普通の高級車の方が良かった?


 あの場所で昼寝さえしなければ。刀冴は深く悔やんでいた。授業でも使われることのない、校舎の隅にある教室をたまたま見つけた時は絶好の昼寝場所だと思ったのだが、まさかあんな陽の当たらない場所に、学園でも有名な名家のお嬢様がいるとは思わないじゃないか。


 そう。クラスメイトや担任の先生でさえ顔を覚えない刀冴だったが、あの二人の事は知っていた。それほど彼女たちは有名であったし、その容姿がまず目立つ。そして噂話は聞きたくなくとも聞こえてくるからだ。

 だからこそ刀冴は噂で聞いた内容と本人と話した時のギャップにやや驚いた。と同時に、やはり噂というものは当てにならないと深く実感してため息をつく。


 ──誰にも、見られなかっただろうか。


 ただでさえ不良生徒として見られ、悪い意味で目立つ刀冴が、あんな二人と関わっていたなど、どんな噂が立つかわからない。人の意見に振り回される事については何とも思っていないのだが、面倒ごとは避けたい、と刀冴は願う。正直、今の彼は日々食べていくだけで精一杯であったため、余計な事で頭を悩ませたくないと思っていた。


 しかし、現実は彼の思いもよらぬ方向へと進んで行く。水面下で動く美少女は、嬉しそうに微笑んでいたのだから。




 少年と少女たちが出会ってしまった次の日の朝。一般道を一台の黒塗りの高級車が走行していた。それを見かけた一般人は、一瞬目を奪われるも厄介な香り漂う車からはすぐに目を逸らす。おかげで車に乗ってしまいさえすれば、誰かに見られる確率も減る。それすら計算だったとしたらこの美少女は本当に侮れない人物だ。


 刀冴はその黒塗り高級車の後部座席、美少女の隣に座りながらしかめ面でそんな事を考えていた。


「改めて、おはようトウゴくん。良い朝だね」

「……」

「不機嫌だね? もしかして黒塗りじゃない普通の高級車の方が良かった?」

「やっぱり計算かよ……恐ろしい女だな」

「まぁそう怒らないでよ。外から中が見えない方が安心かと思ったんだ。そういう車、うちにはこれしかなかったんだよ」


 彼女の言うことは確かに一理ある。実際学校の者に見られたらそれこそ大騒ぎになる。それほどこの少女は有名なのだ。しかし、黒塗り高級車に迎えに来られた現場を近所の人に見られてしまった件はどうしてくれる。降りる時だって、人気のない場所を選ぶ必要があるではないか。彼は足と腕を組んでムスッと黙り込んだ。


「強引だった自覚はあるんだけど、こうでもしないと君は逃げそうだったから」


 今朝、刀冴が家を出たところで待ち伏せするようにアパート前に横付けされていた黒塗り高級車。近所の人たちはついに刀冴があっちの道に足を踏み入れたのかという噂話で持ちきりだろう。見た目が厳つい刀冴は、元々そういった誤解を受けやすい。だからこそ、噂は信憑性を増すのだ。


 刀冴はその車に誰が乗っているのかすぐに察した。察したからこそ頭痛で室内に引き返そうとしたのだが、この車から美少女が出てきて自分を呼ぶ姿を想像したら余計にややこしくなると思い直し、すぐ車に乗り込んだのである。実際、そうなっただろうことは想像に難くない。

 ちなみに、彼が通学に使用している自転車は後続車が学校まで運ぶという念の入れようだ。恐ろしい。


 君って実は頭良いよね、と少女は苦笑を浮かべてチロリと舌を出した。美少女だからこそ許される行為である。腹立たしい事に絵にはなると刀冴は思った。


「自己紹介をしてなかったね。私は高嶺たかみね心詠こよみ。好きに呼んでよ」


 刀冴は自己紹介はおろか返事もしない。そもそも自己紹介など不要だろう。金の力を使って調べたと言っていたのだから。


「ね、お金を受け取って、うちの同好会に入ってよ」

「断る」


 昨日、心詠が提案したのは、うちの同好会に入ってくれたらこのお金をあげる、というものであった。刀冴にしてみればハッキリ言って胡散臭いにも程がある。まず理由が浅い。浅すぎる。


