捕らえろ!


 それから警戒して過ごすこと三日ほど。刀冴は不服に思いながらも文句を言うこともなく素直に守られて過ごしていた。おかげで学校内では心詠たちと刀冴の関係について、この短期間でありとあらゆる噂が流れていた。一度鎮静化した噂話に再び火が付いた形である。


 実は心詠がこの学校に花婿候補を探しに来ていて、その候補に刀冴が選ばれた説や、刀冴の眼力と喧嘩の強さから新たなボディーガードに勧誘されている説などが主なものだ。少数派の意見としては、実は刀冴と束咲が恋仲で、心詠は隠れ蓑だなんて話も出て来ている。


「なんだ、みんな案外妄想力豊かだね。私も負けてられないや」


 そんな事で張り合うな、と刀冴は思ったが口にはしない。言ったところで無駄だからである。

 しかし前半部分に関しては同感だ。どいつもこいつも暇なんだな、とも思うし、一周回ってその豊かな想像力に脱帽だとも思った。見習おうとは思わない。絶対にだ。


「でも、コヨミ様が男漁りだなんて失礼ですよ。私は納得いきません!」

「タバサは優しいなぁ。私は別に構わないよ? なんなら悪女を演じても」

「やめてください。私が嫌な気持ちになりますから」

「そっか。ならやめる。もう一つのトウゴくん勧誘説を推そう」


 どうしてもそこは譲れないという主人愛溢れた束咲は珍しく心詠に対して自分の意見を主張していた。心詠もまたあっさりと受け入れているので、意外とこういうやり取りは二人だけの間なら頻繁になされているのかもしれない。刀冴は、束咲が妄信的に心詠を主人と崇めているように思えていたので意外な発見であった。どうやらちゃんと、親友であるらしい。


「推す必要はありません。堂々としていましょう。不愉快な噂は気に入りませんが、何か行動を起こせばその分良からぬ噂がまた出てこないとも限りませんからね」


 いつまでも収まらない噂であったならその時対処しましょう、と束咲は不敵に笑った。底知れぬ恐ろしさを垣間見る。何をする気だと思うところだが知らない方が幸せかもしれない。


 放課後の、アルバイト先へ向かうまでの車内はそんな他愛もない会話が出来るほど平和だった。しかし、運命の時は刻一刻と迫っていたのである。




「お疲れ様、トウゴくん」


 いつものようにニコリと微笑み仕事終わりの刀冴に労いの言葉をかける心詠。その可愛らしさに刀冴意外の従業員が癒されていた。


「カノジョじゃねーのかよ、あれで」

「信じられねぇ、吹き飛べトウゴ」

「くぅーっ、あんな美少女に毎日優しく労われてぇっ!!」


 一方で醜い嫉妬心も燃やしていた。


「愉快なお仲間さんだねぇ」


 そんな様子を見て心詠はクスクス笑う。あんな事を言っているが、刀冴の事は可愛がってくれる気の良い人たちなのは心詠も良くわかっていた。だからこそ、少し羨ましいと思う。それはあの人たちに向けたものなのか、刀冴に向けたものなのかは自分でもよくわかっていないが、きっと両方なんだろうな、と心詠は結論付けた。


「さぁ、帰ろうか」


 そうしていつものように他の従業員たちに軽く挨拶をすると、束咲を先頭に三人は店を出た。前のような事があってはいけないと、車に乗り込むまでは士晏が一番後ろからついて来ている。周囲には、少し離れた位置から全体を見渡す護衛も数人待機していた。


 真っ暗な道を車まで歩く際、四人は誰も口を開かない。皆それぞれ人の気配や車の気配を探っているのだ。特に束咲や士晏からは、二度同じ過ちはしたくないという意志が感じられる。

 だからこそ、今回は何かを仕掛けられる前に気付くことが出来た。一行は車まであと数メートルという所で足を止める。駐車場は街灯もあまりなく薄暗かったが、その人物の顔を認識出来る程度には明かりがあった。だからこそ、心詠は呟いたのだ。そんなにうまくはいかないか、と。


「タバサ、コヨミ様と後ろに。トウゴくんも下がって」


 その人物を目にした瞬間、士晏が盾になるように前に立ち、鋭い眼差しを前方に向けた。指示を出された束咲はすぐさまその通りに行動したが、刀冴は動かない。いや、動けなかったのだ。目を驚愕に見開き、その人物から視線を逸らせずにいる。


「なん、で……お前が……捕まってたんじゃ……?」


 ようやく刀冴の口から出た声は掠れていたが、その言葉はちゃんと聞き取ることが出来た。その言葉に目の前の人物はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべて口を開く。


「仮釈放だとよ。態度が良かったんだよ俺はよ。……我慢したんだ。……こいつらと、お前に復讐するためにな!」


 目をギラつかせた薄汚れた格好の男は、どこで調達したのか右手にナイフを手にしていた。それからそれをがむしゃらに振り回し、奇声を上げながらこちらへと走って向かってくる。

 思わず身を固くする心詠に、しっかり背後に彼女を隠す束咲。迎え撃つように構える士晏と、未だに呆然とその男から目を離せずにいる刀冴。


 決着は一瞬でついた。


「捕らえろ!」


 士晏のその一言をキッカケに、夜の闇から数人のスーツの男たちが飛び出し、ナイフを持つ男を取り押さえた。近頃危険を増した状況であったため、急遽配置された心詠を影から守る護衛たちである。痛ぇなこの野郎! と叫びながら暴れる男を、士晏は冷めた眼差しで見下ろした。


「まったく、こんな男に時間をかけてただなんて……コソコソ良く隠れて逃げ回っていたもんだよ」


 そう吐き捨てる士晏の視線の先にいる組み伏せられた男は、この辺りの清掃員用のツナギを着ていた。こうして紛れ込むことで監視の目を潜り抜けていたのだろう。それにしてもこんなに無計画に襲いかかってくるような男を、数日とはいえ見失うだなんて、男を探す者たちが余程無能だったか、男の運が良かったかのどちらかだ。恐らく後者だと思いたいが、だとしても士晏としてはプライドが許さない、という思いであった。


 そんな冷たい視線を無視するように、男は何が面白いのか、ニヤニヤしながら刀冴に向かって助けろ、助けろと同じ言葉を繰り返していた。刀冴は、ただ驚愕に目を見開くことしか出来なかった。

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