来ちゃった
午後五時。それは飲食店が少しずつ忙しくなっていく時間だ。とはいえまだ五時ならばそこまで人はいない。刀冴は裏口から入ると更衣室へ向かい、サッと黒いシャツに着替えて黒い長めのサロンを身に付けた。
「ちわ」
「お、トウゴ。おかえりー」
厨房を通ると、皆働く手を止める事なく調理担当の人たちが口々に挨拶を返していく。今日はランチタイムが忙しかったのだろう、洗い物が少々溜まったままになっている。
「悪いなトウゴ。助かるよ」
タイムカードを押した後、無言で洗い場へ行って洗い物を片付け始めた刀冴。誰に何を言われずとも仕事を探して淡々とこなしていく刀冴は、口数が少なく無愛想ではあるが、仕事仲間から信用されていた。接客業としてはその無愛想さは命取りではあるが、仕事は丁寧で問題も起こさない。それどころか厄介そうな客は刀冴を見ただけで大人しくなるし、まだ高校生なのにしっかりしているとあって、むしろまかない料理を豪華にしてやったりと、店の大人たちには可愛がられているのである。
「おはようございます」
「はよーすシアン!」
「……シアン?」
大体洗い物が終わった頃に、裏口から長身の男性が挨拶をしながら入ってきた。清潔感のある、いわゆるイケメンだ。
「ん、そうかトウゴは初めてだったな。先週から新しく入ったバイトなんだよ。今はフリーターでな、仕事を覚えるのもなかなか早い。ずっとランチタイムだったんだが今日からは夜がメインになる。挨拶しとけよー」
調理担当の者がそう言うと、シアンと呼ばれた長身のイケメンは刀冴に目を向けた。そして刀冴と目が合うと、人の良さそうな笑みを浮かべて近くまでやって来る。刀冴も背の高い方だが、目を合わせるためには少し上を向かなくてはならない。
「はじめまして。
「……よろしく」
物腰も柔らかで、言葉使いも丁寧。接客業をするにはうってつけの人材だと刀冴は思う。だが、それは客相手だけでいい、とも。年上に丁寧に話されるのは少し落ち着かない気がしたのである。単純に、刀冴の苦手とする類の匂いを感じ取ったのだ。
「俺、まだ高校生なんで。そんな丁寧に話さなくていいっす」
「そう? なら遠慮なく。ここのアルバイトは大学生からの募集だったもんね。でも、しっかりしてるから特別なんだって皆さんから聞いているよ。年下だろうが君は先輩だ。だから、よろしく頼むよ」
士晏は順応性も高いようで、すぐに接し方を変えた。話し方が変わった所で雰囲気はあまり変わらないのは、元来穏やかな気質なのだろう。刀冴の苦手意識がほんの僅かに緩む。とはいえ、初対面相手に親しく接することは刀冴にはできない。なので、当たり障りなく軽く会釈をし合ってから仕事に移ったのだった。
時間の経過とともに客も増えてきた。この店は安価なファミリーレストランよりは値が張り、お洒落な外観と雰囲気も持っていた。しかし高級店と呼ぶには物足りない、ちょっとしたデートや外食をするのに丁度いいレストランである。その為、近所に住む常連はもちろん、少し離れた所から食べに来る客も多くいて、なかなかの人気店と言えた。
だが、その程度のレベルなのだ。
決して、どこぞの金持ちお嬢様が気軽に来るような店ではない。
「来ちゃった」
「帰れ」
ないのだが、高嶺心詠という超金持ちのお嬢様は、連れの束咲と共に空気を読まずに来店したのであった。
「全く、客に帰れとはどういう事? 私は今お客だよ? ちゃんと接客してよ」
「それよりもアクツ、オススメはなんですか? お腹が空いてるんですが」
「……こちらがオススメのメニューになります」
刀冴の額に青筋が見える気がする。だが確かに今は客と店員。刀冴は苛立ちと、「お前らはこんな店に来てないで高級店でディナーでもしてろよ」というセリフが出るのをどうにか飲み込んで定型文を口にした。
「んー、じゃあこのおろしハンバーグのセットで」
「あ、私はナポリタン! 生まれて初めて! 食べてみたかったんだよね!」
「てめぇら……っかしこまりました」
オススメを聞いておきながら全く別のメニューを注文する二人に一瞬素を出しそうになるも、ここで負けてはなるものかと刀冴はまたしても定型文を口にする。よく耐えた。
「一応同好会の活動なんだよ? 別に邪魔しに来たわけじゃないからね?」
「は?」
しかし、心詠の聞き捨てならぬ台詞にはつい反応を返してしまう。同級生のアルバイト先へディナーに来ることが、活動とどう結びつくのか。
「うちはいわゆる上流階級ってやつだからね。親の仕事に連れ回される事も多いんだ。今のうちから人を見る目を養うために人間観察同好会を立ち上げたってわけ。ここは色んなお客さんが来るでしょ? 良い刺激になるんだよ」
いかにもな理由である。似たような事を言って学校側にも申請したのだろう。教師たちもそう言われては許可せざるを得ない。だが、ルールとして人数だけは集めなければならなかったという所か。
しかし、心詠がそれだけの理由で同好会を作り、わざわざこの店を選ぶだろうか。刀冴は反射的に質問した。
「……実際のところは?」
「若者同士の友情恋愛、カップリングを予想して妄想するの最高、修羅場なんかあったら尚良し。不良と呼ばれる少年の真面目に働く姿とか何それ美味しすぎる見に来ないとかあり得ない」
「食ったらさっさと帰れ」
あまりにもあまりな理由に刀冴は小声で唸ってから心詠たちのテーブルを後にしたのだった。聞くんじゃなかったと刀冴が後悔したのはいうまでもない。
「お、おい、あの美少女二人、トウゴの知り合いか?」
「羨ましいなおい!」
パントリーに戻るとホールスタッフの仲間がそう声をかけてきた。女性スタッフも思わず見惚れてしまっているようだ。見目だけは良いのは認めるが、羨ましいと言われるのは納得がいかない。だが説明するのも面倒なので、ただ同じ学校に通っているだけだと答えた。実際、それ以外の事実はないのだし。
「黒髪にロングスカート。清楚なお嬢様って感じで良いなぁ……」
「俺は金髪ショートのカッコイイ系の彼女の方が好みだな」
気楽で良いよな、と内心で思いつつ、刀冴は二人の注文をキッチンに伝えた。すると、今度はシアンから声がかけられる。しかし彼の意見はミーハーなそれと少しは違ったものだった。
「トウゴくんは、あの二人の来店が少し嫌なのかな?」
「……なんでそう思うんだ」
嫌そうな顔をした自覚はある。ホールスタッフとしては気をつけなくてはな、と刀冴は少し反省した。
「いや、知り合いが仕事先に来るのって、ちょっと気まずかったりするから」
「ああ……まぁ、そうっすね」
苦笑を浮かべてそう言うシアンには似たような経験があるのかもしれない。気遣うようにそう言ってくれたシアンに、刀冴は好感を持った。
「僕が接客変わろうか?」
「……いえ、お客様を選んでなんかいられないっすから」
「そっか。じゃ、どうしてもと言う時は声をかけてね」
刀冴はありがとうございます、と答えて仕事に戻る。シアンの申し出は有難いが、今後知り合いが来るたびに頼んでいたらキリがないし、何となくここで下がったら負けた気がして嫌であった。
結果、無心を心掛けて自分の仕事をこなす刀冴は、少々人相が悪くなっていたのだが、それを注意できる者は誰もいないのである。
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