「同好会に入ってくれるだけでお金がもらえるんだよ?」

「怪しい勧誘にしか思えねぇ」

「こんな可愛い女子高生が怪しい勧誘するわけないじゃない。失礼だよ?」

「自分で言うな、自惚れ女」


 きょとん、とした顔で心詠は口を閉ざした。それからじわじわと、歓喜を滲ませたように頰を緩ませる。


「君にとって私は、可愛くはないのかな?」


 刀冴の足の近くに手を置き、体重を乗せて下から見上げるようにそう問う心詠。高校生とは思えない蠱惑的な表情だ。しかもとびきりの美少女にこのような事をされて、心が動かない男はあまりいないだろう。しかし刀冴は不機嫌そうな顔をするだけだ。


「その定義は人それぞれだろ」

「素晴らしいね!」


 遠回しに、自分は彼女を可愛いとは思っていないと言われたにも関わらず、心詠はその反応に笑顔を浮かべて喜んだ。変態か、と刀冴は思った。


「素晴らしいツンデレ不良キャラだよ。俺様属性もありそう……いや、欲張りはダメだよね……」


 ブツブツと、独り言にしては大きな声で自分の世界に入る心詠。キャラ? 属性? 何を言ってるんだこの女、と刀冴の脳内は疑問符だらけとなっている。彼はいわゆる乙女ゲームという存在を知らない人間なのだ。


「やっぱりヒロインは清楚系かな……いやでも明るい天真爛漫系もいい。うちの学校にそんな釣り合いそうな子いたかな……調査しなきゃ」

「さっきからなんの話してんだてめぇ」

「君の恋人候補について」

「…………」


 あまりの意味不明さに絶句する刀冴を見て、おっと、悪い癖が出ちゃったと心詠は我に返った。そして話を戻そうと切り出した彼女に、勝手に暴走したのはお前だと心の中で刀冴は突っ込む。まだ数回しか話していないが、不本意ながら少しだけ扱い方がわかってきたようである。こういう時は黙るに限る。


「うちの学校、例外を除いて必ず部活に入らなきゃいけないじゃない? これまでずっとそれをのらりくらりと避けてたんだけどね、そろそろまずいなぁと思っていてさ」


 例外。それは簡単に言うと家庭の事情でやむを得ない場合である。刀冴はまさにそれに当たり、部活には入らずアルバイトの許可を得ていた。


「お金も勿体無いし」

「裏金かよ!」


 のらりくらりとお金の力で回避していたようである。刀冴の中のお嬢様のイメージはもはや崩壊して塵となりつつあった。


「だって入りたい部活がないんだもん。……人と馴れ合いたくもないしね」


 後半の台詞には、どこか仄暗いものを感じたが、刀冴は気づかないフリをした。


「というわけで、自分で同好会を作っちゃおうと思ったわけ。でもね、三人以上いないと認められないんだよ。私とタバサ、あ、いつも私と一緒にいる子ね? それでもあと一人足りないんだ」

「……それで俺かよ。なんで俺なんだ」


 ああ、それはね、と心詠は座席に座りなおして答えた。


「他人と関わらない一匹狼が都合よかったのと、一番お金に困ってそうだったから」

「おい」

「ねぇお願い! お金を受け取って同好会に入ってよ!」


 両手を組んで上目遣いで刀冴を見つめる心詠。それから熱のこもった眼差しでこう告げた。


「さもなくば毎朝この車で送り迎えしちゃうぞ!」

「脅迫すんな!」


 まだ冷たい風が吹く冬の終わりのとある朝、黒塗り高級車内で不良がお嬢様に脅されていたのだった。

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