今からやり直していい?
脳内シミュレーションは完璧だった。昨日一生懸命準備しただけあって、今日は最高の出来栄えの物を用意出来た。後は、彼に渡すだけ。自信満々で車に乗り込み、アパートに着くと、心詠はいつものように駐輪場を確認して……そこにまだ自転車があるのを目にし、固まってしまった。思ってた状況と違う。まだ、学校に行っていない……?
「……何してんだよ」
「あ、わ、えっと……!」
そこへトドメとばかりに背後から彼の声。心詠は珍しく動揺した。
「ま、まさか、いると、思わなくて……」
もう一度言う。脳内シミュレーションは完璧で、心詠は自信満々だったのだ。それなのに、まさか今日、この時間に彼がアパートにいたとは思ってもいなかったのである。自転車がなく、やっぱりダメかと諦めるのがここ最近の日課だったからだ。自分でも矛盾した考えだとはわかっていた。
要するに心詠は今日の朝、刀冴が自分たちと登校してくれるらしい事が物凄く嬉しかったのだ。
「……約束だから」
「え……?」
「試験最終日も、あの教室借りたからな」
それだけだ、と告げた刀冴はくるりと背を向け心詠の車へと向かって歩き出した。自転車には乗らないようだ。
「あ、あのっ! か、帰りもシアンの車に……?」
「……歩いて帰れって言うのかよ」
振り返らずにそう言う刀冴の口調は相変わらずぶっきらぼうだけど、それはつまり、そう言う事なのだと思った心詠はじわじわと広がる喜びに頰が緩むのを止められなかった。
「っトウゴくん!」
「うおっ、てめぇ何しやが、る……」
そしてその気持ちのままに刀冴の腕にしがみついた心詠は、そのまま至近距離で刀冴を見上げて笑顔でこう告げたのだ。
「本当にごめんなさい。それと、ありがとう!」
初めて見るその心からの笑顔に、不覚にも見惚れてしまった刀冴は思わず息を止めてしまう。慌てて顔を逸らし、離れろと腕を振り払った。ほんのりと、顔が熱い気がしたが、気のせいだと思うことにした。
「私とした事がしまったなぁ……脳内シミュレーションは完璧だったのに、全く違う行動をとっちゃったよ」
車が発進して少しした頃、ようやく心詠はいつもの調子を取り戻した。それからぶつぶつとそんな事を一人ごちる。それからパッと顔を上げると、刀冴に向かって言い放った。
「ね、今からやり直していい?」
「は?」
突然話を振られた刀冴は素っ頓狂な声を上げた。ちなみに心詠は刀冴の返事に関わらず早速始める気である。
「トウゴくん……これ、昨日作ったんだ。私、手作りしたのって初めてだけど、心を込めて作ったの。味見だってしたよ? だから、受け取ってくれる……?」
もじもじしながら軽く頰を染め、上目遣いでチラチラ刀冴を見ながらおずおずと可愛らしく包装された包みを差し出す心詠は、その見た目を最大限に活かした言動なだけあって物凄く可憐であった。大抵の人物はこれで勘違いする事請け合いだ。しかし刀冴はそれに当てはまらない。
「気持ち悪ぃ」
「酷っ」
普段の心詠を知っている刀冴はそれが演技だとわかっていたので、その差異に気持ち悪い以外の感想を持てなかったのである。
「じゃ、じゃあ次はこれだ! 私が作って差し上げたのよ! あ、有り難く受け取りなさい? 遠慮はいらなくてよ!」
立ち直りの早い心詠はすぐ様切り替えてプランBを実行する。胸を張って片方の手を腰に当て、高飛車に言いつつも頰を染める事は忘れない。目には目を、ツンデレにはツンデレを作戦である。
「気持ち悪ぃ」
「これも、ダメか……っ!」
しかしあえなく撃沈。車の窓に拳を軽く打ち付け、窓側に寄り掛かりながら首を横に振る心詠。大袈裟である。
その後、プランC妹属性やプランDヤンデレ属性など試してみたが、どれもこれも一刀両断。心詠はさめざめと泣く……フリをしていた。
「うぅ、難易度高いよトウゴくん……私に一体どうしろというんだ」
「むしろ俺に一体どうしろというんだよ、お前は……」
刀冴が至極もっともな事を言う。すると心詠はノリが悪いなぁと舌をチロッと出した。美少女の特権行動である。
「まぁ、君がノリ良く返してきても、逆に反応に困るけどね」
「……ならやるなよ」
「ナイスツッコミだ、それでこそトウゴくん!」
とまぁ、冗談はこの辺にしてと心詠は座り直す。茶番に付き合わされた刀冴はやや不機嫌である。そんな刀冴を横目で見た心詠はコホンと軽く咳払いすると改めて包みを刀冴に差し出した。
「ちゃんと、謝罪しないとって思ったんだ。心を込めてっていうのも初めてっていうのも本当だよ。これは受け取らなくてもいいけど、謝罪の気持ちだけは受け取ってもらえないかな? 勝手なのはわかってるけど……隠し事して嫌な気持ちにさせて、本当にごめんなさい」
今度は素の状態らしい。最初からこうしてりゃいいのにと思いつつ差し出された包みに目を向ける。その視線に気付いた心詠は補足説明を加えた。
「あ、中身は普通のクッキーだよ。チョコチップ入りのもあるけど。甘い菓子パンも食べてたから苦手ってわけじゃないよね? もっとこう、カップケーキとか挑戦したかったんだけど……ビギナーはビギナーらしくって事で……」
その後も材料は一級品だからとからオーブンも良いやつだしとか、それでも焦げたけどなど、ごにょごにょ呟いている姿を目を細めて眺めた刀冴は、車が学園に着いたところでサッとそれを奪い取るように受け取った。そしてそのまま車を降りてサッサと行ってしまう。
暫し呆然としていた心詠はすぐにハッとして刀冴の背中に向かって声をかけた。
「あ、明日も、その次も……また一緒に登校してくれる?」
その言葉に刀冴は一度足を止め、振り返る事なくこう答えた。
「……美味かったらな」
それだけ呟いて、刀冴は足早に校舎へと向かって歩く。嬉しくなった心詠はもう一つ付け加えた。
「ついでにお金も!」
「受け取らねぇ」
拒否が早い。
でも、今度はちゃんと答えてくれた。それだけで心詠の胸は温かくなるのだった。
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