何のことだか
「へっ、変質者!?」
そうじゃないことくらい、心詠にだってわかる。しかし、こうでも思わないとどうしようもなかったのだ。束咲だと思ってペラペラ喋っていたけれど、まさかそれを刀冴本人に聞かれるなんて軽く死ねる、と。心詠の脳内は大パニックだったのだから。
「……ああ、変質者だ。だから、大人しくしてろ」
「っ、ハイ……」
しかし、耳元で聞こえる囁くような声に、心詠は黙った。ズルい。なんかこう、ズルいと心詠は思った。そして熱い。耳まで熱いのが自分でもわかる。目を見開きすぎて目が飛び出ないようギュッと目を閉じ、心臓が口から出そうなので、口も固く引き結ぶ。
泣いている女の子を後ろから抱き締めるだなんて萌えシチュエーション、自分に起こると萌えにならないのだと初めて知った。
「……悪かった」
「……え?」
どれほどの時間そうしていただろう。束咲が帰って来てしまう、と焦る心詠の耳元で、刀冴がそう呟くのが聞こえた。
「約束を、忘れていて」
「っ、思い、出した、の……?」
驚いて引っ込んだはずの涙が、再び心詠の瞳に浮かぶ。きっと今は酷い顔だ。この顔が見られずに済むなら、今の体勢で良かったかもしれない。
「俺は、お前が約束に縛られてるんじゃないかと思った。それで、無理してるんなら、やめて欲しいと……」
「無理なんかしてないよ! 私が勝手に……! あ……」
刀冴の言葉に思わず振り向いて否定する心詠だったが、同時に今見られたくないと思ったはずのグチャグチャな顔を見られてしまったことに気付いて固まる。
「ぷっ、酷ぇ顔」
「う、う、うるさぁい! 見ないで!」
心詠は慌てて前を向き、両手で顔を隠した。今更遅い。背後でくっくっと笑う声が聞こえるのが余計に恥ずかしい。だから、何とか逆襲したいと思った。
「……笑ったお詫びに、金払わせろ」
「おま、この流れでそれかよ」
ハンカチで涙を拭った心詠は、ハンカチを握り締めながら勢いよく振り返って立ち上がると、キッと刀冴を睨みつけた。何を言い出すのかと刀冴が身構えていたが、心詠の口から飛び出してきたのは予想外の一言であった。
「好きだよ」
たぶん、と心詠は小さく付け加える。この気持ちに名前をつけるなら、きっとそういう事なのだと思うから。だから執着してきた。
今度は溢れる想いが雫となって流れてしまわないように耐えながら、心詠は叫ぶ。
「君は、私が嫌いになったかもしれないけど、私は君が好きだよ、トーゴ!」
涙を堪える顔は、きっとさっきよりもずっと不細工だろうな、と心詠は頭の片隅で思う。そして、だからお金くらいは受け取って、と心詠は俯きながら消え入りそうな声でそう告げた。
流れる沈黙。それから、はぁという溜息。呆れられたのだろうかと心詠が肩を落とす。
「断る」
「ううっ!」
こんな捨て身で頼んでいるのにやっぱり断われた、と心詠は心に大ダメージを負った。そんな傷心の心詠を救ったのは、ダメージを負わせた張本人のあたたかな体温と、心音。知らぬ間に、今度は正面から抱きしめられていた。
「金は、いらない。必要な時に必要な物を用意してくれる、お節介なお嬢様がいるからな」
だから、と言いながら刀冴は少し身体を離し、心詠を正面から見つめながら口を開く。
「お前は、俺が夢を追うのを、近くで見てろ。ずっとだ」
「そ、それって、結局どちらも、私が……」
顔を引きつらせながらもじわじわと理解してきた現実に、嬉しさを隠せない心詠が文句を言いかける。だが、その言葉は最後まで紡がれる事なく、突如唇に降ってきた柔らかな感触の中に溶けて消えた。それは一瞬の出来事で、ひょっとすると触れてはいなかったかもしれないけれど。
「い、い、いっ今っ……!?」
「……何のことだか」
フイ、と顔を逸らす刀冴に、真っ赤になって混乱する心詠。いや、よく見れば刀冴の顔も真っ赤である。それを見た瞬間、なんだ自分だけじゃないんだ、と妙な落ち着きを取り戻した心詠は、相変わらず斜め上の思考回路で思った事をそのまま口にした。
「身分差恋愛、萌える」
「……それが、お前だよな」
えへへ、と笑みを浮かべた心詠は、もはや遠慮はいらないとばかりに刀冴に抱き着いた。それから幸せそうに微笑む。ずっとこうしたかったのだ、と。
「タバサ、遅いな……」
「優秀な護衛は先に車で待ってるからお前を連れて来いと言い捨てて去っていった」
「優秀過ぎるね!? KY手当つけよう」
「なんだその手当」
「空気読んだ手当だよ」
クスクスと笑う心詠の声が心地良い。こんな風に心が安らぐ思いなど、両親がいた時以来だと刀冴は思った。一人でいるのは気楽で良いが、これはこれで良いものだとこの気持ちを噛みしめる。
「あ……予鈴鳴ったよ? 次の授業遅れない?」
「サボる。それにお前は早退するんだから問題ないだろ」
「……困った不良くんだな」
自分は夢を追うと決めたのだ。その為には一緒にいられる時間も限られてくる。二人でいる時くらいは素直になってみるのもいいだろう。……ほんの少しだけ、だが。
「お金は、勝手にトーゴの為に使うからね」
「お前の金だからな。何に使おうが俺は何も言えねぇ。受けとらねぇけど」
「君のそういう頑ななとこ、嫌いじゃないよ」
そう言いながら見上げてくる心詠の目や鼻は、泣いた名残りかまだ赤い。それ以外の理由で耳まで赤いようだが、自分も恐らく大差ないだろう。でももう二度と、自分のせいで泣かせる事はしたくないな、と刀冴はそっと心詠の頰に手を当てた。
近付く互いの顔に、二人はぎこちなく目を閉じる。授業の始まりを告げる本鈴が、静かな教室内に響き渡った。
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