話してくれないか
玄関ホールへ辿り着くと、彼を護衛していた二人に案内されたらしい刀冴が、広い空間を呆気にとられたように観察しているところだった。刀冴の姿を見た途端、ほっと安心したような感覚と、ギュッと胸を締め付けられるような感覚という、相反する感覚に心詠は戸惑った。初めての感覚だ。これは一体どういう感情なのか、自分でもわからない。
けれど、それをぐっと胸の奥に押し込み、微笑みながら声をかける。
「いらっしゃい、トウゴくん。良く来てくれたね」
その声で心詠に気付いたらしい刀冴は、ハッと我に返ってから、いや……と呟き視線を逸らす。
「その、突然来て悪かったな」
「やっぱり君は真面目だよね」
「うるせぇ」
いつものように軽口を叩き合うと、心詠はふふ、と笑い声を漏らした。その様子に護衛たちは驚いたように目を丸くしている。心詠が家族と貴守兄妹以外に気を許している様子は初めて見るからである。
「談話室へ案内するよ。あ、護衛ご苦労様。今日はもう下がっていいよ。ありがとう」
護衛にも労いの言葉をかけてから、心詠は束咲を引き連れて、刀冴を談話室へと案内するべく前を歩き始めた。
部屋に到着すると、心詠は先程まで兄たちが座っていたソファを勧める。刀冴が腰を下ろしたのを見て、自分も向かい側のソファに座った。束咲は、再びお茶の準備をしている。
そうして束咲がお茶をローテーブルに置き、部屋の隅へ移動するまで互いに一言も喋らなかった。お湯の注ぐ音やカップをソーサーに置く音などがやけに耳に残る。互いに、緊張しているのだな、という事がよくわかった。
「えっとそれじゃあ。……話って、何かな?」
ついに無音となった状態で、心詠が思い切って口を開いた。その声に、ピクリと肩を震わせた刀冴もまた、一度息を吐いてから思い切って口を開く。
「正直……色々あって、混乱してる。よく分からない事だらけだ。その中でも一つはっきりさせたい事がある。お前の行動理由、それを知りたいと思った」
刀冴はゆっくりと、言葉を噛みしめるように告げていく。心詠は刀冴の言う事が想像出来ていたとはいえ、実際聞いてまた胸が締め付けられる感覚を覚えた。あの事を思い出させないように、心に刺激を与えてしまわないように、どう答えようかと脳をフル回転させる。
「ちゃんと、事情を聞かせてくれ。俺は昔、お前と会ってるんだろ?」
だが、続く刀冴の言葉に思わず息を止めた。まさか、思い出したのだろうか。いや、あの男の様子と言葉をちゃんと考えてみれば、容易に想像は出来た事だ。
今更、あの時のことを隠しながら説明する事は出来ないし、したくない。
落ち着け、落ち着けと心詠は深く息を吸い込みながら自分に言い聞かせ、そしてゆっくり吐き出していく。刀冴の心を、守りたい。言葉をちゃんと、選ばなければ。
「……そうだね。会ってる。私は昔、あの男に誘拐された事があるんだ。その時にトウゴくんと会ってるんだよ」
でもその時に起きた事故が原因で、刀冴は事件前後の記憶を失ったらしい、と。心詠は心配そうに刀冴の様子を伺いながら告げた。その様子がわかったのだろう。刀冴は軽く頷いた。
「俺は、大丈夫だ。事実が知りたい。全て、な。だから……話してくれないか」
刀冴の真っ直ぐな視線を正面から受け止めた心詠は、本人の意思を尊重する事に決めた。ただし具合が悪くなったら言ってくれ、と前置きし、心詠はゆっくりと語り始める。
「トウゴくんは覚えてないあの事件の後……私は君が退院後、児童養護施設へ行ったって事情を聞かされていたけど、どうしてもその後、君がどんな生活をしているのか気になっていたんだ」
だから家の者の力を借りて、ずっと刀冴の事を見てきたのだと言う。
「私は直接見に行ったり出来ないから、報告を聞くだけで……でも、何か助けになりたいって思った」
刀冴の記憶を刺激して、本人に心の傷を負わせる危険がある、という事から、直接的な援助を申し出る事も出来ないとわかった心詠は、刀冴のいる施設に寄付金という形で間接的に援助をする事にした。もちろん、刀冴が施設を出た後もこれからも、永続的に出来る限り毎年寄付をするつもりだと心詠は言う。
「そうして五年後、高校進学を控えたある日、君が施設を出て一人暮らしするって聞いたの。施設からの援助や奨学金を使って、一般校に通うって話も。だから、私も同じ学校に行きたいって思ったんだけど……」
当然家族は猛反対した。幼稚部から通っていたエスカレーター式の学園にそのまま進学する事が決まっていたし、セキュリティも何もない一般校へ行くなどとても許せるものではなかったのだ。
やはりこれまで同様、影から見守るしかないと諦めかけた時に、とんでもない事実が心詠の耳に入ることとなった。
「君の叔父にあたる、誘拐犯が仮釈放されたって。心配だった。だって君は、私を助けるために行動してくれたから、叔父から恨まれている可能性があったんだもん」
だから、諦めかけた一般校への進学を絶対決めなければならないと心詠は決意した。どうしても、刀冴を側で守りたかったのだ。
その熱意に負けた心詠の両親はついに折れ、条件付きで一般校への進学を許可したという。
登下校は必ず自家用車で、寄り道は一切認めない。学校では親しい友達を決して作らない。一般校だからと成績を落とす事なく、何かしら実績を作り上げる事。その他にも細かい約束事がいくつかあったが、心詠は今のところ全てきちんと守っていた。中でも、数年前から手掛けていたスポーツクラブの経営が、少しずつ軌道に乗り始めたのが自分にとって大きいと心詠は告げた。
「こうして無事、トウゴくんと同じ学校に通えるようになって……一年くらい様子見してた。君と接触するタイミングをいつも見計らってたんだよ」
だからあの時、あの空き教室で君が寝てたのを見た時は、本当に驚いたんだからと心詠は笑った。
「……お前がわざわざこの学校に来て、俺を守ろうとしてくれたのはわかった。じゃあ……」
刀冴は一度言葉を切り、少し悩んだ様子を見せてから意を決したように口を開く。
「なぜ、俺に金を払おうとしたんだ?」
その問いには、心詠も思わず口ごもってしまうのだった。
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