わかったから押すな


「うわぁぁぁぁ……」


 次の日。朝から、というより昨日刀冴が帰ってからずっとこの調子で一人悶絶している心詠は、学校へ向かう車内でも変わらず悶絶していた。むしろ頻度が増えていた。はっきり言って鬱陶しいことこの上ないが、従順な護衛である束咲は都度主人を宥めていた。


「そろそろ立ち直ってくださいね。学校に着きますよ」

「うん、わかって……うわぁぁぁぁ」


 束咲の言葉にも最後まで返事が出来ない有様である。


「はぁ。なんで同じクラスなの……あ、私が根回ししたんだったぁぁぁぁ……!」


 そして刀冴と同じクラスである事実に打ちのめされていた。頭を抱えて天を仰ぎ、俯きと忙しい様子である。


「どんな顔して会えばいいのかわからないよ……! あんな事言うつもりなかったのに! 喧嘩売ってどーすんの私! ただ、ただ……幸せになってもらいたいだけなのに……」


 じわりと目に涙が浮かぶ。重症だ。束咲は困ったようにふぅ、と息を吐くと学校は遅れて行きましょうと提案した。ちょうど今日は三、四限目が美術で、それぞれ外で写生する事になっている。それなら刀冴と顔を合わせる事なく昼休みになる。


「お昼休み過ぎてもダメそうなら、早退しましょう。まだ体調が優れないと言えば問題ないでしょう」

「うっ、ありがとぉタバサぁぁぁ」


 良い親友を持ったと心詠は深く感謝した。束咲の思惑が、別の所にあるとは知らずに。




「やっとお昼の時間だ……」

「お疲れ様でした、コヨミ様」


 無事、刀冴と遭遇する事なく四限目まで終えると、心詠は教室へと戻る事なく例の空き教室へ向かい、机に突っ伏していた。会うことはなかったけれど、いつ対面するかと思うと気が気ではなく、精神的にかなりの疲労を感じていたのだ。


「写生も、なかなか芸術的な仕上がりでしたしね。余程集中出来なかったのですね」

「……あれはちゃんと描いたよ。タバサ、わざと言ってるな?」


 お嬢様は目は肥えているのに自分が表現するのは苦手だった。美術関係の成績はいつも伸び悩んでいたりする。恨みがましい目で束咲を睨むと、再び伏せてしまう心詠。やはり今日はダメダメな様子である。


「仕方ありませんね。今日は昼食後帰りましょうか。でも今日だけですよ? 明日はしっかりしてくださいね」

「うん。善処するよ……」


 顔を上げる事なく答える心詠に、束咲は苦笑を浮かべた。それから、では担任に早退の旨を伝えてきますと告げると、一人空き教室を出て行った。




「……ああ、いらしたのですね」


 束咲が空き教室を出て、少し歩くとこちらに向かってくる刀冴に出くわした。


「……避けられてる気がするんだが」

「ええ、避けていましたね」


 苦々しい顔でそう言う刀冴に、あっさりと答えを返す束咲。暫し流れる沈黙。


「顔を合わせられないからと、今日はこの後早退します」

「そんなにかよ……」

「重症ですよ?」


 クスリ、と笑みをこぼす束咲に、少々迷いを見せた刀冴。けれど束咲はそこで刀冴の背中を押した。物理的にも。


「こういう事は、時間が開けば開くほど気まずくなるものです。さっさと話して来てください」

「わかったから押すな」


 渋々といった様子で先を進む刀冴の背に、束咲は思い出したように一言付け加えた。


「私は車で待っていますから、そこまでの護衛を頼みましたよ。早退しますし、時間はたっぷりあります」

「なっ、お前、勝手に……!」


 慌てて振り返る刀冴が見たのは、後ろを見ずに軽く手を上げて去っていく男装の金髪少女だった。無駄にイケメンな仕草だが、違和感がない。

 けれど振り返らず歩く束咲の表情は、どこか寂しそうに微笑みを浮かべたものであった事は、誰も知らない。




 空き教室の前で、刀冴は暫く戸を開けられずに佇んでいた。完全に不審者のそれである。けれどいつまでもそうしてはいられない。いくら時間がたくさんあるとはいえ、それは有限であり、すでに束咲によって退路は断たれているのだ。意を決した刀冴はガラリと音を立てて中へと入っていった。

 目に飛び込んで来たのは、机に突っ伏したままの黒髪の少女。だらりとしたその格好は、いつもの彼女らしからぬ姿であった。刀冴は思わず目を丸くする。


「……タバサ、私は本当に嫌な奴だよね」


 部屋に入って来たのが束咲だと思い込んでいるらしい心詠は、その姿勢のまま話し始めた。刀冴は動揺したが、なんと声をかけていいのかわからない。


「約束なんて、本当はどうでもいいんだ。私がトウゴくんに夢を追ってほしいって、勝手に理想を押し付けてただけなんだよ」


 グスッと鼻をすするような音が聞こえてくる。泣いているようだと思った刀冴は余計に声をかけられずにいた。


「彼の未来は彼だけのものなのに……思い通りにならないからって喚く子どもみたいだ。お金に、物を言わせてるって、嫌な、女だって、思われても、うっ、仕方ない……」


 次第に涙声になり、しゃくり上げる心詠は肩を揺らす。


「でも、嫌われても、いいから……トウゴくんに、幸せになってもらいたいんだよ……!」


 その姿はとても弱々しくて、か細くて。


「私、彼に酷い事言った。ううん、ずっと酷い事してたのかも……! あの時、トウゴくんに手を振りほどかれても、もう一度握っていれば良かったって、何度も思ったよ!」


 ──泣くな。

 刀冴は自分の事で心詠に涙を流して欲しくなかった。


「そうしたら、彼はあんな、大怪我せずに、すんだのに……あの時だって、たまたま騒ぎを聞きつけた人が集まってくれたから助かった。でも、そうじゃなかったら死んでたかもしれない! 私、なんて、謝ったらいいのか、わかんな……!?」


 気付けば刀冴は、後ろから心詠を強く抱き締めていたのだった。

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