コヨミ様ほどでは
刀冴はぼんやりと疑問に思っていた事を考えていた。
あのお嬢様は、ちゃんとその辺りを理解しているはずだ、と。だからこそ友達を作らないという問題発言が出来たのだ。
それならば、何故自分には積極的に絡んでくるのか。
刀冴の腕っ節の良さを信頼しているからかもしれないが、正直いざという時までちゃんと行動できるかどうかはあまり自信がないのだが。それに、あのお嬢様が考えもなしに接触して来るとは考え難いとも思う。
だからこそ、毎朝車で登校する事を提案してきたのかもしれない。少しでも危険を減らす為に。でもそれならバイト先まで送迎したりもしそうなものである。
幸い、一番危険なバイト終わりの夜の帰り道は士晏という優しい人物がいるおかげで不安はないが、もし士晏がいなければあのお嬢様の事だ、帰り道も何か理由を付けて車で送ろうとしていたかもしれない。
しかしそれはただの憶測。ハッキリわかるのは、あのお嬢様と近い距離にいる自分は、何者かに狙われたとしてもおかしくないのだ、という事。心構えさえしておけばまた違うというものだ。刀冴は意識の片隅で「もしも」に備えておくことにした。
担任があの話をしてから、クラス内の雰囲気は少しずつ元に戻りつつあった。一般の公立高校とはいえ、レベルの高めなこの学校の生徒たちは頭の回転も良いらしく、露骨に態度を変えたり馬鹿正直にあの話を持ち出したりもしなかった。特にこのクラスは、教師たちが心詠と同じクラスになるのだから、と頭を悩ませたメンバーなだけあって、なかなか素直な子揃いだったのが幸いしたようだ。
体育祭も近いからみんなで協力しよう、という体でごく自然に心詠たちにも声をかけるようになっていったクラスメイトたち。友達にはなれないけれど、クラスメイトには変わらないのだ、というのが皆の中で出た結論であるようだった。
そこに至るまでの事情を知らない心詠たちではあったが、自然にクラスメイトとして接してくれるようになった皆に、深い感謝の念を抱いた。と共に、嫌ってもらった方が気は楽なのに、という想いも同時に抱く。
心詠は、皆と仲良くなりたいと思ってしまう自分が辛かったのだから。
「高嶺さん、貴守さん、いよいよ明日だね体育祭! みんなで頑張ろうね」
「はい。精一杯頑張りますね」
「では、向かおうか」
「はい、コヨミ様」
そんな中に紛れるように、心詠たちはある場所へと足を向けた。
「失礼します」
軽くノックをしてから声をかけて入室する。部や委員会の活動で忙しいのか、または教科ごとの準備室にいるのか、職員室には今、目的の人物しかいない。
「少しよろしいでしょうか。松井先生」
そう声をかけながら心詠たちは担任の近くへと足を運んだ。声をかけられた松井は訪問者の顔を見て少し驚いたように目を見開き、それからバツの悪そうな顔になる。そして今度はすぐにニヤリと笑って口を開いた。
「なんだ。バレたか」
「……困りますよ。勝手な事をされては」
心詠は真っ直ぐ担任の目を見つめながらそう告げる。松井は頭を掻きながらあーあ、と軽い調子で悪戯のバレた子どものような顔をした。
「クラスメイトは皆、ごく自然に出来てたと思うんだがなぁ」
その声色と表情から、本人に反省の色はない。心詠は目を伏せて一つため息を落とす。
「皆様素晴らしい対応をしてくださったと、私も思います」
「はーあ、流石だな。その勘の良さ」
「人間観察同好会ですから」
どこまでも反省の色がない担任に対し、心詠や束咲は無表情を貫いていた。そのあまりにも真剣な眼差しに、流石に居たたまれなくなったのか、松井は目線を斜め下に下げてあー、と言葉にならない声を発しながら指で頰を掻く。
「その……すまなかった」
暫しの沈黙が流れる。松井は完全に座った目で己を見下ろす心詠と束咲の威圧感に冷や汗が流れるのを感じた。これが女子高生の放つ圧か? と疑問に思いさえする。それに耐える事数分。いや、実際は数秒だが彼にはそのくらい長く感じたのだ。
「二度と、生徒にも教師にも余計な事は言わないと約束してください」
「や、約束する……」
松井は心詠の言葉の裏にある、次はどうなってもしらないぞ、という意味を正確に読み取って何度も頷いた。では失礼します、と背を向けた彼女にホッと息を吐いたその時。
「……ありがとうございました」
「!」
少しだけ振り向いて小さな声でそう言った心詠の耳が、ほんのりと紅く色付いていた。その様子を見た松井は呆気に取られたが、少ししてふっと笑みをこぼす。
「……約束は、お忘れなきよう」
「ハイ……」
しかし獲物を狩る直前のような鋭い眼光で釘をさす束咲に松井は再度姿勢を正したのだった。忙しい担任である。
帰りの車内、心詠と同じ車に乗る束咲はあれで良かったのですかと主人に尋ねていた。心詠はふわりと微笑んで口を開く。
「心遣いは嬉しかったからね」
「お優しいですね、コヨミ様は」
束咲のその返しには心詠は首を横に振った。艶やかな黒髪の天使の輪が陽の光を反射してより美しく見える。
「学校の中ではほんの少しだけ、仲間として、普通の高校生として過ごせるんじゃないかって。そんな狡い気持ちが私にもあるからなんだ。ただの我儘だよ」
「……そう、ですか」
でもそれでは、と束咲は思う。
それでは余計に、現実を思い知らされて苦しむのではないか?
そう思ったが、恐らく本人も分かってはいるのだろうと口には出さない。だからあえて束咲は言葉をそのまま受け取ることにした。
「コヨミ様の我儘なら仕方ないですね。……体育祭、楽しんでしまいましょう。私も我儘の共犯です」
「ふふ、悪い子だねタバサは」
「コヨミ様ほどでは」
その言葉通り、二人は体育祭を大いに楽しんだ。騎馬戦では刀冴たちが期待を裏切らず最後まで残り、勝利を収めて瀬尾くんが刀冴に抱き付いて喜んでいたり。それを見て妄想が捗ったり。残念ながらクラスが所属していたチームは負けてしまったけれど、この日の二人の破壊力満点な笑顔が後に校内で噂になる辺り、我儘は突き通したようであることがわかるだろう。
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