それなのに。
「……それから五日後。コヨミ様は無事に保護されたんだ。でも、自分のせいでタバサを死なせるところだったって。自分は誰も助けられないって暫く塞ぎ込んでしまった」
士晏は当時を思い出しているのか、硬く目を閉じ苦悶の表情を浮かべていた。
「タバサは確かに重傷を負った。だけど、命に別状はなかったんだ。だから、タバサはどちらかと言うと……心の方が大ダメージを受けていたかな」
「心……?」
そう、と士晏は頷く。聞くところによると、貴守の者は基本的に丈夫で、タバサも例外ではなかった。その為、傷はすぐに塞がったし、リハビリも人より早く終えるなど、驚異的な回復力で予定より早く退院したのだという。
「コヨミ様を守れなかった不甲斐ない自分を責め、そしてこの一件からコヨミ様に距離を置かれてしまった事にショックを受けたんだ」
もちろん、主人を危険に晒した事で担当から外されたのではなく、心詠自身が父の言葉の本当の意味を痛いほど理解したからである。そしてその事を束咲も理解していたからこそ、悔しくてたまらなかったのだろう、と士晏は語った。
「あの時のタバサは忘れられないよ。泣き叫びながら酷い顔でさ、自分を強くしてくれって土下座するんだ。今よりもっともっと、厳しくしてほしいって」
だから、そんなに自分を責めるなと周囲の大人は束咲を宥めた。心詠の父でさえ、束咲の姿に心打たれて焦らずとも良いと直接声をかけたのである。
しかし、束咲は違うと激しく首を振った。そして、より一層涙をボロボロ零しながら言ったのだ。
『わ、わだじが強ぐなっで、側にいないど……ゴヨミ
自分は心詠の唯一の親友だったと自信を持って言えるその事実。だけどこの事件で心詠は親友を失ってしまった。心詠は誰よりも友達を欲しがっていたのに、あんまりだと、心詠が可哀想だと束咲は言うのだ。
「だから早く強くなって、コヨミ様に親友を取り戻したいんだって。信じられるかい? 束咲は自分がショックを受けた事より、コヨミ様が受けたショックの方に心を痛めていたんだよ」
自分だったらそうはいかないなぁ、と士晏は自嘲気味に笑う。主人は命を賭して守る程大切だけど、そこまでは思えない、と。
「主人の心も守ろうとするタバサは、誰よりもコヨミ様の専属SPに相応しいと、僕は思うんだ」
そこまで語ると士晏はふぅと長い息を吐く。そして上半身を起こし、身体を刀冴の方に向けた。
「コヨミ様は、もう二度と自分のせいで誰かが傷つくのは嫌だと思っているんだ。だからこそタバサも、そして僕も、協力を惜しまない」
高校で唯一、心詠たちと関係があると思われる刀冴は、どうしても標的になりやすい。それは刀冴にもわかる。だが、それならなぜ。
「そんなに嫌なら、何で俺に関わったんだ……」
最初から話しかけて来なければ良かったのに。初対面で金を押し付けようとするところからしておかしい奴だと思っていたのだ。
相変わらず、なぜ金を払いたがるのかわからないし、知りたいとも思わない。けれどそれさえなければ狙われる事もなかったはずだ。轢き逃げ未遂の時だって、たまたま心詠が狙われたのに巻き込まれただけじゃないか。刀冴の胸に疑問と不満が渦巻いていた。
「……そうしなければならない理由があったからだよ」
「理由……?」
刀冴が聞き返すと、士晏は真っ直ぐ刀冴の目を見つめてきた。士晏の黒い瞳は、何かを訴えるように揺れている。けれど、そんな目をされても刀冴には一切伝わらない。それどころか、勿体つけずに全部話せばいいのに、と若干の苛立ちさえ覚える。
「……別に。言いたくないなら言わなくていい。知りたいわけでもないし」
続く沈黙に黙っていられなくなった刀冴は、突き放すようにそう言ってフイと視線を逸らした。相変わらずこちらを見ている視線を感じた先で、小さくごめんと呟く声が落ちる。
「主人が話さない事を、僕たちが勝手に話すわけにはいかないから」
まあ、それもそうだなと刀冴は思う。その姿勢を今の担任も少しは見習えよとさえ思った。
刀冴は少し考えを整理する事にした。よく考えれば別に士晏は悪くない。全て指示された事なのだから。とはいえ、そこに士晏の意思がなかったのかと言えばそうとは言えない気もするが。
そもそも、なぜ自分はこんなにも苛立っているのか。話を聞いて、この人たちはむしろ自分を守るために動いてくれていただけなのに。諸悪の根源は関わり始めたあのお嬢様ではあるが、それにも何か理由があるというのだ。全てを鵜呑みにする、というわけではないが、現に士晏は一度自分を救ってくれた。
事情など別に知りたくない、と思っている身としては、むしろそれでいい気もする。黙って守られていればこれ以上深く関わる事もないのだから。
それなのに。
こんなにも心が揺さぶられるのは何故だろう。
こんなにも他人が気になるのは何故だろう。
このままにしてはいけない気がする。面倒な事になるとわかっているのに、それでもこのままではダメだと。刀冴の頭の中でそんな考えが主張して脳内をガンガン揺らし、頭痛を引き起こす。
「僕に言えるのはここまでだよ。付き合わせてごめんね。出来れば明日からはまた、朝も帰りも以前のようにしてもらえる事を願うよ」
士晏のその言葉を聞きながら刀冴は車を降りる。今、口を開けば激しい頭痛のせいで呻き声を上げそうだったため、返事をする事もなかった。何となく頭痛を悟られたくなかったのだ。
それから黙々と自転車を下ろして駐輪場へ戻すと、振り返る事もなくアパートの自室に入り、片付けも着替えもせずに布団の上に倒れこんだのだった。
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