お久しぶりです、お兄様


 窓から陽射しが射し込む室内。オリエンタル風な家具や壁紙、ラグなどで統一された広い部屋は高級感がありながらゴテゴテしておらず、落ち着いた空間となっている。

 部屋の片隅にあるソファにゆったりと腰掛け、優雅に紅茶を飲んでいた心詠は、控えめなノックの音に気付いてローテーブルにカップをそっと置いた。


「コヨミ様、ハヤト様がいらっしゃいました」

「わかりました。すぐ向かいます」


 扉の向こうから聞こえてきた使用人の言葉に簡潔に返事をした心詠は、サッと立ち上がると軽くスカートを手で整えてから部屋を出た。


 体育祭も終わり、陽射しが暑いと感じられる日が少しずつ増えてきた季節の日曜日、心詠は迫る試験の為に自室で勉強していた。頑張らずとも一位を取ることが出来る程の頭脳の持ち主だが、日々の努力を怠る気は毛頭ない。ほんの少しの気の緩みで蹴落とされる世界に身を置いているのだ。とはいえ、気を張りすぎる日々で体調を崩すくらいなら、日頃から少しずつ努力を積み重ねる、というのが心詠のスタイルであった。


 使用人に続いて談話室へと辿り着いた心詠は、使用人に今日はここで昼食を摂る旨を告げてから一人で入室した。


「お久しぶりです、お兄様」


 先に談話室で寛いでいた男性と目が合うと、心詠は嬉しそうにそう言った。


「ああ、コヨミ。お前も元気そうで何よりだ。ま、座れよ」


 心詠と同じ黒髪の男性は、心詠とは違って癖毛のようだ。しかしその癖を活かしたヘアスタイルは、整った顔立ちをより魅力的に見せている。待っている間に作業をしていたのだろう、男性はかけていた眼鏡を外してテーブルに置き、ノートパソコンをパタンと閉じると向かい側の席を心詠に勧めた。


「お忙しいのにわざわざ帰宅してまで話をしたいとは、珍しいですよね」


 促されるまま向かいの席に腰掛けた心詠は、兄であるその男、隼敏はやとにそう声をかけた。


「俺だって可愛い妹とたまにはのんびり話したいんだよ」

「それは嬉しいですね」

「と、いうわけで。挨拶はそんなもんだろ。気楽にいこうぜ?」


 ニヤッと笑う隼敏はその容姿により色っぽく見える。相変わらず女性に人気なのだろうな、と思いながら、心詠も微笑みで応えた。


「学校はどうだ」

「萌えの楽園」

「ほう、最高だな」

「最高だよ」


 隼敏は妹の趣味に理解を示す良き兄であった。




 兄妹は久しぶりの再会であった。隼敏は来年大学を卒業するという事もあり、去年から父についてあちこち飛び回っていたからだ。こうして家に戻ってくる事自体が数ヶ月ぶりなのだ。

 二人はお互いの近況報告を行いながら、共に昼食を摂っていた。食堂ではなく、談話室に用意してもらったのは、兄妹だけで話したい事があったからである。手軽に食べられるようにと用意されたサンドイッチを口に運びつつ、他愛もない会話が飛び交う。


「シアンはよくやってるか」

「うん。借りっぱなしでごめんね、兄さま」


 申し訳なさそうに眉を下げ、兄にそう告げる心詠。シアンとは、刀冴と共に働いているあの士晏である。


「いや、俺はアイツと変わらないくらい腕には自信あるし、父さんの護衛もいるから問題ないよ」

「でも、シアンには無理を言ってしまったなぁって。これでも悪いなって思ってるんだよ」


 士晏は隼敏の専属SPである。そして、束咲の兄で隼敏より一つ年上だ。貴守つかもり士晏シアン、それが彼の名だった。束咲とは高身長で美形、という共通点しかない。つまりあまり似ていない。クォーターである貴守兄妹は祖母がイギリス人で、束咲だけが先祖返りしているというのが似ていない原因だった。


「アイツも楽しんでるみたいだぞ? いやまじで。俺についてても暇だ暇だってうるさかったから丁度いいくらいだ」

「あのシアンが? そんな事言うようには見えないけど」

「……アイツは丁寧な言葉で毒を吐く」

「……腹黒属性キタコレ」


 意外な士晏の情報に、心詠の妄想が膨らみかけた。


「妄想は後でゆっくりしてくれ。今日はかなり深刻な問題について、コヨミに謝罪しにきたんだからな」


 真剣な顔つきになった隼敏の言葉に、心詠も思考を切り替えて座り直す。いよいよ本題に入るのだ。


「……例の少年は?」

「今のところ大きな問題はないよ」


 それなら良かった、と隼敏はホッと息を吐く。しかし直ぐに表情を引き締め、突如テーブルに両手をついて頭を下げた。


「すまん。こちらの落ち度だ」

「やだな、頭を上げてよ。兄さまのせいじゃないし、担当してた者たちのせいでもない。忙しいのに快く引き受けてくれて、感謝してるくらいだもん」


 焦ったように兄の頭を上げさせようと声をかける心詠。その様子が少し可哀想になったので、隼敏はゆっくりと頭を上げた。しかしその表情は悲痛なものである。


「だが、お前たちの身に危険が迫るかもしれない。これは見過ごす事は出来ない」


 深く責任を感じているのだろう、隼敏の表情には決意の色が見えた。


「しばらくは俺も裏で動こうと思う。場合によっては少しだけ危険な目にあうもかもしれないが……お前たちには指一本触れさせないと約束する」


 父さんにも話しは通してある、と隼敏は告げた。心詠は表情を変えずにその決意を聞き届け、それからふわりと微笑んだ。


「……兄さまが動くなら、もう安心だね」

「まぁな。だが……問題はあるかもしれないぞ?」


 わかってる、と心詠は俯く。それから暫し無言で膝を見つめると、顔を上げて口を開いた。


「私は、目的を果たすことを第一に考えるよ。ただ、彼が人間不振にならないかは心配だけど、ね」


 固い決意を語る心詠の瞳は、僅かに揺れていた。

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