否定は出来ないかな
ジメジメとした蒸し暑さが本格化してきた頃、雨も多く鬱々とした雰囲気がクラス内では漂っている。ついこの前試験結果が発表されたというのに、もう来月中旬に迫る試験を考えなければならないとは、と嘆く生徒もチラホラ見受けられた。
ちなみに、前回の試験では心詠が学年総合一位を、束咲が二位を収めており、学内ではますます心詠たちの株が上がっている様子であった。とはいえ、一年の時からの事なので、やはり凄いな、という認識ではあったが。
余談として刀冴は学年十五位というなかなかの好成績なのだが、学校の方針として学年十位までしか公開されない為、教師以外には誰にも知られる事の無い事実である。
「意外と出来る男だよね、トウゴくんて」
試験が終わった次の日から、無事に毎朝一緒に登校出来ているところを見ると、心詠作クッキーは美味しかったようだが、刀冴の口から感想が語られたことはない。それでもあの日から常に心詠はご機嫌で、そんな主人の様子を見る束咲もにこやかであり、車内は良い雰囲気を保っている。ただ一人目付きの悪い不良が乗っているが、これはそういう顔なのだ。仕方あるまい。
「学年十五位だもん。徹底的に家庭教師にいじめ抜かれてる私や束咲は当然として、やっぱりすごいよ。一人暮らしで働きながらで。これで家事も育児もこなせたら良き母だね」
「コヨミ様、アクツは母にはなれません」
「物の例えだよ」
もはやこの際なぜ自分の順位を知っているのかとは思うまい。相変わらず方向性のおかしい話をしてるな、と刀冴は思った。誰が主婦だ。
「さて。ここで突然ですが告白しようと思います」
心詠が言葉通り突然そんな事を言い出した。腰に手を当てて胸を張り、やけに偉そうな態度を示している。助手席からは束咲の、ワー、コヨミサマー、という棒読みな冷やかしが飛んでいる。そんな棒読みなら言わない方がマシでは、と思ったが刀冴はなにも言わない。突っ込んだら負けだ。
「……この前、私たちを轢き逃げしようとした車だけど。盗難車だったんだ。だから、犯人が特定出来なくて、まだ捕まってない。ごめんね!」
内容は真面目だった。刀冴はさらに目を細める。
「でも、聞き込みしたり防犯カメラ追ったりで犯人の目星はついてる。だからそのうち捕まると思うよ」
「いやだから、なんでそんなこと……あぁ、いい。答えるな」
刀冴は疲れたようにため息を吐いた。常識では普通やらない、という事をこのお嬢様はやるのだ。お金の力で。
「……無理は言ってないよ? 真っ当な調査だからね?」
君はどうも私がお金に物言わせてると思ってる気がするんだよ、と心詠が口を尖らせる。実際そう思ってる、とは絶対言わないでおこうと刀冴は思った。彼は空気の読める男である。
まったく、と言いながら腕を組み睨んでいた心詠だが、すぐにその表情を真剣なものに変えて改まってこう告げる。
「とは言っても、捕まるまで何があるかわからない状況なんだ。トウゴくんの身が危険にさらされるのは放っておけない。だから、犯人が捕まるまで、出来るだけ近くにいて欲しい」
自分がいる分、危険は増えるかもしれないけど、確実に守れるからだと心詠は言った。心詠の護衛たちは百戦錬磨の猛者たちだ。ずっと心詠を狙う不届き者を排除し続けてきたという実績がある。だからこそ必ず守り切ってくれるという自信があった。
心詠たちと離れていた方が、良からぬ者たちの目に触れないため狙われる頻度は減るかもしれないが、一度狙ってきたあの犯人は別だ。刀冴の事を認識している。その為一人で行動してる際に離れた場所で見守っているだけでは対処しきれないという不安があるのだった。
「それに、高嶺に目をかけてもらってると思われた方が、手を出されにくい事もあるからね」
物事をよく知る者はまず狙えないだろう、と心詠は続けた。自分たちを狙うのは、心詠が高嶺の娘だと知らない者、そもそも高嶺を知らない者などの小物なのだそうだ。
「だから、しばらくは放課後アルバイト先まで送らせてもらえない?」
君を危険な目にあわせたくないんだ、と真剣な目で言われては嫌とも言えない。刀冴はぐっ、と言葉を失い、それからフイと視線を逸らしてため息を吐いた。
「……狡いな。最初からこうなる事わかってて声かけたんだろ」
「……否定は出来ないかな」
すこぶる不機嫌そうにそう呟く刀冴に、申し訳なさそうに答える心詠。しかし、双方の理解には大きな違いがあった。
犯人は心詠を狙っている、という認識の刀冴と、犯人は刀冴を狙っている、という認識の心詠。
心詠は、刀冴がそう思ってるだろうとわかっていたが、訂正する気はない。何故なら、彼にはそう思ってもらえるように接してきたからだ。担任が余計な事を口走りはしたが、あれは刀冴がより心詠が狙われやすいと思うのに良い方に働いてくれた。
学校内で心詠たちが刀冴を気にかけていると噂になる事で、周囲への牽制となる。しかしその上で刀冴や周囲の者たちには、彼は迷惑なお嬢様のせいで巻き込まれただけだ、と思わせる必要があったのだ。出来れば周囲の人に関しては、狙われる云々についても知られたくはないのだが、噂とは侮れないものなので、そうなった時の保険でもある。
心詠の計画は多少のハプニングと危機はあれど、この時までは順調に進んできた。全ては刀冴を守るため。そしてもう一つの約束を果たすため。
心詠は、何としてでもそれらを果たしたいと思っていた。その為には、刀冴に嫌われても構わない。そう思うほどに。
一連の事件が何事もなく、水面下で解決する事を祈りながらも「最悪の事態」を想定して警戒は怠らない。その警戒が無駄になればいい、と心詠は願っていたのだが。
「そう、うまくはいかない、か」
数日後、心詠はそう呟く事になってしまったのだ。
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