他人なんて
「シアンさん、この二人と……」
知り合いだったのか。それは言葉にならなかった。突然の衝撃と、突然突きつけられた真実に、刀冴は混乱していたのだ。
「……今は早く家に帰ろう、トウゴくん。車に乗って? 質問は、車の中で聞くから」
最初に声を発したのは心詠であった。それから士晏に、仕事に戻って終わり次第報告するよう指示を出す。それから自分たちは素早く車に乗り込んだ。未だ混乱中の刀冴はされるがままに車に乗せられた。
車がゆっくりと発車し、しばらく静寂が続いた。タイミングを見計らって、またしても心詠が沈黙を破る。
「ごめんね。店の前まで車をつけてもらえば良かった。怪我はない?」
「……ない」
幾分か落ち着いたのだろう、刀冴も声を出した。しかしまた沈黙が訪れる。聞きたいことは色々ある。だが、それをどう伝えたらいいのかわからずにいた。
「……よく、あるのか」
「え?」
そうして出てきた言葉はこれであった。よくあるのか。それは、このように身の危険に晒されることは度々あるのか、という質問だ。数秒の後、その意味に気付いた心詠は、ああ、納得の声を漏らす。
「頻繁にはないよ。でもまぁ、たぶん一般的に見れば多いのかもしれないね」
「……そうか」
そしてまた黙り込む。そうじゃない。聞きたいことはそれだけじゃないのだ。なのに、どうしても聞けなかった。
士晏は、刀冴が久しぶりに心を開きつつあった人物であった。それなのに、この二人と繋がりがあったという隠し事は、刀冴には裏切られたように思えたのだ。
帰りに送ると言ってくれたのも、ただ指示された事だったのか。バイト先での様子も、一々この二人に報告されていたのか。……まるで、監視でもされているかのようだ。
その事実を受け止めたくはなかった。だから聞くのが怖かったのかもしれない。けれど、もはや疑いようのない事だ。
アパートに着くほんの少し前に、ついに刀冴は口を開いた。
「……シアンさんとの、関係は」
ポツリと口に出されたその質問に、少しの間をあけて心詠が答える。
「……彼の名前は
事実をはっきり告げられるのは、思いのほかキツかった。刀冴の心にズシリと重石が落とされた気分だった。さらに心詠は、自分が依頼したから士晏がここでアルバイトをする事になったのだと告げた。
「で、でもね……」
「もういい」
さらに何か言おうとする心詠の言葉を刀冴は遮った。それから、これまでに見たこともないような、表情の抜け落ちた顔でもう一度言い放つ。
「もう、いい」
アパートの前へと着いた車はそのまま停車し、刀冴はそのまま無言で車を降りた。それから振り返ることもせずに刀冴は歩き去る。
もういい、の言葉には朝の送迎も含まれているのだという事に心詠は気付いてしまった。
車内に残った心詠は、無意識に伸ばした手をゆっくりと下ろして俯く。なんと声をかけていいのかわからなかったのだ。
「ごめんなさい、コヨミ様……私と兄さんがつい口走ってしまったがためにこんな……」
束咲が心から申し訳なさそうにそう言うも、心詠は首を横に振る。
「ううん。二人は仕事をきちんとこなしただけ。誰も悪くない。悪いのは……」
指示を出した私、隠していた私だ。心詠は心の中で何度も自分を罵倒した。いくら責めても足りない。心詠は自分を許せずに、拳を握り締めたのだった。
自室へ戻り、鍵を閉めた刀冴は暫しその場で立ち尽くす。それから一つ一つ、先程起こった出来事を思い返して心の整理を試みた。
店を出たら轢き逃げに合いそうになった。それはどこか意図的だったから、あの二人を狙ったものなのだろう。刀冴はそれに巻き込まれ、そして士晏に救われた。
けれどその事が切欠で、士晏と束咲が兄妹であるという事実を知る。まさか、士晏があの二人と繋がっていたとは。
普通に考えれば、危ない所を助けてもらった感謝を最初に感じる事だろう。もちろん感謝はしているが、それよりも刀冴の心を占めていたのは、騙されていた? という事実であった。
つまり、自分は思っていたよりずっと裏切られた事にショックを受けているらしい。そこまで思い至って刀冴は気付いた。そうか、自分は信じたかったのか、と。
幼い頃、両親が事故で他界した刀冴は、唯一の親戚である叔父に引き取られた。しかし叔父はお世辞にも良い人間とは言えなかった。ろくに育児というものをしないし、それどころか両親が自分の為にと貯めてくれた貯金さえも使い込むような人物だったのだ。
そんな叔父に引き取られて、野良犬のような生活を続けるうちに刀冴は色々と諦める事を覚えていった。
自分の意思を伝えること。愛を求める事。人を信じる事。
全てが無駄なのだと、そう思って育ってきた。
けれど、人と関わる環境に変わり、アルバイトをし、様々な経験を積んできた事で心境にも多少の変化があったのだろう。士晏のような人物と出会って、刀冴は信じたいと無意識に思っていたのだ。そして、心詠にも。
自分に対して無茶苦茶な言動をしてばかりの心詠だが、一線は超えず、約束は果たすその姿勢は信用に値するものがあった。少しずつだが、確かに心詠たちは刀冴の信用を得ていたのだ。
「……やっぱ、信じるもんじゃねぇな」
他人なんて。
この日の出来事は、刀冴、そして心詠の心を酷く掻き乱した。
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