頑張るって、実は限度があるんだ。


「はよーございます……」


 ぶるっと身体を震わせ、少し鼻をすすりながら刀冴はアルバイト先の店の裏口から姿を現した。


「お、どうしたトウゴ。風邪か?」

「いや、今日つい外で昼寝してたんで」

「おいおい、この時期にそれはやべぇぞ。風邪ひくなよー?」


 自分でも流石に良くないという自覚はあった分、素直に軽く返事をしながら着替えをしに向かう。更衣室へ向かうとすでに士晏が身支度を整えているところであった。


「あ、おはようトウゴくん。店長から聞いた?」

「? 何の話すか」


 刀冴に気付いた士晏は笑顔でそう尋ねたが、刀冴がまだ聞いてないと察し、一つ頷くと準備が出来たら一緒に店長の元へ行こうと提案した。これといって話される内容に覚えのない刀冴は首を傾げたが、まぁ聞けばわかるだろうと手早く支度を終わらせた。




 士晏とともにキッチンへと向かった刀冴は店長に声をかけた。返事をする店長は手を止めずに顔を一度二人の方へ向けると、得心がいったというように笑い、視線を手元に戻しながら口を開く。


「トウゴ、お前出来ることならあと一時間仕事したいって言ってたよな?」

「え? まぁ……」


 ザクザクと野菜を切る包丁の音をバックに店長の言葉を聞く。突然何を言い出したのか、刀冴にはまだわからなかった。


「そんな話を昨日してたら、シアンが提案してきてな」

「シアンさんが?」


 刀冴が不思議そうに士晏を見ると、士晏はつい睨むようになってしまう刀冴の目付きにも怯むことなくニコリと微笑んで言葉を引き継ぐ。


「うん。僕はここまで車で来てるんだけど、聞けば君の住む場所は通り道なんだ。だから、僕が帰りに君を車で送っていけば自転車で通う時間分、働けるんじゃないかなって思って」


 思わぬ提案に刀冴は目を丸くした。


「シアンもトウゴと同じで平日は毎日勤務だからな」

「僕は今学校に通ってるわけでもないし、融通も利く。通り道だから手間もないから、どうかなって」


 思ってもなかった話に刀冴は戸惑ったが、士晏に迷惑がかかるという懸念さえ何とかなれば是非ともお願いしたい話であった。


「シアンさんは、本当に、良いんすか」

「もちろん。むしろ帰り道は眠くなるから、話し相手が同乗してくれると助かるくらいだよ」


 士晏の表情を見るに、こちらに気を遣って言っているわけでもなさそうだ。アルバイト代が一時間分増えるのはかなり大きい。刀冴はしっかり腰を折って士晏に頭を下げた。


「よろしくお願いします」

「うん。こちらこそよろしく。今日から乗って帰る?」

「あ、はい。でも自転車が……」

「自転車? 積めるから大丈夫だよ」


 何から何までまでありがとうございます、と刀冴はもう一度お礼を言った。その姿に、見かけで損をする子なのだと士晏は思う。こんなに礼儀正しい子なのに、と。そして多くの人は見かけで判断してしまいがちなのを憂いた。

 店員を呼ぶ客に気付いて去っていく刀冴の後ろ姿を見て、士晏はほんの僅かに悲しげに眉尻を下げる。刀冴の人の良さに気付いてくれる人が一人でも多くあれば良いのに。それを刀冴本人が望んでいないとしても、願わずにいられなかった。




「いやぁ、トウゴが最後までいてくれると早く終わるな! 閉店作業覚えられそうか?」

「……出来るだけ早く覚えます」

「そうかそうか。お疲れさん。また明日も頼むぞ!」


 無事に閉店作業まで終えた刀冴は士晏ととも着替えを終え、店の外に出た。吐く息が白く見えるほどの寒さだ。


「こんな中自転車で帰るなんて寒くなかった?」


 フゥッと両手に息を吹きかけて擦り合わせながら士晏は言った。


「いえ、走ってるうちにむしろ暑くなるんで」

「それはそうかもしれないね。さ、乗って」


 ご丁寧に助手席側のドアを開けて促す士晏に、恐縮しながら乗り込む刀冴。士晏くらいの年頃にしては良い車に乗っているな、と刀冴は思った。高級車ではないが、そこそこの稼ぎがないと手が出ないレベルの車だ。思わず車内を目で観察していると、士晏が運転席に乗り込み口を開いた。


「なかなか良い車乗ってるでしょ?」

「はい。いやっ、えっと……」


 思わず返事をしてしまった刀冴は口籠る。そんな様子を見てエンジンをかけた士晏はふふっと笑う。


「良いんだよ。この車は両親からもらったんだ。と言っても、僕はいつか全額返す気でいるけどね」


 その言葉を聞いて刀冴は目を丸くする。良いところの出なのだな、と思ったのだ。それでも親の財力に頼る事なく返そうという考えが出来る辺り尊敬の念をも抱いた。


「トウゴくんは、将来について考えたりする?」


 暫くは黙って運転していた士晏だが、ふいにそんな事を口にした。将来。その単語は刀冴の胸にズシリと重たいものを感じさせた。


「いや……正直、今が精一杯で」

「そっか」


 なぜこんなにも毎日働いているのか、高校生の身でなぜ一人暮らしなのか。きっと疑問に思うことは多々あるだろうに、突っ込んだ質問はしてこない。大学生にしては落ち着いている士晏に刀冴はますます好感を抱く。


「高校生なのにすでに自立しているような落ち着きぶりだよね、トウゴくんは」


 奇しくも同じような事を相手に対して考えていた刀冴は意外だとばかりに目を瞠る。


「あまり、一人で抱えようとしないようにね。頑張るって、実は限度があるんだ」

「限度?」

「そう。僕も割と一人であれこれしようとするタイプなんだけどさ。一度抱えすぎて潰れたことがあって」


 きっとこれは大事な話だ。そう思った刀冴は、苦笑を浮かべながら話す士晏の瞳に映る、赤い信号の光からなぜか目が離せなくなった。


「僕にはそんな時に助けてくれた人がいた。いて良かったと、心から思う。だからさ、トウゴくんにもそういう人がいたらなって思うんだ。もういるかもしれないけど。これから毎日こうして帰るんだし、何かあったら気軽に話してみてよ」


 僕で良ければ聞くよ、という何気ないその一言に、自分に対する思いやりを確かに感じた刀冴は深い感謝と、そして申し訳なさを感じた。そうしたいのは山々ではあるが、中々思い通りにはいかないのだ。


「……はい」


 この返事に込められたほんの少しの嘘。互いにそれには気付いていたが、二人ともそれ以上その事には触れなかったのだった。

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