甘いっ!
平和だった。朝の登校時に例の女二人が待ち伏せしていた以外、刀冴にとって平和な一日であった。少しだけ、ほんの少しだけ落ち着いて昼寝できる場所が頭をよぎったが、軽く頭を振ってその考えを消す。今日も授業をしっかり受けた後にアルバイトへ行かなければならないのだからと、刀冴は昼食のパンを手早く食べると、校舎の裏へと昼寝をしに行った。
そんな姿を校舎の窓から見守る二人の影。
「まだまだ寒いのにあんなところで寝て。風邪ひくよ」
「彼にとっては人の多い場所と天秤にかけて、こちらに傾いたのでしょう。不器用な人ですね」
窓の方を向いて下を眺める黒髪美少女と、窓を背に寄りかかる金髪の男装女子。理想的なカップルにも見える二人は、周囲の学生からはそのような目で見られている。それを知ってもいた。
窓辺でどんな会話をしているのかと、様々な優雅な妄想をしているようだが、実際は単純に刀冴の健康を危惧しているだけである。
「あのアパートはすきま風もありそうだし、私は彼の生活をもっと改善したいよ。なんでお金受け取ってくれないかなぁ」
「彼のような性格ならきっと意地でも受け取らない気がします」
そうだよねぇ、と長いため息を吐きながら心詠は窓枠に付いた両腕に顔を埋めた。
「……全てをお話ししては?」
「……それは何度も話したでしょ。答えはノーだよ」
束咲とて、返事のわかっていた問いかけであった。しかし、今も突っ伏したまま元気なく答える主人を見るとどうしても聞かずにいられなかったのである。
「それなら、焦らず行きましょうよ。まだ彼に接触してから日も経ってないんですから」
「そう、だよね」
むくりと顔を上げて返事を返す心詠。しばらく二人の間に流れる沈黙。それを破ったのは心詠だった。
「……一年三組野球部マネージャーな柏木さんと三年五組野球部キャプテン三嶋くん、そして彼に好意を寄せる同じくマネージャーな三年一組の夏川さんの三角関係が見たくなってきた」
「放課後の予定は野球部観察ですね。承知しました」
気分転換には己の萌えを満たすのが一番なのである。これが主な同好会の活動であった。その実態はストーカーな不審者であるが、それを知る者はあまりいない。
こうして迎えた放課後。心詠たちは人気のなくなった教室に残り、ぼんやりと野球場を眺めていた。
放課後の校庭はサッカー部や陸上部の練習場となっているのだが、その奥にある野球場では野球部が練習に励んでいる。この高校は野球部もサッカー部も結構強いらしいので、練習にも熱が入っているから観ていて楽しいと心詠は思っていた。
「汗を流す真剣な眼差しの男子生徒とのラブか……強豪校であればあるほど萌えるよね。お守りとか渡しちゃったりして。次の試合でゴールを決めたら聞いて欲しい事があるんだ、とか。そんなドラマがあちこちで生まれるんだよ。最高」
「必ずそんな事がおこるわけでは……それに男子部員に対してマネージャーは少ないわけですから、生まれるドラマもそんなに多くはないかと」
束咲には心詠のような趣味はない。だが心詠の言いたい事や熱意はわかるらしい。共感は出来ないものの、心詠の脳内から生み出されるドラマはなかなか面白いと感じており、毎回興味深く聞いていた。
「甘いっ!」
束咲の素朴な疑問に斬りかかる心詠。実はそれが楽しいからこそ束咲はあえて突っ込まれる質問をしているのだが、心詠は知らない。親友思いである。そして熱のこもった萌え語りが始まった。
「ご覧なさいタバサ。校庭には陸上部もいるんだよ。何も同じ部活同士でしか恋愛しちゃいけないわけじゃないんだ。いつも同じ校庭で部活に打ち込むあの人……そこから始まるロマンスも堪らないよ! 同じ運動系だからこそ分かり合える事もあるしね! それに、文化部の人が私たちのように窓から運動部を眺めている人も多くいるんだよ。胸に想いを秘めたる奥ゆかしい女子ないし男子。自分には釣り合わない……なんて考えたりしてね! 文化部同士の穏やかな恋もいいよね。穏やかに見えて胸の内は熱く燃え上がっていて……」
語り始めた心詠の目はキラキラと輝いており、他のどんな事をしている時よりも生き生きとしていた。内容は少々アレだが、束咲はそんな生き生きとした心詠を見るのが好きだった。
幼い頃から家柄もあって様々な事を我慢してきた心詠は、何か一つのことに打ち込む、という事がなかった。唯一、読書だけは幼い頃から好んでいたものの、熱中する程ではなかったのだ。
けれど、あの時の事件をきっかけに、心詠は変わった。表向きの姿は変わらないが、親しく、気のおけない相手の前でのみ、態度や言葉遣いなどがガラッと変わったのだ。それまで文芸作品しか読んでこなかったのに、様々なジャンルに手を伸ばし、ライトノベルにハマり出したのもその頃である。心詠に近い周囲の人たちは最初こそ戸惑ったが、きっとそれが心詠の本当の姿なのだろうとすんなり受け入れたという。
噂でその様子を聞いていた束咲は、いつか自分の前でもありのままの姿を見せてくれる事を望んでいた。その為に並々ならぬ努力をした日々を、束咲は思い出していた。
「良い気分転換になったみたいで良かったです」
「うん……そうだね。ありがとう束咲」
目を細めて柔らかく微笑む束咲に、少し恥ずかしそうにお礼を言う心詠。
「……一般校に通うお嬢様がツンデレな不良に恋をする、というシチュエーションはいかがですか」
「……嫌いじゃないけど、男装するクールビューティが迫られて赤面する方が好みかな」
意地悪くニヤリと笑い合うこの二人は、主従関係にあるものの、互いに唯一無二の親友であった。
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