今に見てろよ
次の日の朝、心詠たちがいつもの時間にアパートの前までやって来ると、そこに刀冴の姿はなかった。確認すれば、自転車もない。いつもより早い時間に彼は自転車で学校に向かったのだとわかった。
「はぁぁぁ……」
車内ではこれで何度目になるかわからない心詠のため息の音が響く。肩を落とし、しょんぼりと俯く今の彼女には、いつものような凛とした姿は微塵も感じられない。何がそうさせてるのかといえばもちろん。
「嫌われちゃったよね……」
刀冴に嫌われた、その一点である。じわりと涙が滲みそうになる。鼻の奥がツンとして、油断すると雫が落ちてしまいそうだ。そうはなるまいと口を引き結び、目を固く閉じて堪える。今は泣くところじゃない、そう自分に言い聞かせていた。
そんな主人に声をかけられずにいる束咲は、一人助手席で唇を噛んでいた。気の利いたことの一つでも言えれば良いのに、と自分の不甲斐なさを嘆く。しかし突如、後部座席からペチンという何かを叩く音がして後ろを向く。すると、そこには自分で自分の両頰を叩いて気合を入れている心詠の姿があったのだ。
「……感情で動いちゃダメだ、高嶺心詠。嫌われたのは悲しいけど、嫌われたからってやる事は変わらない!」
実際彼女の言うことが全てであった。確かにその通りではあるが、明らかに無理をしているのがわかる。そんな姿の心詠を見て、この繊細で、不器用で、心の強い主人を、精神的にも支えられる存在になりたいと強く思った。必ずや、主人の力になる、と。
それから、心詠たちは試験が終わるまでは彼の意思を尊重しようと心がけた。ただし、陰ながら彼を護衛する人物は十分に配置してある。意思を尊重した挙句、身の危険に晒された、なんて事があったら元も子もないからだ。
その分、心詠たちも学生の本分である試験勉強に取り組んでいた。それでもやはり刀冴の事は気になる。試験期間中も毎朝一応はアパートに寄ったし、昼休みは空き教室へ向かった。放課後は刀冴のアルバイト先で食事をしたし、帰りまで念の為店に残った。
でも刀冴は毎朝早めに家を出て先に登校したし、昼休みは他の場所で済ませた。アルバイト中は士晏が彼女らの対応をしたし、帰りは無言で自転車で帰宅したのだ。
「徹底的に避けられている……!」
いよいよ、試験当日という朝。心詠は車内で一人呟いていた。しかし悲しみに暮れている様子はない。最初はかなり落ち込んだ様子を見せてはいたが、段々とそれが妙な闘争心へと変わっていったようだ。今や負けず嫌い心に点火、そして燃え広がりを見せている。恐るべき強かさである。
心詠はグッと拳を握りしめて決意を口にした。
「今に見てろよ、阿久津刀冴……!」
高嶺心詠は、逃げるものは追いたくなる性質を持っていた。
とはいえ今は試験真っ最中。ひとまず試験が終わった日から仕掛けてやろうと心詠は不敵な笑みを浮かべる。むしろ声に出して笑っていたので周囲で聞いていた者は耳を疑っていた。
「終わったぁぁぁ!」
試験最終日の最後の試験が終わると、教室内は誰ともなくそんな声を上げたり、大きく伸びをしたりと、開放感で笑顔が溢れていた。心詠も軽くフッと息を吐いて肩の力を抜く。試験の出来は恐らく完璧だ。しかし、彼女の本番はこれからである。
「タバサ」
「既に連絡済みです」
「良くやった。じゃあ、明日に向けてすぐ準備を始めようか」
「はい」
心詠と束咲はメラメラと燃えていた。すでに計画を進める準備は出来ている。その為には早く帰宅して一分一秒でも時間を有効活動しなければならない。本日の心詠はKOYOMIスポーツのお偉方との会食に家庭教師となかなか忙しいのだ。合間を縫っての作業だが、心詠は刀冴を仕留める為なら何でもやる気である。
とはいえ決して喧嘩を売りに行くわけではない。あくまで和解を試みるための作戦である。なのだがその気合いがどうも別方向を向いているようでならない。ともあれ、彼女にとっては初めての挑戦。慎重に事を進めなくてはならないし、失敗は許されない。脳内シミュレーションは完璧だが、現実ではどんな想定外があるとも限らないのだ。
「ふっ、どんな障害も乗り越えてみせる。私の実力をなめんなよ!」
そんな最近愛読している異世界勇者物ラノベのセリフを引用しながら、心詠は熱い視線を刀冴の背中に向けたのだった。
一方、試験を終えて一息ついていた刀冴は、突如悪寒を感じてブルリと身震いしていた。風邪か? とも思ったが特に不調は感じなかったので気のせいだと思い直す。
それよりも今考えるべきは、今日のアルバイトの時間までの暇潰しをどこで過ごすか、である。試験の日は通常より早く終わってしまうので、どうしても時間が余るのだ。かと言って一度家に帰る程の時間はない。
浮かぶのは例の空き教室。そこで仮眠が取れたら最高なのだが、どうしても脳裏にあのお嬢様たちが浮かぶ。その時、束咲を連れ立って颯爽と教室を去っていく心詠の姿を視界の端で捉えた。クラスメイトからの挨拶に笑顔で答えながら教室を出て行く。
もう帰るのか? と疑問に思いながら窓の外を見ると、校門に彼女たちが乗る車が既に待機しているのが見える。どうやら本当に帰るらしい。どことなく物足りなさを感じた自分にハッとし、刀冴は頭を乱暴に掻く。そして、彼女たちがいないなら、安心して仮眠が出来そうだと頭を切り替え、空き教室へと向かうのだった。
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