君は彼に狙われているよ


「ご、ごごごごめん、阿久津くん! 怪我はない!?」

「大丈夫? ごめん、俺が上からモロに押しつぶしたよな」

「うわぁぁぁ俺が躓いたばっかりに……本当にごめん!」


 転倒した三人はそれぞれすぐに起き上がって刀冴に謝っていた。刀冴は最後にゆっくりと起き上がって砂まみれの服を手で軽く叩きながら自分の身体の調子を確かめているようだ。


「いや、特に問題ない」


 若干あちこち痛い気もするが、動けないなどという程のものはないので軽くそう答えた刀冴。それでもまだ申し訳なさそうに謝る三人に、刀冴はどう対応すべきか悩んでいた。


「あ、阿久津くん、肘から血が出てる!」


 活発少年がそう言うので自分で確認すると、確かに肘のあたりになかなか広範囲の擦り傷があった。


「消毒してもらってきなよ。俺も一緒に行くからさ」


 謝り倒してくる三人から離れる口実となりそうだったので、消毒に向かうのはちょうどいい。だからこそ着いてこなくていいと言おうとしたその時、後ろから聞き慣れた女子生徒の声が聞こえてきた。


「私が付き添いますよ。どうせ今の時間は暇ですし、たまたま一連の流れを見ていたので」


 艶やかな黒髪の美しいお嬢様モードの心詠が、真剣な表情でそう告げたのだ。


「た、高嶺さんにそんな事、させられないよ……」

「そんな事、とは? 私はこの高校の一生徒に過ぎませんからお構いなく」

「でも……」

「瀬尾くんにはまだ練習もあるでしょう? 本当に気になさらないでくださいね」


 心詠のニコリと微笑む顔に思わず見惚れてしまう少年。その隙を見逃さず、心詠は参りましょうと刀冴を促した。自分の微笑みの威力を知り尽くしている。半眼になりつつも、刀冴は文句を言う事なく心詠と束咲の少し後ろからついて行く。対応に困るクラスメイトよりは慣れたこの二人の方がまだ気は楽だ。正直な話、少し助かったとも思ったのだ。




「トウゴくん、気を付けて」

「……?」


 保健室へと向かう道すがら、心詠は振り返る事なくそう言った。その言葉の意味がわからず刀冴は片眉を上げる。


「彼、瀬尾くんね。……君は彼に狙われているよ」


 黙っていた刀冴の方に顔を向け、心詠は意味ありげに告げる。ますます意味がわからない。怪訝な顔で心詠を見ていると。


「瀬尾くん、いつも熱い眼差しで君を見つめてるんだよ」

「……は?」


 つまりは、そう。心詠の分析によると、瀬尾くんとはそっちの人らしい。男性、または男女どちらでも恋愛対象になる少年なのだ。予想外の忠告に刀冴の脳内は一瞬真っ白になった。無理もない。


「さっき、私が名乗りを上げた時の顔見た? 物凄く残念そうだったからね? せっかくお近付きになれるチャンスだったのにって。あ、私ったらお邪魔虫になっちゃった?」

「……俺にそっちの気はねぇよ」

「それなら良かった。でも私はそっち方面の妄想もイケるよ?」


 やはり心詠の萌え範囲は広かった。刀冴は理解が追いつかない。理解しようとも思わない。


「……想いを寄せる相手との騎馬戦か。字面だけ見るとなんか、ちょっと、いかがわしくなるね」

「言うな。やめろ」

「あ、意識しちゃう?」

「黙れ」


 事実が全く違かったとしても、次に練習する時や体育祭当日にその話を思い出してしまう。余計な事を吹き込みやがって、と刀冴は割と本気で殺意を覚えた。心詠は舌をチロリと出して、冗談だよごめん、と素直に謝った。


 そうこうしている間に辿り着いた保健室。心詠が簡単に保健医に事情を説明した後、刀冴は怪我の消毒をしてもらう事になった。


「では、私たちは先に教室へ戻ります。もう授業も終わりますしね」


 手当を最後まで見ることなく、心詠はそう告げて束咲と共に保健室を立ち去ろうとする。しかしそんな彼女たちを珍しく刀冴が呼び止めた。


「おい」

「? 何でしょう?」


 振り返った心詠は保健医がいる手前お嬢様モードだ。不思議そうに首を傾げる心詠をジッと見る刀冴。脳裏に過ぎったのは、先程倒れ込む直前に聞いた気がするあの声だ。


『っトーゴ!!』


 確かにあれは自分の名を呼んでいた。ただ、呼び方が特徴的で、何となく気になったのだ。


「……何でもねぇ」

「……そうですか。では失礼します。お大事に、アクツくん」


 だが、刀冴は確かめる事をやめた。気のせいだったのかもしれないし、聞いたところで何になるとも思えなかったからだ。保健室を出て行く足音を聞きながら、刀冴は大人しく手当てされる事にしたのだった。




「大丈夫ですか、コヨミ様……」


 一方、保健室を出て少し歩いた所で、心詠は立ち止まっていた。カタカタと全身を震わせ、只事ではない様子である。そんな主人を支えながら、束咲は優しく問いかけていた。


「大丈夫……ちょっと、思い出しただけ」


 束咲にではなく、自分に言い聞かせるように何度もそう呟く心詠。大丈夫、大丈夫、と呪文のように繰り返す心詠に、束咲も合わせて大丈夫ですよ、と声をかけ続けていた。


「……ダメだね、私は」

「そんな事ありません。みんなの、アクツの前ではそんな様子、微塵も感じさせなかったじゃないですか」

「そう、かな。……ありがとう、タバサ。タバサの淹れる紅茶が飲みたいな」

「喜んで淹れますよ! 空き教室に行きましょうか」


 少しずつ落ち着いてきた心詠を支えながら、束咲はゆっくりと歩き出す。それからリクエストに応えて紅茶を振る舞った。

 そのせいで二人は次の授業に少しだけ遅れて教室へと戻ってきたが、教師やクラスメイトにその理由を教えることは決してなかった。

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