そういう事にしよう
「来ちゃった」
この場面、前にも見た覚えがある、と刀冴は既視感を感じていた。いや、事実前にもあった。
しかし今回は事前に知らされていただけマシである。刀冴は小さく息を吐くと、マニュアル通りに接客を始めた。
「今日は私、このオムライスが食べたいな。ケチャップライスでしょ? すごく気になる」
以前ナポリタンを注文していた心詠は、その時からケチャップをお気に召したようだ。ワクワクとした様子を隠す事なく目を輝かせる様は、まるで小学生である。
「私は前回コヨミ様が絶賛なさっていたナポリタンを」
そして束咲もまた、心詠がそれほどまで好んだメニューが気になっていた様であった。
注文を受けて立ち去る刀冴の姿が見えなくなったところで、束咲が口を開く。
「……まだ、手掛かりが掴めないそうです」
「うん。警戒を強めて」
「はい」
ピリリとした空気が走る。緊張が二人を包んでいた。二人は声のトーンをさらに落として会話を続けた。
「そもそも仮釈放だなんて、納得出来ませんよ。あいつが反省なんかするわけないんです」
「まぁね。上手くやったんじゃない? でも、保護観察官とも連絡がつかないんだから、きっとまた逆戻りになるよ」
水の入ったグラスを揺らし、カラコロと氷が音を立てる。心詠はそれで喉を潤すと、グラスを手にしたまま低い声で言葉を続けた。
「だからこそ、何をするかわからない。身を潜めてやる事なんて、碌なことじゃない」
「……そうですね」
「はぁ、せっかくのディナーなのに。試験前だし、早く全部終わらせて萌え語りしたいよ」
口を尖らせて空気を和ませる主人の言葉に困ったように微笑んだ束咲は、せめて食事は楽しみましょうと穏やかに告げたのだった。
食事も美味しく食べ終えた二人は、予定通りその場で試験勉強をし始めた。事前に連絡した事もあって、二人の席は仕切られた空間になっており、他の人の目に付きにくい。お店側の計らいなのだろうと、二人は内心で感謝を述べた。店を出る際にはあらためて挨拶をするつもりである。
客の話し声や食器の音、さり気なく流れているクラシックのBGM。完全な静寂より集中出来る事に気付いた心詠は、思いがけない収穫に驚いた。これは嬉しい誤算である。またこの店で勉強するのも良さそうだ、と思いつつも、店に迷惑がかかるかもしれないと考え直す。今回だけは、どうしてもそうしなければならなかっただけに過ぎないのだから。
今回だけは。
だけ、で済むことを切に願うが、難しいかもしれない。今後は別の対策を考えよう、と心詠は試験勉強の合間に脳内で計算する。
ともあれ今は早急に、
数年前に見た時の、あの憎悪に染まった顔を思い出し、心詠は軽く身震いしたのだった。
「お疲れ様、トウゴくん。もう帰る?」
「……ああ」
もしかすると、ここで待っている二人を放ったらかしにして先に帰ってしまうかもしれないと思っていた心詠は、ちゃんとこちらに足を運んでくれた刀冴の姿を見てホッと安堵のため息を吐いた。嬉しそうな表情になっていたのだろう、それを見た刀冴は嫌そうに顔を顰める。
「……自転車がないんだ。お前らに頼むしかねぇだろ」
「ふふ、それもそうだね。そういう事にしよう」
余計嬉しそうになった心詠に刀冴は思わず舌打ちをした。世話になるのはこちらだが、喜ばせる事になるのはなんだか悔しい。そもそもそこで喜ぶ意味もわからない。テキパキと片付けを済ませた心詠と束咲は先に前を歩いて店員にきちんと挨拶をしてから店を出た。店長への言付けも忘れない。
刀冴は、仕事仲間からのニヤついた視線を完全無視して心詠たちの後から歩いた。
この店は大通りから少し離れた路地の先にあり、基本的に人通りは少ない。近くに他の飲食店もないため、この時間になるとほぼ誰もいない事が多い。そして今日も店の外には人気がなかった。
暗く、街灯も少ない狭い道路を少し渡って駐車場へ向かう。従業員用の駐車場はすぐ裏手にあるのだが、停めにくい上に数台しか停められないため、お客様用駐車場は道路を挟んだ向かい側に設けられている。とはいえ、小さな道路を渡れば店の表側からは近い。
確かに周囲を確認して道路を渡った。信号のない歩行者用横断歩道もあるし、確かにそこを渡ったのだ。
──だからこれは明らかに、狙われたと言える。
「……コヨミ様っ!」
音の静かな乗用車が、ライトも点けずに加速しながら通り抜けたのだ。
この夜道にそんな車が走ってきたら気付くのも遅れてしまう。だが、今の束咲は警戒態勢に入っていたために咄嗟に動く事が出来た。それに、スピードが上がりきっていなかったのも幸いしたのだろう。
だが、束咲が咄嗟に守れたのは、己の主人である心詠だけであった。
「アクツ!!」
主人を優先させるのは当然の事だが、主人が気にかけている人物を守れないのも問題だ。車が通り抜けるその一瞬で、束咲は最悪の事態を脳内に描いた。
だが、その一瞬で動いた人物がもう一人いたのだ。
束咲が刀冴の方に顔を向けると、そこには長身の男性がお店のサロンをつけたままの姿で立膝をついていた。
「兄さん!」
「タバサ、ナンバーを!」
心配して外の様子を見ていた士晏は、誰よりも先に車に気付いて店の外に飛び出していた。束咲はその音をキッカケに車に気付けたと言える。士晏は咄嗟に刀冴を突き飛ばして守るように自身の身体で覆い被さり、彼を救出する事に成功していた。
それからそのまま束咲に指示を飛ばす。その声に束咲はすぐさま走り去っていく車を目で追い、ナンバーを記憶した。
その間は数秒。あまりに突然の出来事だった。心詠は束咲の腕の中で呆然としていたが、すぐに我に返って刀冴に目を向ける。その先には同じように呆然としている彼の姿があった。すぐに声をかけようと心詠が口を開きかけたその時。刀冴が先に声を発した。その言葉は、今の出来事に関するものではない。
「……兄、妹?」
士晏と束咲の関係性が、刀冴に知れてしまったのだ。刀冴にとって衝撃だったのは、事件よりむしろそちらの方であった。
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