私が覚えているから


「さて、もっと詳しいあれこれもあるが、それは知っても知らなくてもいい事だ。聞くか?」


 隼敏の言葉に心詠はゆるりと首を横に振った。


「いいよ。解決したならそれで。もうあんまり考えたくないから」


 やや俯き気味に心詠がそう言うと、隼敏もそうかと一言答えただけでそれ以上の報告は止める事にしたようだ。

 誘拐事件から丸七年。どことなく落ち着かない日々を過ごしてきた心詠だったが、これであの男が刀冴を狙う事もない。仮釈放したと聞いた時、そして隼敏が派遣した者達が、あの男の行方を見失ったと聞いた時はどうなる事かと思ったが、一応の解決を見せた。


 ただ、それは決して後味の良いものではなかったが。最後に残した呪い。あの男の最期を見てしまった心詠は生涯この重い記憶を背負う事になる。そしてそれは、刀冴もだ。

 これから先の未来、もっと楽しい記憶で埋まることは出来る。けれど、僅かな嫌な記憶ほどこびりついて離れないものだ。誘拐事件の時の経験から心詠はそれを痛感している。


 だからこそ、今後刀冴がこの辛い記憶を乗り越え、背負いながらも前へ進めるかが心配であった。その為にはやはり、何か夢中になれる物が必要なのではないかと思うのだ。心詠がラノベに夢中になる事で乗り越えられたように。


 それに──あの日の、約束も。


「で、一つ問題が解決したわけだが。この後は彼のこと、どうするつもりなんだ?」


 隼敏が暗に、今後も刀冴と付き合いを続けるのかと問う。その質問に、心詠は迷う事なく口を開いた。


「まだ、約束が残っているから」


 刀冴が階段から落ちた時。共に落ちて壊れてしまったカメラ。刀冴が一連の事件を忘れて目覚めた時、ボロボロになったカメラを見た彼の瞳は絶望の色に染まっていたと聞いた。それから、二度とカメラには触れていない事も。


 カメラがないから、撮れないだけだ。手元にあれば、きっとまた撮りたくなるに違いない。夢まで諦めてない筈だと、心詠はずっと信じてきた。

 けれど、直接カメラをプレゼントする勇気まではなかった。あれはただのカメラではなく、刀冴の両親の形見の品。新しいカメラを渡す事は出来たとしても、きっと使われる事はないという予想が出来た。だから、どうしてもお金を受け取って欲しいのに。その持て余したお金で、カメラを自ら買ってほしかったのだ。


「私は、約束を果たしたよ。だから、今度は彼に、約束を果たしてもらう」

「……彼は事件前後の事を、そしてコヨミの事も全て忘れているのに?」


 隼敏の心配そうなその言葉に、心詠は以前刀冴とした会話を思い出してふわりと笑う。


『一度した約束は守る』

『相手が忘れていても?』

『……自分で決めたルールだ』


 私が覚えているから、心詠は短くそう答えたのだった。


 それから少しの間お茶と雑談を楽しんだ後隼敏と士晏は談話室を去って行った。今回の事で時間を割いた分、隼敏はいつもにも増して忙しそうだ。


「でもそっか、シアンはもうあのお店辞めちゃうのか」


 そして、士晏の一時的な刀冴の護衛もおしまいである。直接的な危険が去った今、刀冴に護衛はもう必要ないからだ。すでに彼の後ろには高嶺がついている事が広まっている頃で、刀冴をさり気なく手助けしてくれる者が多くいるのだ。それに、彼を狙うとしたら大した知識もない小物である。

 その程度なら彼自身で対応出来るだろうし、そもそもあんなに目付きの悪い刀冴を選んで狙おうと思う人物もそういないだろう。身の危険は去ったと思って良い。

 というわけで、士晏は元の業務に戻る事になる。本人は隼敏の溜まった仕事を手伝わされる事に文句を言い、かなり不満気ではあったが仕方あるまい。


「失礼します。コヨミ様」

「ん、どうぞ」


 そこで部屋の戸をノックする音と共にやってきたのは、驚くべき報告であった。


「え、わ、ど、どうしよう!」

「都合が悪い用でしたらお断りしますが……」

「ううん、大丈夫。構わないと伝えて」


 あまりに予想外な事に慌てふためく心詠。そんな主人の肩を軽く叩き、落ち着くよう宥める束咲。


「私にとっても意外でしたが……思う事があるのでしょう。お話を聞いてあげましょう」

「そ、それはもちろん。でも、話の内容が不安過ぎるよ……!」


 困惑する心詠の様子に苦笑を浮かべた束咲は、もう一度お茶を淹れ始める。心を落ち着かせるハーブティの香りがふわりと漂い、心詠は深呼吸をした。


「私も近くにいますから。コヨミ様も、思う事は素直に話してみては?」

「う、うーん……言える範囲でなら、かなぁ」


 そっとカップを手に取り、香りを楽しんでから口をつける。それからほぅっと息を吐き、カップを置いた。


「うん。落ち着いた。聞いてみない事にはわからないよね。よし、かかってこい」

「戦じゃないんですから……でも、コヨミ様らしいですね」


 ぐっと両拳を握る心詠の様子に思わず笑みを浮かべる束咲。ハーブティをのんびりと飲み終えた頃、再び心詠の元に来客の報せが届く。


「さ、トウゴくんを出迎えようか」


 心詠はソファから立ち上がり、束咲を連れて玄関へと向かった。

 刀冴が、話したい事があると高嶺家を訪問しに来たのである。

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