君と仲良くなりたい!


「お前、名前は? どこから来たんだ?」


 少女がどうにか話せそうだとわかった刀冴は、怪訝そうな顔でそう尋ねた。心詠はまだ戸惑っていたが、この少年は自分を介抱してくれたので悪い人ではなさそうだと口を開く。


「コヨミです……あの、ここはどこですか?」

「俺んち」


 苗字までは名乗るのを躊躇った心詠は、下の名前だけを答えて質問をし返す。戻ってきたのは簡潔な答えであり、同時に余計わからなくなってしまう。その様子が何となくわかった刀冴は、続けて詳しく経緯を話してくれた。


「俺の同居人の男がどこからかお前を連れてきた。熱中症になってるからなんとかしろって俺の部屋に寝かせたんだ」


 どこから連れてきたのか、お前がどこの誰なのかは知らないが、言われた通りにしなければ殴られるので仕方なく看病してやった、と刀冴は言う。なるほど、この少年は心詠が誘拐されて来たとは知らないようだ。心詠は今度は自分にあった出来事を刀冴に説明した。


「は? 誘拐? 熱中症の子どもを親切で連れてくるわけないとは思ってたけど、あの男ついに犯罪にまで手を出したのかよ」


 事実を知っても、刀冴はそれほど驚く事もなく、しかも疑う事なく心詠の話を信じたので、心詠はおずおずと刀冴に問うた。


「あ、あの、信じて、くれるんですか……?」

「信じるもなにも……あの男の事を知ってる身としては、納得も出来るってとこだな」


 そう言うと、刀冴は何かに気付いたかのようにハッと顔を上げ、慌てて立ち上がり、部屋の暖簾を開けた。それからそのまま玄関まで駆けていくと、くそっと悪態を吐く。何があったのか気になった心詠は、今度はゆっくりと起き上がると、刀冴の後についていく。


「ど、どうしたんですか……?」


 寝かされていた部屋から出ると、そこはもうリビングであった。奥に小さなキッチンが見える事からも、どうやらこの部屋はワンルームで、寝かされていた場所も暖簾で仕切られているだけの空間だったようだ。ソファやテーブルが置いてあるものの、洗濯物やゴミ、洗われていない食器などで荒れ放題である。心詠の右手方向の先に玄関があり、その場で刀冴がドアを睨みつけている。


「開けてみればわかる」

「? あ……鍵が」


 刀冴の目線の先に心詠も目を向けつつドアを開けようとしてみると、どうやら外側から別の鍵が閉められているらしく、何度やっても開けられなかった。逃げ出せないように閉じ込められてしまったようだ。

 やはり自分は誘拐されてしまったのだ。それから連れ去られる間際に見た束咲の事も思い出し、心詠はじわりと目が熱くなるのを感じた。一粒涙が流れ落ちると、それはもう止まらなくなり、心詠はその場に座り込んで泣き始めてしまった。


「うぅー、タバサ、お父様、お母様……ごめんなさい、私が、言う事を聞かなかったばっかりに……!」

「お、おい」


 深い後悔の念が心詠を襲う。あのまま束咲が死んでしまったらどうしよう。このまま二度と家族に会えなかったらどうしよう。様々な不安が浮かび上がっては、それが現実になるのではないかという恐怖が沸き起こり、心詠は全身をガタガタと震わせた。

 困ったのは刀冴である。突然泣きながら尋常じゃないほど震え始めた少女を相手に、どうしたら良いのかわからない。まだ十歳なのだ。当然である。


 けれどこのままでいいとも思えない。刀冴は必死で考えを巡らせてから、ひとまずタオルを取りに行く。そのタオルを水で濡らし、しっかり絞る。それから心詠の前に自分も座り込んでその濡れタオルで徐ろに心詠の顔を拭ってやった。


「うぁっぷ……うにゅっ」

「あんまり泣くと、涙と一緒に目や鼻も流れるぞ」

「そ、それは嫌ですう、んむぐっ……」


 突然の事に思わず涙も引っ込む心詠。その手つきがあまりにも優しかったので、しばらくされるがままにした。そうして少し落ち着くと、心詠は恥ずかしそうにもう大丈夫、と声をかけた。


「その、ありがとうございます……」

「……別にいいけどさ」


 お礼を言う心詠に対し、刀冴はやや不機嫌そうに眉根を寄せた。元々目付きが悪い少年だ。不機嫌そうになると余計に怖い。心詠は少し身体を硬くした。


「なんでそんな話し方なんだよ、お前。もっと普通に話せねぇの?」

「えっ、普通、ですか?」

「それ! です、とか丁寧に話されるとなんかムカつく」


 ごめんなさい、と心詠は思わず俯いた。でも普通がわからないのだと伝えれば、刀冴は思い切り変な顔になる。


「お前、もしやお嬢様ってやつか……初めて見た。まぁいい。です、ます、とか使わないで話してみろよ」

「や、やってみます、る」

「……先は長そうだな」


 自分は努力しているのに、余計不機嫌そうな顔つきになった刀冴に、心詠は少しムッとした。


「なんで、そんな話し方しなきゃいけないんです、いけないの?」

「なんでってお前……」


 心詠の質問にキョトンとした表情になる刀冴。心詠は迂闊にも、その顔がなんだか可愛らしいな、と思った。


「仲の良い奴が相手なら、遠慮しちゃだめなんだ。そんな話し方してたら、家族でも遠慮しちゃわねぇ?」

「そ、そうなんで……そうな、の?」


 まぁ自分は誰が相手でも丁寧には話せないけど、と刀冴は鼻の頭を掻く。


「……俺と仲良いわけじゃねぇから、別にいいのか。いやでも、その話し方なんか苛々すんだよな……」


 ブツブツとそう言いながら自分に言い訳する姿も、なんだか可愛らしく見えた心詠は、思わず刀冴の手を両手で握りしめた。


「なっ、何する……」

「仲良くなりま、なる! 私、君と仲良くなりたい!」


 だから、お名前教えて? 心詠は首を傾げてそう告げた。そんな事言われた事もない刀冴は呆気にとられて暫しその動きを止めた。それからじわじわと恥ずかしい気持ちが込み上げてくる。慌てて握られていた手を振り払い、心詠に背を向けた。心詠がダメだったのかと肩を落としかけた時。


「……トウゴだ」


 少しだけ振り返ってそう答えてくれた事が、心詠は嬉しくて堪らなかった。思わず「トーゴ!」と名を呼ぶと、再び背を向けてしまった刀冴だったが、心詠には刀冴の真っ赤に染まった耳が、やはりとてつもなく可愛らしく見えた。

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