本当に、本当なんだよ
初夏の訪れを感じ始める季節。制服も夏服へと変わり、迫り来るジメジメとした梅雨入りがそろそろかというこの時期、生徒たちは皆再来週に迫る中間試験に向けて勉学に励んでいた。
刀冴は授業中は聞いてないようで聞いている真面目な生徒であるのと、持って生まれた地頭により試験の為に勉強する必要はあまりなかった。
それでも試験期間中という事もあって、アルバイトも前の時間、つまり閉店作業をせずに帰るつもりだと店長に告げていた。
「でもお前、自転車で帰るのといつも通り働いて車で送ってもらうのと、家に着く時間はあんま変わらないんじゃねぇの?」
それを伝えると店長にそう言われた。実際差は十分程度であるし、あまり変わらないのだが。
「まぁそれでも、学校側に知られたらたぶん良い顔されないんで」
最悪アルバイト自体禁止になるかもしれない。刀冴の立場上それはないだろうとは思うが、今後も遅くまで働くのは禁止などにはされかねない。刀冴は石橋は叩いて渡る派であった。
「それもそうだなぁ……わかった。それじゃ今日からか?」
「いや、月曜からでお願いします。シアンさん、良いすか?」
「……うん。わかったよ」
士晏の返事に間があった為に刀冴は首を傾げる。だが、その理由を聞く前にお客さんに呼ばれたため、刀冴はその場を去った。
一方の士晏は少し焦っていた。なぜなら士晏の本当の目的は、刀冴の護衛だったからだ。それも、本人にはそうと知られずに、である。なかなか難しい注文をしてくれる己の主人の妹だが、近頃退屈しきっていた士晏にとっては喜ばしい依頼でもあったのだ。ちゃんと護衛の仕事をこなしつつ、生まれて初めてのアルバイトも経験出来るなど、またとないチャンスであった。
それがここへ来てまさかのピンチだ。上手いこと理由をつけて帰りに車で送る事が出来ていたのに、試験期間中はそれも出来ない。ここで自分も刀冴と同じ時間に、と理由をつけて共に帰る事も出来なくはないが、流石に強引な気もする。それに、自分も閉店作業をしないとなると、お店側も困るだろう。
「はぁ……気乗りしないけど最後の手段だなぁ」
ポツリと呟く士晏の声は賑わって来た店内の騒がしさに紛れて溶けた。
次の日、刀冴は帰りに自転車を使う事から、心詠たちにも試験期間中は活動禁止という名目で朝の送迎を断る事にした。それを昼食時、例の空き教室で彼女らに伝えたのだが。
「え? それならアルバイト先から車で送ってあげるよ。時間短縮出来ればその分空き時間が出来るじゃない。自由に使える時間はあっていいと思うよ?」
まさかの返答に戸惑っていた。確かにそうしてもらえたら空き時間が出来ていつもよりゆっくり休める。しかし流石にそこまでしてもらう理由はないと刀冴は考えた。
「その顔は、そこまでしてもらう義理はない、って言おうとしてるな?」
「……」
台詞を奪われた事よりも、言い当てられた事の方が癪だった刀冴は目を細めた。二割り増し程度で怖い。
「これでも、トウゴくんには私の我儘に付き合わせてるなって思ってるんだよ? だからさ、そのくらいさせてよ。バイト先からなら変な噂も立たないでしょ?」
それに、夕飯をお店で食べて、仕事が終わるまでそこで勉強させてもらうからこちらの都合も気にしなくていい、と心詠は続けた。勉強を家でするか店でするかの差なのだと。
そこまで言ってもなお、甘える事を渋る刀冴に心詠は最後にこう言い放った。
「もう、仕方ないな。こうなったら嫌だと言われても迎えに行くからね!」
「……黒塗りにしましょうかね?」
追随するように束咲もニヤリと笑みを浮かべて付け足した。強硬手段に出たようだ。刀冴は長い長いため息を吐いた。
「わかった。素直に頼むから黒塗りはやめてくれ……」
「ふふ、りょーかーい!」
心詠は、士晏からの苦渋の決断で伝えられたミッションをなんとかこなせそうで、満足そうに笑みを浮かべた。しかし頼んだは良いものの、納得いかないのは変わらない。刀冴は真っ直ぐ心詠を見据えて問う。
「……何で、そこまでしようとするんだ」
「? 君が気に入っているからだよ?」
しかし返されるのはいつも通りにこちらを茶化すような答え。じわりとした痛みを頭に感じる。刀冴は眉間の皺をより深くした。
「いい加減ちゃんと答えろよ。答えられないのなら、そう言え」
あやふやにされるのが、一番気に触る。刀冴は鋭い眼差しを心詠から逸す事なくそう告げた。心詠はその眼差しにグッと息を詰まらせる。その様子に束咲がさっと心詠を庇うように前に立ったが、心詠が手でそれを制した。
「……ごめん。答えられない」
心詠も刀冴の眼差しから目を逸す事なくそう口にした。暫し見つめ合ったまま数十秒が経過する。
「……そうかよ」
刀冴はそれだけ答えると、空き教室から出て行った。ガラリと戸を開ける音を聞いた瞬間、心詠はハッと息を吐く。その時初めて自分が呼吸を止めていた事に気付いた。
慌てて教室の外に出ると、去っていく刀冴の背中に向かって心詠は叫んだ。これだけは、伝えなければ。
「でも、私が! 君の力になりたいと思う気持ちは、本当だから!」
その言葉は刀冴の耳には届いたはずだ。でも、振り返らずに歩く足を止めない彼の姿に、その言葉が心に届いたかどうかはわからない。胸に不安が広がっていく。
「本当に、本当なんだよ……? トーゴ」
囁くように零したその一言は、束咲がキチンと拾ってくれた。主人の肩にそっと手を置き、落ち着くまで側に立つ。気の済むまでそうしてから、二人は微笑み合った。
言葉など交わす必要はなかった。
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