一緒に寝よ?
心詠の悲鳴を聞きながら、刀冴は頭痛と戦っていた。その一瞬で、覚えのない記憶が脳内を巡る。鮮烈に残っているのは、心詠の悲鳴と、赤い血飛沫。
ああ、そうか。あの時の血は、自分の血だったのか。
そんな事を考えながら、刀冴は叔父が血を流して地面に倒れ伏す姿を無感情に眺めていた。
「っトウゴくん! 見るな!」
士晏が刀冴に駆け寄り、腕を肩に回して後ろを向かせた。だが、今の光景は一瞬で脳に焼き付くほど衝撃的なものだ。見てしまった以上、記憶から消せそうにない。
それに、刀冴は今それどころではなかった。忘れていた記憶を突然思い出してしまって、脳は混乱、激しい頭痛と吐き気で立っているのもやっとであった。その為、思わず膝をついてしまったが、それもこの光景を見た後では無理もないと周囲には受け取られたようだった。
「あとは僕と、うちの者が何とかする。店の方にも上手く言っておくよ。警察が来たら色々と厄介だ。ゆっくり休めもしない」
だから今日はすぐに帰るんだ、と士晏は声をかけ、素早くその旨を束咲に伝えると、続いて警察に通報し始めた。束咲は指示された通り、まず心詠を車に乗せてから刀冴に肩を貸す。それから車に乗り込んですぐその場を後にした。
後に残された士晏は、騒ぎを聞きつけてやってきた店の仲間に身振りで立ち止まるよう指示しながら、警察と話をし、脳をフル回転させて今後の対応を考えていたのだった。
一方、車内は沈黙が続いていた。誰も何かを話す気力はなく、ただぼんやりとするしかなかったとも言える。よく見れば、心詠の手も、刀冴の手も小刻みに震えていたが、それも仕方ない事だった。あんな衝撃的な光景を見て、冷静でいられるはずもない。士晏や束咲だから、どうにか動けたのだ。その二人だって、動けただけで、内心では動揺していたに違いない。
「呪い、か……」
静かな車内でポツリと心詠が呟く。あの男は、自害する直前そんな事を言っていた。お前らに呪いをかけてやれればそれで良かったのだと。
確かにそれは成功したかもしれない。恐らく一生、今夜の出来事は忘れられないのだから。
あの男は昔、高嶺が経営する会社の顧客先の企業で働いていたという。しかし、社長が変わってから不穏な噂が後をたたなかった為に高嶺は契約を打ち切った。それを切っ掛けに会社は立ち行かなくなり、ついに倒産。その時から、あの男はずっと無職であった。
生きる気力もない中、突然兄夫婦が亡くなり、甥を引き取る羽目になった。面倒極まりなかったが、兄夫婦が残した金を使えると考え、まだ小学生の甥の存在を無視しながら、時に憂さ晴らしとして暴力を振るい、好き勝手に生活していたのだ。
本当に、禄でもない人物だ、と心詠は思う。結局お金が尽き、甥がいるから金も余分にかかるのだと、刀冴を殺そうと思っていたらしい。そんな矢先に心詠の存在と、心詠たちが子どもだけになる時間を見つけたのだ。高嶺の会社に恨みがあったし、うまくいけば金になると思っての犯行だったという。そんな話を昔聞いた覚えがあった。でも、結局身代金要求なんかも面倒になり、高嶺に対する嫌がらせだけに留まった事から、とことん面倒を嫌う人物であったようだ。
男が心詠を見つけたのは単なる偶然であったが、その偶然のお陰で刀冴は殺されずに済んでいたとも言えた。その事実が心詠の心を救った部分もあるので、心詠としては微妙な心境ではある。
そんな男が相手だからこそ、過去の記憶を刺激しないよう、何としてでも刀冴の心を守りたかったのだが。……最悪な場面を刀冴に見せる事になってしまった。心詠は酷く落ち込んでいた。
車は静かにアパートの前へ停まり、後続車から降りてきた心詠の護衛二人が刀冴を部屋まで送った。それから護衛は、士晏からの指示を受けて明日の学校とアルバイトは一日休むよう声をかけ、何かあればここに、と連絡先を刀冴の手に握らせた。
刀冴は言われるままに小さく頷き、部屋へと入っていった。そのまま真っ直ぐシャワールームへと向かい、頭からシャワーを浴びる。記憶の中の血を流すように、ひたすらに打たれ続けるのだった。
刀冴が部屋に入った後も、心詠の乗る車は暫しその場に停車していた。心詠が心配するようにずっと刀冴の部屋を見つめていたからである。
「コヨミ様、そろそろ貴女も休まないと」
「……うん、そうだね」
「護衛二人はここに残りますから。何かあればちゃんと連絡がきます」
「ん、わかった。ごめんね、大変だろうけどトウゴくんをお願い」
束咲の言葉にゆるりと反応を返した心詠は、居残る護衛にそう声をかけてから車の窓を閉めた。護衛たちはお任せをと告げ、去っていく心詠の車に向かって頭を下げた。
「……トウゴくん、顔色悪かった」
走り出してすぐ、心詠がそう言うと束咲が助手席から振り返って心配そうに告げた。
「そうですね……しばらくは目を離さないようにしましょう。でも、コヨミ様?」
束咲の呼びかけに心詠はゆるりと顔をあげた。
「貴女も、顔色が悪いです。どうか、ゆっくり休んでください……」
そう言われて、心詠は窓の方を見た。外が暗いおかげで窓には酷い顔をした自分がしっかり映っている。
「本当だ。酷い顔……」
心詠は無理やり笑ってみたが、それでも酷い顔は変わらなかった。これはなかなか参ってるな、と心詠は溜息を吐く。
「こんなんじゃ、トウゴくんの心配すらちゃんと出来ないね」
俯いて長く息を吐くと、心詠は小さな声で束咲に告げた。
「タバサ」
「はい」
「今日は一緒に寝よ?」
「お望みとあらば、喜んで」
あの事件が起こる前、度々こっそり二人でお昼寝したものだ。何となくその頃を思い出して、人肌恋しくなった心詠。
今日だけは、あの頃を思い出して昔に帰ってみてもいいだろう。そして、朝起きたら束咲に美味しい紅茶を淹れてもらって、一緒に朝食をとるのだ。そんな心詠のささやかなワガママを、束咲は快く承諾したのだった。
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